1 |
目的論的世界観と「人間原理」 |
2003.1
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2 |
「インテリジェント・デザイン論(Intelligent
Design Theory)」 |
2003.2
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3 |
科学的概念としての創造―Mere Creation― |
20033
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4 |
「デザイン理論」は科学と神学をつなぐ |
2003.4
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5 |
「インテリジェント・デザイン」の科学的実証 |
2003.5
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6 |
文化大革命としてのデザイン理論 |
2003.6
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7 |
科学か神話か
―恥さらしな進化論教育― |
2003.7
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8 |
ダーウィニズムの終焉(1)
―「進化という事実」はあったのか |
2003.8
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9 |
ダーウィニズムの終焉(2)
―自然法則と偶然が遺伝情報を創り出す? |
2003.9
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10 |
ダーウィニズムの終焉(3)
―自然界の基本としての不連続性 |
2003.10
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11 |
生命に合わせて調整されている自然法則(1)
―物理学と生物学を一貫する「人間原理」 |
2003.11
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12 |
生命に合わせて調整されている自然法則(2)
一大交響曲としての宇宙 |
2003.12
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13 |
生命に合わせて調整されている自然法則(3)
―「生かされている」という科学的事実 |
2004.1
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14 |
火と数学を同列においてみるということ
―「人間原理」的洞察 |
2004.2
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15 |
生命をどのように捉えるか
―哲学のない科学に発展性なし |
2004.3
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16 |
曖昧な概念の上に学説は成り立たない
―「自己組織化」という欺瞞 |
2004.4
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17 |
自然主義という呪縛を脱せよ
―再び「自己組織化」説について |
2004.5
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18 |
宇宙論(Cosmology)とは何か
―魂の防衛としての宇宙解釈 |
2004.6
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19 |
現実を解明する形而上学
―「デザイン」ということの究極の意味 |
2004.7
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20 |
地球は特権的惑星
―今ここにあることの意味を示唆する天文学 |
2004.8
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21 |
続・地球は特権的惑星
―我々のような惑星は本当にただ一つか |
2004.9
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22 |
我々は霊的機械か
―未来の人工知能は我々を不要にするか |
2004.10
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23 |
再び問う「我々は霊的機械か」
―私という存在はどこにいるか |
2004.11
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24 |
インテリジェント・デザインと悪の問題
―自然に内在する悪をどう説明するか |
2004.12
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25 |
インテリジェント・デザインに対する反論
―反論によって露呈する自己矛盾 |
2005.1
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26 |
続・インテリジェント・デザインへの反論
―反論から発展する新しい考察 |
2005.2
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27 |
自然主義科学と理性の危機
―反デザイン論者の道徳意識 |
2005.3
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28 |
宇宙は閉鎖系か開放系か
―新しい時代の迫る選択 |
2005.4
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29 |
合理的神秘という感性
―神秘と怪奇を区別できぬ時代 |
2005.5
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30 |
芸術家としての創造者
―C・S・ルイスとID |
2005.6
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31 |
進化論偏向教育の問題
―青少年の知的探究を扼殺するもの |
2005.7
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32 |
ID論争の争点は何か
―全米を巻き込む論争の分析― |
2005.8
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33 |
誰にもわからぬ起源問題
―わかったことにするダーウィニズム― |
2005.9
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34 |
科学研究の枠組みとしてのID理論
―IDは実験室の研究をどう変えるか― |
2005.10
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35 |
論争で浮かび上がる学界の体質
―イデオロギーとしてのダーウィニズム― |
2005.11
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36 |
「コペルニクス原理」とは何か |
2005.12
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37 |
唯物論科学と科学離れ
―今どき、誰がそんな科学に興味をもつか― |
2006.1
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38 |
生命科学は魂を抜いて成立するか(1)
―遺伝学者セルモンティに学ぶ― |
2006.2
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39 |
生命科学は魂を抜いて成立するか(2)
―哲学を避けられぬ現代科学者― |
2006.3
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40 |
生命科学は魂を抜いて成立するか(3)
―「構造主義生物学」に学ぶ― |
2006.4
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41 |
子供の魂の奪い合い
―無神論者の祈り、リチャード・ドーキンズ― |
2006.5
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42 |
生物教科書といかに付き合うか(1)
―学生を愚弄する進化論記述― |
2006.6
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43 |
生物教科書といかに付き合うか(2)
―よらしむべし、知らしむべからず― |
2006.7
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44 |
生物教科書といかに付き合うか(3)
―「理性の危機」の時代を反映する教科書― |
2006.8
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45 |
生物教科書のミステリー(1)
―ヘッケルのニセの胚はなぜ教科書から消えないか
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2006.9
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46 |
生物教科書のミステリー(2)
―20世紀の悪の根源、ダーウィン=ヘッケル進化論―
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2006.10
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47 |
生物教科書のミステリー(3)
―進化論教育という犯罪― |
2006.11
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48 |
日本的霊性とダーウィニズム
―進化論受容に現れる民族性― |
2006.12
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49 |
調和する統一思想とデザイン理論(1)
―生命起源の謎解きに向かって― |
2007.1
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50 |
調和する統一思想とデザイン理論(2)
―現状を打開する最上の仮説― |
2007.2
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51 |
調和する統一思想とデザイン理論(3)
―生き物はより大きな生命の分身である―
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2007.3
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52 |
調和する統一思想とデザイン理論(4)
―無限の叡智を読み解く叡智― |
2007.4
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53 |
調和する統一思想とデザイン理論(5)
―「なんとひどく道を踏み外したものだ!」― |
2007.5
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54 |
何が人を腐らせ、何が蘇らせるか(1)
―世直しの視点をどこに置くか― |
2007.6
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55 |
何が人を腐らせ、何が蘇らせるか(2)
―アイオワ州立大学の恥さらし―
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2007.7
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56 |
何が人を腐らせ、何が蘇らせるか(3)
―「アメイジング・グレイス」ということ―
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2007.8
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57 |
科学離れはなぜ起こるか
―若者の学問的意欲を奪う唯物論文化― |
2007.9
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58 |
唯物論信仰という心の障害
―ドーキンズの『神は妄想である』を読む―
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2007.10
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59 |
同じ構造をもつ芸術と自然の作品
―深く美しい有機的統一性―
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2007.11
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60 |
有神宇宙科学と無神宇宙科学
―今、明瞭にものが見えるようになった―
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2007.12
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61 |
今日の諸悪の根源としてのダーウィニズム(1)
―1世紀にわたる欺瞞のからくり― |
2008.1
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62 |
今日の諸悪の根源としてのダーウィニズム(2)
―ダーウィン=ヘッケリズムの世界支配構造―
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2008.2
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63 |
今日の諸悪の根源としてのダーウィニズム(3)
―マルクス主義とフロイト理論を支える土台― |
2008.3
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64 |
今日の諸悪の根源としてのダーウィニズム(3)
―人種差別の「科学的根拠」が最大の受容の契機―
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2008.4
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65 |
先鋭化する心の世界の対立
―立役者としてのベン・スタインの映画『追放』―
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2008.5
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66 |
生命とは何かを問い直せ
―教科書記述について具体的に提言する― |
2008.6
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67 |
否応なく突きつけられた課題
―生命起源の問題で日本の教育が道を誤らないために―
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2008.7
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68 |
「穴埋めの神」というID批判は正しいか
―唯物論文化の陥穽―
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2008.8
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69 |
科学者の傲慢と謙虚(1)
―無神論者のエセ謙虚に欺かれないために―
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2008.9
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70 |
科学者の傲慢と謙虚(2)
―ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは別
物か?― |
2008.10
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71 |
科学者の傲慢と謙虚(3)
―「傲慢」と「浅はか」は一つのもの― |
2008.11
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72 |
見えてきた見えざる拘束
―科学の名において真理を抑圧する文化―
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2008.12
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