ご意見をお寄せいただき有り難うございます。簡潔にお答えします。
「自然的要因からは生じえない(自然選択や偶然の変化の累積によっては生じえない)デザインされた構築物(鞭毛のモーター装置など)が経験的に確認できる以上、デザインの主体を想定せざるを得ない」ということです。
真理の探究は、禁じ手を作っておいてゲームを進めるサッカーのようなものであってはならないでしょう。超自然的な何ものかを指し示す研究結果
が出ているのに、その結論はルール違反だと言うことはできないでしょう。
「宇宙に目的も方向もあり得ない(機械的な盲目の力、すなわち必然と偶然しか働いていない)とする唯物論が正しいとすれば、宇宙や生命の歴史は、偶然と自然選択(ともに意志をもたない)を組み合わせるダーウィニズムでしか説明できない」ということです。
「化石の存在を無視するのですか」というのは普通
、進化論批判側のせりふですよ。化石は変化なしに続き、突然、断絶して新しい種に変わるのが普通
で、これは誰もが認めざるをえない事実だからこそ進化論は苦境に立たされるわけです。
長谷川真理子さんの本は読んでおりませんが、適応によってトカゲの足の大きさに変化が生ずるというのは、ダーウィン・フィンチのくちばしが環境の変化に応じて長くなったり、また戻ったりするのと同じ、いわゆる小進化の例でしょう。小進化(種内変化)の例を出して(大)進化を説明しようとするから進化論は欺瞞だと言われるのです。(こういった教科書の欺瞞を列挙したIcons
of Evolution という本があり、我々はこれを研究会で読みました。ご興味があれば資料を送ります)
「生命が無生物から発生した」のなら――つまり生命にとって物質が必要にして十分な条件なら――我々の先祖(出所)は物質ということになる。もともと物質から発生したにすぎないものを掴まえて「人間の尊厳」などということがどうして言えますか。共産主義国家は唯物論を国是としたからこそ粛清ができたのです。ダーウィンからヒトラーに至る系譜を論じたFrom
Darwin to Hitlerという本もあります。
「科学とは真実を探るための方法です」とあなたが真剣に言われるようだから、私も真剣に答えます。――だからこそ科学は、自分の立っている(自然主義という)前提をもう一度吟味しなければならないのです。自分自身を枠に閉じ込めてはならないのです。我々の生きる宇宙は目に見えているものがすべてですか。我々の心は存在しないか、存在しても単なる脳という物質の産物ですか。では脳はなぜできたのですか。ダーウィニストによれば宇宙には目的がないのだから、すぐれた脳を持った人間も偶然デキチャッタのですか。偶然デキチャッタ無意味な人間には、道徳のみならず生きること自体が無意味ですが、それでもいいのですか。「それでいいじゃないか」と言って開き直るのがドーキンズのような正直なダーウィニストですが、あなたも開き直りますか。
文面からして真剣にものを考えるお方のようなので、これだけお答えしました。新聞記事だけでなく、できれば私たちのHPを開いて読んでいただければ幸いです。
渡辺 久義
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