Discovery Institute News
科学者は心を閉ざしてはならない
Jay W. Richards & Guillermo Gonzalez
Philadelphia Inquirer
November 21, 2005
最近のニュースを聞いている人なら誰でもインテリジェント・デザイン(ID)のことを耳にしているであろう。揶揄にもかかわらず、それは情報理論、確率論、犯罪捜査学、科学哲学といった、しっかりした基礎をもつ分野における洞察をふまえた理論である。デザイン論者は、自然界の特徴のうちのあるものは、知的作用者の標識をつけていると主張する。例えば、一連の物理的パラメータのすべてが、複雑な生命のために不気味に微調整されていることが判明していて、これが多くの科学者の心を打ち、デザインという古来の問題に向かわせている。
教条主義的な反応は、科学者は非人称的要因にのみ訴えることが許される、というものである。この見解によれば、科学者は知的作用者を扱うことができるが、自然界のものに限るということになる。だからID批判の先頭に立つユージェニー・スコットは、地球外からの電波信号のような形でのデザインを見つけようという試みは、「自然界のインテリジェンスを探査するのだから科学的プロジェクトだが、超自然的な土台をもついかなる理論も科学ではない」と言う。
しかしこれは本質をはずす議論である。なぜなら問題はただ、それがどこからきたものであれ、一つのインテリジェンスの活動が見分けられるかどうか、ということだからである。この問題は「超自然的な土台をもった理論」を要求していない。映画「2001:
A Space Odyssey」に出てくる黒い石板は、宇宙人によってデザインされたか神によってデザインされたかに関係なく、デザインされたものであることがわかる。しかも全く同じ根拠によるものである。
スコットの言うのは、科学者は次のようなルールに従わなければならないということであろう:――いかなるインテリジェンスも宇宙の起源や歴史や働きに関与しておらず、またそのようなインテリジェンスからのいかなるデザインも経験的に見分けることはできないと想定せよ。しかし、インテリジェンスが現に一つの役割を果
たし、その結果が見分けられるものであるとしたらどうなのか? 科学が我々に自然についての知識を与えてくれることを要求するなら、科学者は心を開くべきであり、彼らの調査したものに唯物論的な目隠しをかぶせてはならない。
IDが非科学的である理由として、それは反証不能でありテスト不能だからと言われる。すなわち、それを反論する手段がないというのである。批判者の中には、ことのついでにIDは反証不能でありかつ反証されていると主張する者もいる。我々は最近、IDについて物語を作り上げる記者からの一連の質問を受け取った。一つの質問は、IDは反証ができないという事実に我々はどう対応するか、というもの。もう一つは、生物学者ケネス・ミラーの、マイケル・ビーヒーのデザイン議論に対する論駁に我々はどう答えるか、というものであった。しかしこれらの反論が同時に真理ではありえない。もしIDが反証不能なら、科学的事実がそれを反証することはできない。もし証拠がそれを反証することができるのなら、IDは反証不能ではありえない。このような矛盾した反論は、我々の疑念を引き起こさせずにはおかない。
自然からの証拠に対して心を開くことが、おそらく最も肝要な科学者の美徳である。それがあるからこそ、今行われているインテリジェント・デザインの議論は、経験的な証拠に多くの時間を費やすのであり、そのようにして初めて、証拠の最上の説明としてデザインを主張するのである。不幸なことに、IDを批判する人たちはたいてい、デザイン論者の提出する現実的な議論と証拠を避けている。
切り札的な共通の反論は、誰がデザイナーをデザインしたのか、というものである。この反論はたいてい、デザイン理論家をたちどころに、確実につまずかせる決め手の議論として持ち出される。しかしこれを真剣に受け止めるなら、そこには「不思議の国のアリス」のような結果
が生ずるだろう。「ストーンヘンジ」は誰かが作ったもののようである。しかしその誰かを誰が作ったのか? また、ギルガメッシュ叙事詩の未知の作者についてはどうなのか? 誰が作者の作者か? 我々にはわからない。だからといってデザインを推論することをやめるべきか?
勿論そんなことはない。我々はデザインした者の起源を知らなくても、デザインを見分けることができる。IDは自然の証拠によって立つことも倒れることもできるが、本質をそらしたり、定義によってそれを退けるような、最初から問題のある試みによって倒れることはない。
(ジェイ W・リチャーズはDiscovery Institute 上級研究員、ギエルモ・ゴンザレスはアイオワ州立大学の天文学助教授、共著として『特権的惑星――宇宙の我々の場所がいかに発見のためにデザインされているか』がある)
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