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自由人権協会に従い、反対の事実を無視するジョーンズ判事

David DeWolf
Discovery Institute
December 21, 2005

キッツミラー裁判(ペンシルヴェニア州ドーヴァーで争われていた裁判で、先頃、IDを公立校で教えるのは違憲と判定された)でのジョーンズ判事の見解を読むと、この人がACLU(米国自由人権協会)の申し立てをほとんど全面 的に取り入れていたことが分かる。

公平のために言っておくと、ACLUが証言として提出したのは、生物授業の前に四節声明文(注、ダーウィン進化論は説であって事実ではない、この理論には欠陥があるという内容の文章)を読むことを義務付ける方針をとった学区教育委員会は、宗教的動機をもつものだとする原告側の主張をサポートするものであった。

もしジョーンズ氏がここでとどまっていたなら、彼の裁定に文句を言う人はあまりいなかったであろう。ところが彼はそこから更に進んで、インテリジェント・デザインが科学かどうかという問題にまで踏み込んだのである。そうさせたのは次のような彼の信念である――「合衆国の他のどんな裁判所も、我々ほどこの論争の領域に踏み込むのにふさわしいところはない。最後に、我々はIDが科学かどうかということに関して結論を下そうと思うが、それは本件において憲法に定める条項への違反の問題が起こったためだけではない。我々は、類似の問題にかかわる今後の裁判によって引き起こされるであろう司法的その他もろもろの精力や経費の明らかな浪費を、防ぐことにもなると判断したためである。」

ほとんど全面的にACLUの証言による証拠に依存しながら、ジョーンズ氏はIDは科学ではないと裁定した。彼はこれらの証言によって、IDが「超自然的」説明に依存するものであること、それは検証不能であること、また査読された文献が存在しないことが明らかになったと主張した。こういった主張の一つ一つが、法廷は科学の定義やIDの科学的位 置の問題を裁定すべきではないと主張する、ディスカヴァリー・インスティテュートや多人数の科学者グループを含む、法定参考人団の提出した趣意書によって、こと細かに反論されていた。

ジョーンズ判事はまた、マイケル・ビーヒーやケン・ミラー(反ID側)の提出する還元不能の複雑性についての相反する見解をも閲読している。ケンブリッジ大学出版局がこの問題を十分に挑発的なものと考えて、最近、両陣営の科学者が見解を述べた『デザイン論争』という一書を出版したのだが、ジョーンズ判事は独断的にこの論争の勝者を決めてしまったのである。

この裁判でおそらく最も驚くべくかつ皮肉なことは、ジョーンズ判事がACLU側に立って証言した神学者John Haughtの証言を採用したことである。HaughtはIDは宗教であって科学ではないという意見を表明したが、すぐに付け加えて、進化と宗教の間に矛盾はないと言明した。ジョーンズ判事はこの言明に飛びついて、見解の最後のところでこう述べた――「被告側も多くのIDの提唱者たちも、全く間違った根本的な前提の上に立っている。彼らの前提は、進化論は至上の存在への信仰や宗教一般 と対立するというものである。繰り返しこの裁判で、原告側の科学者たちは、進化論は健全な科学であり、圧倒的に科学者仲間に受け入れられていて、決して創造者の存在と矛盾するものでも、それを否定するものでもないと証言した。」

これはまるで裁判官が、ユダヤ教の豚肉食の禁止が「全く間違った」ものであると宣言するようなものである。「何と言っても、一人のすぐれたラビが、本当のユダヤ教はもはや食べ物についての律法でなく、相互間の倫理的義務を重視すると証言したのだから」とこの裁判官なら言うだろう。一裁判官が、ある宗教が許容するものとしないものについての、争われている熱い論争に決着をつけることができると考えるなら、大きな警鐘が鳴らされねばならない。しかし翻って、ジョーンズ判事はどういう科学がよい科学なのかを決めるという越権的な裁定をしたのだから、彼が神学的な問題を決めてやろうと考えたとしても、驚くことではないかもしれない。

とはいっても、ジョーンズ判事の宣言が上訴裁判所によって再考される見込みはなさそうだ。なぜなら、新しく選出されたドーヴァーの教育委員会は、この争われた方針について反対のキャンペーンを張っていたからで、上訴はまずないからである。しかしあらゆる人の注目を集めたことによって、この論争はとうてい終わったなどとは言えない。最近、ジョージア州コブ郡で連邦判事がある教科書を拒否したことが、連邦上訴裁判所の議論の場で鋭く疑問の対象となった。また、あるカリフォルニア州の連邦判事は、ダーウィン支持のウエブサイトへの挑戦に絡んで起こされた訴訟の却下を求める動議を斥けた。

国を挙げて、立法府や州の教育委員会は「論争を教える」ことの是非と方法の問題を取り上げている。こういった機関が、ジョーンズ判事の分析が説得力あるものと考えるだろうとは思えない。アメリカの自由な探究の精神とより調和する教育方針が現れるにつれて、キッツミラー裁判は、この科学・文化論争の歴史の、興味ある皮肉な一つの脚注として背景に退いていくことだろう。

(デイヴィッド・デウォルフはゴンザガ大学の法学教授、ディスカヴァリー・インスティテュート科学・文化センター上級研究員)

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