Discovery Institute News

ドーヴァー判決後IDを弁護する

By: Patrick W. Gavin
The Washington, DC Examiner
July 19, 2006

ワシントン州発――新しく刊行された『進化論への散策:インテリジェント・デザインと「キッツミラー対ドーヴァー裁判」判決』(Traipsing into Evolution: Intelligent Design and the Kitzmiller vs. Dover Decision)で、共著者のDavid DeWolf, John West, Casey Luskin およびJonathan Wittは、裁判官John E. Jones 三世(任命者ジョージ・ブッシュ)が「キッツミラー他対ドーヴァー学区教育委員会裁判」(2005)において下した判決を批判している。これは「インテリジェント・デザイン」を公立学校に持ち込むことの是非が連邦裁判所で争われた最初の裁判である。ジョーンズ判事の裁定は、「それは科学ではなく、創造論の、従って宗教的な先例から切り離すことができない」がゆえに、IDを公立校の理科の授業で教えることは政教分離の原則を侵すものだというものであった。

「エグザミナー」紙は、キッツミラーに対抗する人々の議論をよりよく理解するために、これらの著者たちをインタビューした。

『進化論への散策』からの抜書き(p.30):――

 ジョーンズ判事は繰り返し、IDは「超自然的創造を必要とする」と主張している。ジョーンズ判事のこの主張は、ID科学者たちの現実の考え方を誤って理解するところからきているのであって、彼らは一貫して、現代科学を通 じて検出された知的原因が、自然の内部にあるか外部にあるかは、経験的な証拠によっては決められないと言っているのである。一つの科学理論としてIDはただ、宇宙や生命体の鍵となる諸特徴は知的原因の産物であるという経験的な証拠がある、と言っているにすぎない。そこに要請される知的原因が自然界の内にあるか外にあるかは、経験的証拠だけでは決めることはできない。その問題は形而上学を含めた哲学を要求する。

Q.あなたがたの「キッツミラー対ドーヴァー裁判」への異論は、それがIDを究極において拒否したことにあるのか、それともこの裁判があなた方から見て、裁判官の権限を越えるところにあるのか?

A.ジョン・ウエスト:この問題は相関連している。ジョーンズ判事がIDを拒否したのは、この裁判の事実的範囲を越え、重要な科学的議論を法的裁判によって決めようとする彼の意図から出たものだ。不幸なことに、他のすべての人に対するIDの有効性を決めようとする熱心さのあまり、ジョーンズ判事はわら人形を叩くことになってしまった。この本に記録した通 り、彼の意見は曲解と事実の基本的な取り違えに満ちたものだ。例えば彼は、ID科学者たちは査読付きの論文を書いていないなどと言っているが、これは明らかに事実に反する。

Q.この場合、法廷が裁判の権限を逸脱したというのは具体的にどういうことか?

A.ウエスト:ジョーンズ判事は、ドーヴァーの学区委員会は、世俗的でなく宗教的理由で行動したものと考えた。現存する判例に従えば、その事実さえあればドーヴァー学区の方針を無効とすることができ、それで裁判は終わりになったはずである。ところがジョーンズ判事は明らかに、それで打ち切ることで彼が哲学王として振舞うチャンスを逃したくなかったのだ。

Q.あなたがたはIDが羊の皮をかぶった創造論creationismにすぎないという議論を、どうやって最も効果 的に退けるか?

A.ケイシー・ラスキン:創造論はバイブルのような聖なる書物からスタートする。しかしIDは科学の経験的発見、例えばDNAに組み込まれている遺伝情報のようなものからスタートする。また創造論は超越的創造者をまず初めに立てるが、IDは単に一つの知的原因を想定するだけで、デザイナーの性質や正体について憶測はしない。
ウエスト:IDと創造論をいっしょにする人は、歴史に対する無知を示している。自然界のデザインの議論はギリシャ・ローマにまで遡るのであって、ダーウィンの時代にも議論の対象だった。面 白いことに、自然選択による進化論の共同発見者であるアルフレッド・ウォーレスは、無目的の自然選択が人間の脳のようなものを説明できるか否かについて、ダーウィンとは意見が食い違った。証拠に基づいてウォーレスは、進化の過程は知性によって導かれるに違いないと考えた。皮肉にもジョーンズ判事は、進化論の共同発見者の考えを憲法違反だと言っているのだ。

Q.あなたがたは、たとえIDが公立学校教育に取り込まれるべきだとしても、理科のクラスだけは厳密な科学的分析に基づき、またそれに制限されるのだから、これは適当ではないという意見には同意しないか? 宗教とか、他のそれにもっとふさわしいクラスがあるのではないのか?

A.ウエスト:あなたの質問は、ID提唱者たちが、公立学校でそれを強制して学ばせようとしているという誤解に基づいたものだ。そんなふうに考えている人はほとんどいない。だからこそディスカヴァリー・インスティテュートは、ドーヴァーの方針に強く反対し、訴訟沙汰になる前にそれを撤回することを勧めたのだ。我々の考えは、学生にネオ・ダーウィニズムに有利な証拠も不利な証拠もともに学ばせることに焦点があるので、ダーウィンに対する代替理論を教えることではない。

ラスキン:IDは強制によって教えられるべきではないが、また同時に裁判所の命令で禁止されるべきでもない。科学の教師たちは、IDが科学に基づくもので宗教ではないという、まさにその理由によって、それについて議論をする自由を与えられるべきだ。デザイン理論は、ある知性が、特殊化されかつ複雑なコードや機械の原因だという我々の知識を根拠としている。経験的検証は、生命世界が言語を基礎とする化学物質のコードや、複雑な分子機械に満ち充ちていることを明らかにする。知性以外にそのような構造物を作り出せるものは存在しない。批判者はID論議が気に入らないかもしれないが、その経験的基礎だけは否定できない。IDは科学的方法を用いて主張しているのだ。

Q.もし創造論を信じ、神がこのすばらしい地球を創ったのだと信ずるなら、天然痘とかエイズのようなものをも創造論者は説明しなければならない。これらもまた神の創造の一部なのか?

A.ラスキン:悪の問題は形而上学的なもので科学の問題ではない。それは我々がIDを信じようと目的のない進化を信じようと、関係なく存在する。だから科学理論としてのIDはあえてこの問題に答えようとはしない。それがIDと創造論とのもう一つの違いだ。つまりIDはデザイナーの道徳的目的については考察しない。ユダヤ・キリスト教の伝統は、なぜ自然の悪が存在するかについて答えを持っている。しかし我々が神学を論じ始めると、科学とIDの範囲から踏み出すことになる。

Q.ジョーンズ判事が自分の権限の範囲を踏み越えたのは、単にこの裁判に関してだけでなく、「インテリジェント・デザイン運動」全体についてだと言うのはなぜか?

A.ウエスト:私は彼が、自分自身の固定観念のとりこになっていたのではないかと思う。裁判中、彼はある記者に、「歴史的コンテクスト」を知るために「Inherit the Wind」(注:スコープス裁判=サル裁判を映画化したもの)を見るつもりだと語っている。判事は、この映画が、歴史家によるプロパガンダ以上のものではないとされている事実を知らないようだ。この映画は、進化論批判者を十把一からげに、大文字のFundamentalists(聖書を文字通 りに信ずる人)として戯画化しているが、不幸にもそれがあまりにも歴然とこの判決に反映されている。

Q.IDが知的科学的根拠を持つのだとしても、それはあまりにも広く政治的・宗教的主張によって利用されているとは思わないか?

A.ウエスト:報道関係者たちは政治や宗教に関して先入観を持っている。だからそういう観点からしか報道しないのが彼らの特徴だ。しかし科学者や哲学者の中には、IDや自然の目的論的理解を支持する人々がますます増えている。そしてますます多くの学術的文献が現れつつある。
ラスキン:我々の新しい本は、IDを支持する科学者たちの、査読と公的編集にかけられた出版物の注解のついたリストを載せている。またそこには、IDは科学的な議論と探究の合理的な主題であることを確認する、85人の科学者による、ドーヴァー裁判へ提出された意見書が載せられている。そういった科学者の中には、多くの国立科学アカデミーのメンバーや、合衆国にまたがる公立大学の生物学者が含まれている。こういった科学者たちは、ジョーンズ判事の裁定やACLU(無神論者団体)に従って存在を許されている人々ではない。不幸なことに、学問の自由と自由な探究のために彼らの提出した訴えは、聞く耳を得られなかったのだ。

(パトリック・W・ギャヴァンは「エクザミナー」紙の共同社説記者)

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