映画『追放―インテリジェンスは許さない』(2008年2月封切り)のためのブログ

以下に紹介するのは、科学におけるインテリジェント・デザインの立場に対する二つの見方である。一方は、優れた才能に溢れ、偏見のない謙虚な人物の言葉であり、他方は、自分は何でも知っていると思い込んでいるが、実際には狭量 さ以外に何も持ち合わせないタイプの人間の言葉である。

「私の宗教は、限りない、より優れた精神(illimitable superior spirit)が自らを開示して、我々のか弱い貧弱な心によって受け止めることのできるわずかの部分を、垣間見せてくれることに対する、謙虚な感嘆からなっている。理解不能の宇宙の中で開示される一つのより優れた理性の力の存在に対する、この深い感情を伴う確信が、私の神概念を形成している」 ―アルバート・アインシュタイン(1921年ノーベル物理学賞受賞者)

「『追放』の背後にいる気の狂ったごろつきどもは、どうやら新しいゲームを始めたいらしい。というのも、迫害の被害者たちに出演を求めたのだ。哀れな嘆願だが、恐らく多くの被害者が集まることだろう。なぜなら、迫害は事実だからだ。我々は確かに、インテリジェント・デザインを学術界や科学、科学教育から排除しているが、それには極めて正当な理由がある。科学の教育課程で占星術、錬金術、創造説、予言、降霊術、鳥占い、魔法などを認めないのと同じ理由であり、それはそれらが科学ではないということだ」 ―PZマイヤーズ(ネオ・ダーウィニスト,ブロガー)

以下は、ドキュメンタリー映画『追放−インテリジェンスは許さない』の代弁者であるベン・スタインのメッセージだが、アインシュタインの驚くほど開かれた科学観に沿った内容である。それは、学問の自由と、あらゆる科学者、教育者、研究者の権利 ―「科学」を装って反有神論的・唯物的な世界観を生徒に押し付けようとする国家、ビッグ・サイエンス、あるいは党派による迫害を受けることなく、何であれ証拠が導く結論に従う権利― についてある重要な観点を提示している。


ダーウィニズム―生物学の帝国主義?

ベン・スタイン 

手短にやさしく述べよう。まっとうな歴史学者なら誰でも、すべてのイデオロギーや世界観はそれが発達した時代の文化的性質を帯びるとともに、その理論の構築者の個性に大きく影響されるという事実を、当然と考えるだろう。

悪の天才カール・マルクスその人が、資本主義が共産主義に屈した後でさえ、社会はそれに先んじた制度の階級構造や文化的価値観に染まっているだろう、と指摘した。筆者より明敏なアナリストたちは、マルクス主義の思想体系全体、とりわけ一つの階級としての資本主義者に対する激しい攻撃は、マルクス一族の富裕な実業家・資本家たちに対する、マルクス自身の妬みが動機となっていると指摘している。

つまり、重要な理論は何の根拠もなく現れるものではない。それらはその理論が現れた時代がもたらしたものであり、その提唱者の個性や背景に大きな影響を受ける。(法律の世界では、この理論は「法的リアリズム」(legal realism)として知られる。判事は先入観に基づいて判断を下したのち、それをあたかも判例によって規定されたかのように正当化する。イデオロギーに関して起きている状況は、「政治的リアリズム」と呼べるかもしれない。人々はその時代や自分の置かれた立場に基づいてイデオロギーを構築する。)

ダーウィニズム ―生物の歴史は適者(そして最も頑健な者)の生存の物語であり、それらは他者より強力かつ支配的であるがゆえに進化するという考え― は、それが出現した時代、すなわち帝国主義時代を最もよく象徴するものである。ダーウィンの執筆当時、白人すなわち北欧人種が世界を治める運命だというのが、一般 的な考え方であった。これは欲望 ―すなわち、単に自分たちより組織化の進んでいない国家や部族の資源に対するヨーロッパ人の欲望― として合理化することもできただろう。上流階級の娯楽の一形態、また武力への夢想を実現する場として説明することもできただろう。(帝国主義を「上流階級のためのアウトドアの楽しみ」と呼んだのはショーだったろうか?)

しかし、それは英国の富裕家庭出身の両親を持ち、富裕な英国人女性と結婚し、英国の帝国主義の絶頂期に執筆した真の帝国主義者の手に渡った。その当時はアフリカとアジアのかなりの部分が“所有”(文字通 り、英国によって所有)されており、帝国主義を正当化する科学的理論が構築されることとなった。最も小さな生物から人間に至るすべてのレベルで帝国主義が機能していて、あらゆる生物環境で強者が弱者を支配し最終的に消し去ると説明することによって、ダーウィンは、帝国主義に関してこれまでの最も説得力ある主張を展開した。帝国主義は善でも悪でもなく、自由主義でも保守主義でもなく、単に自然の事実に過ぎないと言ったのである。アフリカとアジアを支配することは、英国が単に生命の命ずるままに行動しただけのことである。彼は帝国主義の究極の代弁者であった。

ところで、我々は帝国主義が短命だったことを知っている。帝国主義は人間の条件の現実をまったく考慮しない思想体系であった。人間は、遥かかなたで毛皮のガウンを身にまとっている人々に自分の国を所有されたくないものだ。自分のことは自分でやりたいのである。

帝国主義は短命ながら、抑圧と殺人の忌まわしい歴史を残した。しかしその時代は過ぎ去った。

ダーウィニズムは今もしっかりと生きており、生物学を完全に支配している。誰もダーウィニストの主張する方法で、明確なたった一つの種の誕生をも証明できた者はいない。にもかかわらず、ダーウィニズムは学術界とメディアを支配している。またダーウィニズムは、生命体の起源について何ら意味のある説明をしていない。これは生命について説明するはずの理論の、驚くべき欠陥である。

悲しいかな、ダーウィニズムは帝国主義よりはるかに残虐な生涯を生きてきた。恐らくは帝国主義と混ざり合いながら、ダーウィニズムから「社会ダーウィニズム」が生まれた。社会ダーウィニズムは悪意に満ちた人種差別 の一種で、ユダヤ人に対するホロコーストや、その他多くの集団に対する大量 虐殺を、進化プロセスの促進の名のもとに容認したのである。

現在、少数ながらダーウィニズムに多くの面 で疑問を抱く科学者たちがいる。果たしてダーウィニズムの余命はどれほどだろうか。マルクス主義は、万事を説明しようとしたいかにも融通 の利かないもう一つの理論だったが、これは大学のキャンパスと精神異常の独裁者の心の中を除き、すでに死んでしまった。ダーウィニズムはそうならないかもしれない。それは長持ちするかもしれない。が、それは考えにくい。ほとんど証拠もなしにすべてを説明できるかのように言う理論が長持ちするはずはない。その懐胎の時代を越えて生き残り、ほとんど実証もされていないような理論は、信仰に基づかないかぎり、長続きはしないだろう。そしてダーウィニズムは、イデオロギーの歴史の中でも特に苦痛に満ちた血なまぐさい一章であったから、これは支配的な勢力として存在しない方が、我々はきっと幸福になるだろう。

我々は新しい理論を手にするかもしれない。我々は哀れな人間に過ぎない。生命は想像を絶するほど複雑である。我々は今なおそれを解明しようと努力している。手に入る限りのあらゆる情報が必要である。私たちは知っていることについても、知らないことについても謙虚でいようではないか。そうすれば、やがて何らかの答えが得られるかもしれない。

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