インテリジェント・デザイン理論は、哲学的整合性、説明力持つ倫理・道徳の理論
「科学=唯物論=全知識」の独断的な枠組みを破れ
渡辺久義・京大名誉教授に聞く
SUNDAY世界日報
2007 11/11
インテリジェント・デザイン(ID)理論を初めて日本に紹介し、ID派生物学者ジョナサン・ウエルズ著『進化のイコン――破綻する進化論教育』を監訳した渡辺久義京都大学名誉教授に、日本にとってID理論・運動の持つ意味などを聞いた。(ID論争取材班)
独断的枠組みを破るもの
――『進化のイコン』の反響は。
インターネットなどを見る限り、静かに話題になっているとは思います。素直に驚く人が多いようですが、ネット販売のカスタマー・レビューなどでは、ほとんど反発の評価ばかりです。
――ID理論とは何かと聞かれて、手短に答えるとすれば。
長年常識とされてきた科学のパラダイムを転換する理論で、「科学=唯物論=知識のすべて」という独断的枠組みを破るものです。文化的には、これこそ本当の文化大革命と言ってよいでしょう。
――米国では、1980年代あたりから科学者の間で、ダーウィニズムに懐疑的な見方が広がり、そうした出版物も増えて、それがID派学者の結集とID理論の登場につながっています。ところが、日本では今なおダーウィニズムに異議を唱える学者は目立ちません。ダーウィニズムの抱える問題がわからないと、IDを理解しようという機運も生まれにくいと思われますが。
日本ではこの問題はまるで他人事のようで、こういう論争が起こらないこと自体が問題です。出来合いのレールの上を走るのは得意だが、根本から考えてみようという日本人が少ない。根本から考えてみれば大問題を突きつけられるはずで、それが考えるに値しないと考えるのだとしたら、人間としておかしいと言わねばならない。ID理論が問題をすべて解決するというわけではなく、ダーウィニズムを取っても、IDを取っても、それなりの理由はありますが、少なくとも、どちらが問題解決への可能性を秘めているかということぐらいは、判断できないといけないでしょう。
借り物の概念でのみ批判
――米国をはじめ世界各国で多くの科学者が「ダーウィニズムに異議を唱える科学者」リストに名を連ねています。日本の学界などがこのまま無視しつづければ、まさに「井の中の蛙」となり、日本の科学研究が後れをとる恐れもあるのでは。
欧米がダーウィニズムを捨てれば、日本もすぐに捨てるでしょうから、「井の中の蛙」にはならないでしょうが、それ自体が日本人としてシャクな話ではないですか。何でもアメリカの体制派に従ってさえいれば学者として出世できる、などというのは恥ずかしい話です。本当に考え抜いた上でのダーウィニズムだったら貫き通
せばよい。
――日本の主要メディアはこれまで、ID理論を「創造論」「宗教」「原理主義」だとのレッテル張りをしてきましたが、どう思われますか。
「創造論」「原理主義」などというレッテル自体が借り物でしょう。日本にそんな概念はない。批判するなら自分独自の立場から批判すればよい。
――ダーウィニズムが世界観・価値観にもたらしている影響をどうみていますか。
破壊的です。20世紀を支配してきた唯物思想には、マルクス主義、フロイト理論などいろいろありますが、その最も根源にあるのがダーウィニズムです。これは明らかに、20世紀初頭の先進国の政治的戦略として、科学の仮面
をかぶって出発したものです。こういった唯物思想は、人間にとって最も大切な精神的価値を破壊するだけでなく、明らかに間違った宇宙解釈です。
人種差別や優生学の根拠
――米歴史家リチャード・ワイカート著『ダーウィンからヒトラーへ:ドイツにおける進化論倫理学、優生学および民族主義』によると、ダーウィニズムが人種差別
を助長した面があることがよく分かりますね。
この本は非常に重要なことを実証的に論じた優れた本です。特に、われわれの生物教科書に大きな影を落としているヘッケルというドイツの似非(えせ)学者が中心人物で、彼が政治的に解釈したダーウィニズムをヒトラーに手渡したと言ってもよいでしょう。
とにかく、20世紀初頭の列強と言われた国々は、人種差別
や優生学の「科学的根拠」が欲しくてしようがなかった。そのための絶好の利用価値をもっていたのが、ダーウィン進化論だったわけです。これが神聖ともいえる教科書を通
じて入ってきたために、われわれ、特に反対勢力を持たぬ
日本人は完全に洗脳されたわけです。
日本はダーウィニズム天国
精神的な価値を破壊
根本から考える姿勢が必要
――米国のID論争が伝えられる中、日本では論争は起きていません。
論争にも話題にもならず、唯物論科学が唯一の科学として信仰される日本は、ダーウィニズム天国でしょう。2006年、科学誌「サイエンス」が世界38カ国を対象に行った調査では、日本人はダーウィニズムに疑いを持たない国民のトップ5カ国に入っています。
ID派弾圧実態が映画に
――日本の科学界、言論・出版界などでは、「人間がデザインされた」ことを完全に否定するダーウィニズムが、不変の真理のように受容されています。マルクス主義の影響も受けているジェンダーフリー思想が日本で浸透しているのは、当然の帰結とも言えますか。
ジェンダーフリー論者などは、彼らにとってはあまりにも当然だから口にはしませんが、「男女の別
などというものは進化の途上で偶然に生じただけではないか、何でそんなものに縛られるのだ」という理屈が背後にあるでしょう。男女の別
は宇宙的原理として最初からあった、などと言っても、彼らは多分キョトンとするだけでしょうね。
――ダーウィンが『種の起源』を出版して150年となる2009年を迎え、ダーウィン支持・礼賛の出版が相次いでいます。しかしID理論・運動は、そうしたダーウィニストたちのお祭り騒ぎに冷水を浴びせているようです。論争は今後どう展開していくとみていますか。
ダーウィニストたちは今、リチャード・ドーキンズの『神は妄想である』(邦訳)の帯に書いてあるように、「むきになって」いるだけです。ID理論は、ただ哲学的な整合性や説明力を持つというだけでなく、今後は、現実の謎を解決する仮説として、具体的な有効性・予言能力の勝負に出るだろうと思います。
もちろん現体制は長い時間をかけてできたものだから、容易に覆るとは思いませんが、少しずつボディーブローは利いていくだろうと思います。しかし何よりも、彼ら自身のあまりにも露骨なID派弾圧によって――何しろその実態が映画になるくらいですから――自ら滅びの道を選んでいるのです。
図鑑などで幼児から洗脳
――幼児用の図鑑、学校の教科書、NHKの番組など、子供たちに与えられている情報はダーウィニズム一色です。教育という観点から、どのような問題を生んでいるとみますか。
一番深刻な問題は、一つの決まった唯物論的な考え方を押し付けることによって、子供の頭を硬直させてしまうことです。それで科学的に考える子供を作る、などと言うのは全く馬鹿げています。幼児からの洗脳というのは北朝鮮と同じです。しかし日本は北朝鮮と違って自由な国なのだから、親がぼんやりしていてはいけません。少なくとも今、ダーウィニズムをめぐってどういう問題が起こっているのか、ということくらいは知っておくべきでしょう。
――IDがもっと一般に理解されるようになると、倫理・道徳といった面
で、どのような変化が期待されますか。
IDに含まれる最も広い意味においては、この理論は倫理・道徳についての理論と言っても差し支えありません。それは、この宇宙に最初から目的があり計画があり、われわれが何らかの意図をもって創られたものであることが科学的事実として確立されれば、その意図が何であるか、いかに生きるべきかを考えざるをえないからです。今までこれが宗教の教えにすぎなかったために、人は真剣に考えようとしなかったのです。
――IDに対して門を閉じている日本は、科学で遅れるのみならず、道徳的な面
でも損をしていると。
全くその通りです。しかし遅れてもよいが、日本人の一般
の意識が「科学だけでなく道徳的な面でも損をする」というようなレベルに達するかどうかが問題です。
――ID理論と出会い、理解するようになって、その前と後で、ご自身の考え方や見方に何か変化を感じていますか。
私自身は今、生涯で最も充実しています。私が前から欲しくてしようがなかったものが、アメリカの、しかも科学者の間から現れ、私のアンテナがこれをキャッチし、折よく連載を頼まれた雑誌にこれを紹介し始めたことには、運命的なものを感じています。
ただ私は、これを受動的に受け止めているだけではないのです。私のように感じる人たちが協力して、この理論に含まれる大きな可能性を、大きく引き出すような活動をしなければならないと思っています。
ID浸透の素地ある日本
――日本の複数の特集記事は、「ID台頭の背景にあるのはキリスト教原理主義」などと書いて、IDの普及を妨害しているかのようです。しかし、無神論者からデザイン論者に転向した英哲学者アントニー・フルー氏の例が示すように、IDの潜在的爆発力は、宗教的背景をもたない人でも、「科学的証拠の意味」を正しく理解すれば、「人間がデザインされた」可能性を追求せざるを得なくなるということではないかと思います。キリスト教の基盤の小さい日本でも、IDが受け入れられる素地は十分にあるのでは。
その通りです。自分は仏教だし、日本は仏教国なのだからそんな話は関係ない、などと考えるとしたら愚の骨頂です。唯物還元主義を克服して視野を広げよう、ニヒリズムを抜け出そうというIDのような運動が、そういう宗派・教派の問題にしか見えないのだとしたら、まずそこから啓蒙していかなければならないでしょう。
ID運動によって、すべての人が知的デザイナーの存在を認めざるを得なくなったはずです。この宇宙が、特に人間を頭において創られているとしか解釈できないとしたら、ではその目的は何か、知的デザイナーとはどんな存在か、といった科学を超えた問題になります。これによって科学と宗教の分裂といった事態はなくなるだけでなく、両者が相補的に協力して果
すべき、大きな役割が見えてきたと考えるべきです。
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