Discovery Institute News
ドーキンズの「科学」はSF物語か?
By: Jonathan Wells
Discovery Institute
April 21, 2008
無神論者リチャード・ドーキンズは、ドキュメンタリー映画『追放:インテリジェンスは許さない』の製作者に怒り狂っている。ドーキンズはこの映画で、自分が知的デザイン説と宇宙人を信じているかのように撮られているので、これは「イエスのために嘘をつく」ものだとして、この映画製作者を非難しているのである。
ドーキンズはインテリジェント・デザイン(ID)の公然たる反対者である。彼の1986年の『盲目の時計職人』では、ドーキンズは生物学を「目的をもってデザインされたかのように見える複雑なものに関する研究」であると定義している。(この本の副題が示すように)「進化の証拠はデザイン(設計、構想、意図など)のない宇宙を明らかにした」のだから、デザインは単にそう見えるだけである。ドーキンズにしたがえば、進化は、この宇宙とその中にある全てのものが、ランダムな突然変異と適者生存というような目的のない自然の過程によって説明しうることを示している。デザインを排除することで「ダーウィンは人が知的に満たされた無神論者であることを可能にした」のである。
しかしインテリジェント・デザイン論にしたがえば、自然の証拠から、この世界と生物のいくつかの特徴は目的のない自然の過程よりも、知的な原因によってもっとうまく説明できる、と推論することが可能である。IDはデザイナーの性質については(知的と呼ぶ以上のことは)何も述べないが、デザイナーが神である可能性に対しては開かれている。
ダーウィン進化論とデザイン論は、明らかに神の実在に対して相反する意味合いを持つものである。
驚いたことには、『追放』の中のベン・スタインとの長いインタビューで、ドーキンズは、地球上の生物は実際に(単にそう見えるだけではなく)デザインされたものであるかもしれないし、さらにそのデザインは検証できるかもしれない、と述べている。ドーキンズはそれによってIDの中心的な主張を認めていることになる。ただし彼は、そのデザイナー(もしあるとして)は神ではなく、高度に進化した宇宙人であるにちがいないと主張しているのだが。
ドーキンズはインタビューで墓穴を掘ったが、映画製作会社は、ただシャベルを与えただけである。今や彼は穴から這い出ようとして、その穴をさらに深くしている。ドーキンズは4月18日付けのロサンゼルス・タイムスで、「神々と人類―“インテリジェント・デザインの科学”はサイエンス・フィクションである」というタイトルの自分のエッセイの意味を説明しようとしている。
ドーキンズは次のように書いている――「何かをデザインすることが可能な存在は、それが人間のエンジニアであれ異星の宇宙人であれ、複雑なものでなければならず、それゆえ統計的にはありそうもないものである。そして統計的にあり得ないものは、説明されることなく、ただ偶然に自発的に起こることはない。」
「自然選択は」と彼は続ける、「複雑でありそうもないものに対する、私たちの知る唯一の究極的な説明である。かりに私たちの種が、宇宙人のデザイナーによって創造されたものだったとしても、そのデザイナー自身は、より単純な祖先から生じたのでなければならない。したがってそれは決して究極的な説明とはなり得ない。」
よろしい、おそらく誰もが、デザインを宇宙人に帰すことが問題の最終的な解決でないことを認めるだろう。それはただ解決をもっと先へ延ばしただけである。しかし、ドーキンズはどうして、自然選択が「唯一の究極的な説明」であると「知っている」のだろうか? なぜ神ではありえないのか? 知的デザイン論は私たちにデザイナーが神であるとは言わない。しかし、どのようにしてドーキンズは、それが神でないと分かるのだろうか?
その理由は、ドーキンズが繰り返すように、神は統計的にあり得ないからである――「遠く離れた恒星系からの訪問はありえないことで、知的デザイン論の支持者自身からさえ冷やかされるだろう。常に存在していたという創造主である神は、それよりさらにずっとありそうもないものである。」
これはオックスフォードの「公衆の科学理解(講座)」教授にふさわしくひじょうに科学的に聞こえる。そして、あり得なさというものは量
的に表すことができるものであるから、科学的に聞こえるのである。その確率の比較は数値の比較を意味する。
ベン・スタインはこのことを知っている。それで『追放』の中で彼は、神のあり得なさをどれくらいの割合だと思うのか、またその数値をどのように知るのか、とドーキンズに尋ねている。それは私がこの映画の中で、生命の起源に関するマイケル・ルースの「それはすでに話したことです」というインタビューに次いで、最も可笑しかったシーンであるが、ドーキンズは神の実在は99%あり得ないと言っている。スタインは彼に尋ねる、「なぜ97%ではないのですか?」ドーキンズは言葉をにごしながら数値で示すのは簡単ではないと言う。スタインは彼のトレードマークのポーカーフェースなまま、ドーキンズに迫る、「それでは、もしかしたら49%ぐらいかもしれませんね?」ドーキンズは分からないと答えている――しかし確実にもっとずっと高いだろう、と。
ドーキンズのダーウィニズムと神追放への献身的熱意が、何ら確率によるものでないのは明らかである。あるいは、それを言うなら科学の問題でもない。彼のあり得なさの議論は空虚なこけおどしにすぎない。
並みのサイエンス・フィクションの作家でも、もっとましな物語を思いつくであろう。
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