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科学思想警察を敗退させたルイジアナ州
―ネオ・ダーウィニズム保護体制の終り

By: John G. West
National Review Online
July 8, 2008

科学思想警察にとって無念なことに、ルイジアナ州知事Bobby Jindalはこのほど、地球温暖化、人間クローン、そして何より進化と生命起源といった注目を浴びている科学問題について、批判的な考えをもつ教師たちを保護する州法を署名認可した。

反対者たちは、このルイジアナ科学教育新法を「反科学」だと主張している。実際は、誰であれ自分たちに同意しない者を黙らせようとするこの反対派の言動こそ、科学的探究に対する真の侮辱である。

学生たちは、一つの問題をめぐる現在の科学的合意について知る必要があるが、同時に、その合意の基となっている証拠が何であるかを、批判的に評価することができなければならない。彼らは科学者の提供する証拠のみならず、現行の理論によってうまく説明できない矛盾点をも含め、競争し合う解釈について学ぶ必要がある。

にもかかわらず今日、多くの学校では、論争の的となっている科学的問題についての指導は、教育というよりプロパガンダに近い。地球温暖化についての指導は、アル・ゴアの「不都合な真実」と同じくらいに偏っている。人間の性の問題についての議論は、生物学者アルフレッド・キンゼイや、同じイデオロギーによる研究者たちの、ニセ科学をリサイクルしたものである。そして進化論についての授業は、問題を隠し事実と想像を区別 しない戯画的な現代進化論を提供している。これらの分野では、「科学的」と称する見解が、左翼的な政治的・文化的計画にうまく一致する独断論の小ぎれいな箱詰めとして、学生たちに提供されることがますます多くなっている。

しかし本当の科学は、一セットのイデオロギー的主張よりはるかに厄介であり、かつ面 白いものである。ほとんどの保守主義者は地球温暖化の問題になると、これが事実であることをすでに認めている。彼らは、地球温暖化に関して科学者の間にどんな合意があろうとも、それが将来環境へ及ぼす影響、その様々な原因、それを防止する最上の政策について、正当な様々な問題が存在することを知っている。彼らは、この問題に関する矛盾する証拠や食い違う解釈を抑圧しようとする努力が、よい科学教育という大義を推進するものでなく、危機に陥れるものであることを知っている。

地球温暖化に関する異なる見解を抑圧しようとする努力は、胚性幹細胞研究からダーウィン進化論に至る、議論の余地ある広範囲な科学的問題についての「合意」なるものに疑義をもつことを、悪魔の所業のように思わせ、健全な議論への意欲を「科学への挑戦」と位 置づける、より大きなキャンペーンの一部であるにすぎない。

このような「政治的に正しい」科学の環境の中にあっては、異なる見解や矛盾する証拠を学生に教えたいと思う良心的な教師は、科学思想警察ににらまれることを覚悟しなければならない。

ルイジアナ科学教育法は、そのような教師たちに一定の保護を与えることになる。この法律の下では、「学生が諸科学理論を、客観的な方法で理解・分析・批判・検討ができるように、補助的教科書や他の教材を用いること」を、学区が教師に対し許可するものである。この法令は、教師が好き勝手なことをしてよいと認めるものではない。指導は「客観的」でなければならず、不適当な教材は州教委によって却下されることがあり、科学の名においてなされる宗教教育を明確に禁止しており、この条項は「いかなる宗教教義を支持するものとも解釈されてはならない」と明記している。

この法律はルイジアナ州のACLU(米国自由民権連合)幹部でさえ、この文言のままで合憲だと認めざるを得なかったほど、注意深く規定されている。

もちろんこのことによって、この法を、宗教をひそかに教室の持ち込もうとする悪辣な計略だとして弾劾する、お決まりの連中を黙らせることにはならない。ただ良かった点は、反対派のキャンペーンがルイジアナ州では大失敗に終わったことである。州議会の議員で法案に反対を表明したのは3人だけであり、両政党からのほとんど満場一致の支持を得た。この法案を支持しないようにとの地方科学者への働きかけも、同様に失敗した。5月に行われた議会公聴会においては、3人の大学教授(2名の生物学者と1名の化学者)がこの法案を支持する証言をした。彼らは特に、ネオ・ダーウィニズムという、自然選択がランダムな変異に働きかけるだけの、導かれない過程によって生物の複雑性が説明できるとする現代の進化論に対する、正当な科学的批判など存在しないという主張は、間違っていると証言した。

「反科学」の烙印を押されるのを怖れて、保守主義者の中には、科学の合意見解に異を唱えることに臆病な者がいる。彼らは、保守主義者は現在受け入れられている科学の「事実」に異を唱えるべきでなく、ただ、科学者がそれらの事実を政治や道徳や宗教に間違って適用していると思われる場合にのみ反対すべきである、と主張する。こういった人々は、「事実」を決定する権限は科学者に譲っても大丈夫で、それらの事実を彼らが文化の他の方面 に適用することに異を唱える権限を我々が確保していればよい、と考えている。

しかしこの考え方は大いに問題である。

第一に、科学的「事実」と、それが社会に対してもつ意味の間に、防火壁が存在するという考えは支持できない。事実というものには、そこに含まれる意味がある。もし(ネオ・ダーウィニズムが主張するように)生命の進化が計画をもたない偶然と必然の過程であったとしたなら、その事実は我々の生命(人生)観に影響を及ぼす。それは必ずしもリチャード・ドーキンズのような戦闘的無神論に導きはしないとしても、それは生命を発展させて特定の目的に意図的に向かわせようとする神という概念を、確実に、より信頼できないものにする。ダーウィン的世界観においては、神自身が進化の結果 がどうなるかを知りえないのである。だから有神論的進化論者のケネス・ミラーは、人間存在とは進化の歴史の単なる「偶然のできごと」(happenstance)であると言い、もし進化がもう一度起こったなら、それは人間ではなく、考える軟体動物を生み出すかもしれないと言うのである。

第二に、どんな問題でも、現在の科学的合意なるものが、奴隷のように従うに値するものだという考えは、科学の歴史のとんでもない無知からくるものである。これまで繰り返し科学者たちは、普通 の人と全く同じく、狂信、偏見、誤りによって、盲目になることがあるという事実を示してきた。アメリカ史上おそらく最もひどいその例は、優生学運動、すなわちより優れた人間を、人為的に作ろうという間違った考えに基づく運動であった。

20世紀初頭の2〜30年間、ハーヴァード、プリンストン、コロンビア、スタンフォードといった名門大学の主導的な生物学者たち、また米国科学アカデミー、米国自然史博物館、米国科学振興協会といったアメリカの一流の科学機関の科学者たちが、こぞって優生学研究に没頭した。この運動が終りを迎えるまでに、約6万人のアメリカ人が彼らの意思に反して断種(不妊)処置を施された。これは、プリンストンの生物学者Edwin Conklinが「進化と進歩の偉大な法則」と呼んだダーウィンの自然選択の法則に違反しないようにするためであった。

今日、科学は自己修正するのがその特徴であるように言われている。しかし、ほとんどの進化生物学者が優生学というニセ科学から身を引きはがすのに数十年を要した。何年もの間、優生学を最も筋道立てて批判したのは伝統的ローマカトリック教徒であったが、彼らは宗教によって科学の進歩の邪魔立てをするといって、科学者に糾弾された。言外に含まれていた意味は、宗教人は科学に関する公的な問題について発言する権利をもたないということであった。

同じ議論が今日でも、ルイジアナだけでなく全国的に聞かれる。性教育の問題であろうと、胚性幹細胞の問題だろうと、進化の問題だろうと、「科学」を代弁すると自称するグループが、宗教的な市民が科学に関係する問題に口を出すのは反憲法だと主張する。本当だろうか?

アメリカは深く宗教的な国である。そして特定の焦眉の科学問題に興味を示す多くの市民が、一つには彼らの宗教的信念に動機づけられているのは間違いない。それがどうしたというのか? 奴隷制に反対した多くの人々は宗教的信念に動機づけられていた。また市民権運動の多くの指導者が聖職者であった。その動機のいかんにかかわらず、宗教的な市民も世俗的な市民と全く平等に、科学に関する議論を含めた公的な議論において声を上げる権利をもっている。これを否定するのは明らかに、言論の自由と信教の自由を保証する米国憲法第一修正条項に逆らうことになる。

それはまた近視眼的でもある。優生学運動の歴史は、宗教的な動機をもつ市民が、科学者たちの公的主張を評価することによって、有益な役割を演ずることができることを示している。カリフォルニアのような「進歩的な」州とは違って、ルイジアナ州は優生学に勢いをえた強制断種(不妊)法の制定をまぬ がれたが、これはローマカトリック聖職者の頑とした反対によるところが大きかった。

宗教的市民が、証拠や論理、また道徳的な共通 基礎に訴えて公的な場で議論を提供する限り、彼らの考えは、その宗教的見解とは関係なしに、その長所によって判断されることを要求する当然の権利をもっている。

これは宗教的動機の懸念が、これほどに明らかにヒステリックになっている場合には、殊更に真理である。例えばルイジアナ州において、当の科学教育法に反対する反対派のリーダー格はBarbara Forrestだが、彼女自身、戦闘的無神論者であり、「ニューオーリンズ世俗ヒューマニスト連盟」の古参会員である。この法案支持者の、憶測による宗教的動機を糾弾しつづけながら、フォレストは、この法案に反対するロビー活動のための草の根支援を、オックスフォードの無神論者リチャード・ドーキンズの公的ウエブサイトに求めていた。

保守派はこのような反宗教的頑迷を支持すべきではない。また彼らは、現体制批判は反科学であるという思想を信用すべきではない。実のところは、競い合う科学的見解について思慮深い議論を進めることが、真の科学的態度なのである。ダーウィン自身が認めたように、「一つの問題について両サイドの事実と議論を十分に述べ天秤にかけることによってのみ、公平な結果 が得られるのである。」

(ジョン・ウエストはDarwin Day in America: How Our Politics and Culture Have Been Dehumanized in the Name of Scienceの著者、ディスカヴァリー研究所上級研究員)

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