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サルの人権

By: ウォールストリート・ジャーナル社説
Wall Street Journal
July 25, 2008

闘牛の国スペインが、動物の権利擁護で世界の先進国になろうとしているのは、偽善もいいところであろう。スペイン国会の環境委員会が先月、「類人猿計画」の承認を政府に求める決議案を通 過させた。

15年前に作られたこの国際組織は、「すべての類人猿を含めた平等社会」を求めて運動している。この「共同社会」には、チンパンジー、ゴリラ、ボノボ、オランウータン、それにそう、読者のあなたが含まれている。このような動議は動物の地位 を上げるより、人間のそれを下げることになるだろう。

もしマドリッドの政府がこの委員会のすすめに従うならば、スペインはサルに、生命、自由、拷問からの保護を保障する世界で最初の国になるだろう。現実にはそれは、特にサルがサーカスなどで、そしておそらく動物園でも使われないようにすることを意味するだろう。また彼らが科学研究に参加することをも禁じられることになろう。これは人間の生命を救う薬品の研究よりも、サルの福祉を尊重することになる。

サルの人権キャンペーンをする人たちは、サルが我々のDNAのほぼ95%を共有していることを指摘する。彼らはサルたちが、愛や憎しみに似た感情や、道具を使う能力や、伝達の技術といった、ある種の人間の特徴をもっていると主張する。しかし多くの科学者が、類人猿が人間のような特質をもっていることを示す証拠を疑っている。人間だけが善悪の概念を理解でき、道徳的に煩悶することができると彼らは指摘する。いずれにせよ、我々はネズミともDNAのほぼ90%を共有するが、だれも(これまでのところ)ネズミに特別 の権利を与えようと言った者はない。社会が動物の扱いに高い基準を設けようとするのは正しいことであり、そうすることによって我々の他人に対する思いやりは向上さえするかもしれない。しかし「類人猿計画」は正反対の効果 を持つ可能性が大である。類人猿に権利を与えよという主張は、動物たちを我々の倫理の世界にまで高めるが、その代わり人間を非人間化する。人間もサルも同等に道徳的に扱うように奨励するというより、それは人間を動物のように扱うことを正当化する方に働くだろう。

「類人猿計画」の発案者の一人であるプリンストン大学教授のPeter Singerは、「人間と人間以外の動物の間の障壁を打ち壊す」ことが目的だと言う。動物に権利を与えないということは、人種差別 に似た偏見の「種差別」だと彼は言う。

これは人間の生命が神聖だという考えを拒否することですでに悪名高い、あの同じピーター・シンガーである。それどころか、彼の功利主義的哲学は、障害をもって生まれてきた子供を生後一ヶ月以内に、またある条件のもとでは、自分でものを考えられなくなった老人を、殺すことを容認しようという説に導いたのである。

人間の生命を特別で神聖なものとするのが文明の基礎である。人間が持って生まれた尊厳というものをもはや認めなくなれば、それは直ちに「望ましくない」人の命を除くことにつながっていく。

シンガー流の子殺しと安楽死は、この同じ考え方の一方の端にあるもので、もう一方の端には集団虐殺がある。民族虐殺の犠牲者たちは、最初にこれを正当化するために非人間化され、しばしば動物にたとえられるのが普通 である。ナチスはユダヤ人をネズミに、ルワンダのツチ族はゴキブリにたとえられた。

我々には動物の苦しみを小さくしてやる責任があるが、それは我々人間に特有の権利から生ずるものである。そうした権利を動物にも要求するということは、決して道徳的勝利でなく、道徳的相対主義へと滑り落ちていくことになる。

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