Evolution News and Views
医者をしてる息子が言うにはね(2)
―テキサスのダーウィニストたちに糺す
By: David Klinghoffer
April 2, 2009
以下に述べることは、いささか衒学的に聞こえるかもしれないが、事の重大さにかんがみて、学問的な正否をただしておかなければならないことである。
テキサス教育委員会の公聴会で争点となっていたのは、要するに、ダーウィン理論が今なお説得力をもっているのかについての根幹にかかわる生物学上の議論が、高校生に知らせるに値する問題かどうかということであった。この論争には多大なものがかかっている−−人間であることの意味である。だから細かい点をきちんとしておくことが肝要であろう。これは理解できない学者間の内輪もめではない。にもかかわらず、ダーウィニストのWetherington
とHillsは、繰り返し繰り返しテキサス教委に対して、これはたいへん単純で明白な問題で、論争などというものはなく、すべて解決済みだと証言した。その調子は、傍聴者のJohn
Cleeseの言葉を借りれば、フルート奏法を教えるのに、「ほら、ここを吹くんだよ、そして指はここをあっちへこっちへ動かせばいいんだ」と言っているようだった。
ウェザリントン博士は南メソジスト大学の人類学者で、専門は人間の進化だから、この問題についてはよく知っているはずである。にもかかわらず、質問されると彼は、人間の起源は「世界のどの哺乳類と比べても、化石上つながった最も完全な連続をなしており、ギャップは全くありません。移行化石で欠けている部分はないのです。…だから人がよく移行化石の欠如とか、化石記録のギャップだとか言っているが、これは全く真実ではありません」と、ハッタリを言って聞かせた。
しかし彼自身の分野の権威によれば、これは完全に真実である。ウェザリントンは3つの移行化石と想定されているものについて調子よく喋り、これは明らかに委員会の、そちらへ傾いている人々には、もっともらしい説明だった。しかしその3つのうちの1つ、Sahelanthropus
tchadensisは、主導的科学者たちによって「雌ゴリラの頭蓋骨」として退けられ、もう1つのArdipithecusは、数本の歯を根拠にした原人だと言われている。
S. tchadensisに関しては「ネイチャー」誌が、もしこれが原人として受け入れられるならば、「それは人間の起源のきちんとしたモデルを台無しにするものだ」と断定した。Ardipithecusについては、古人類学者のTim
Whiteが、それ、あるいはその歯が現れた時期を、「化石記録のブラックホール」と呼んでいる。つい最近2004年に、進化生物学者Ernst
Mayrが、人間起源の記録の巨大なギャップについて正直にこう論じている――「ホモ(人間)の最も初期の化石、Homo
rudolfensisとHomo erectusは、Australopithecusからは全くつながらない、大きなギャップによって隔てられている。この飛躍に見えるものをどう説明できるだろうか? ミッシング・リンク(失われた環)として役立つ化石が全くないのだから、我々は歴史学の古い方法である歴史物語の構築というやり方に後戻りしなければならなくなる。」2000年、ミシガン大学のある研究は、これを人間起源の「ビッグバン理論」という適切な呼び方をし、「初期のHomo
sapiensの構成員は、そのアウストラロピテクスの祖先やその同時代のものとは、明白に全く別
ものである」と言っている。
ウェザリントンが眼の進化を説明するときも、あらかじめ存在する感光点から説明し、難問をいとも簡単に片付けるやり方は、恐ろしく単純化するもので怪奇物語じみている。眼の問題を解いたことになっている本として彼が推奨するのは、フランシス・アヤラの『科学と宗教へのダーウィンの贈り物』だが、この本は滑稽にも、眼の進化には次のことが起これば十分だと言っている――「更なる段階、すなわち、この感光点のまわりの色素の沈積、細胞が椀の形に配列されること、表皮が硬くなってレンズの発達につながること、眼を動かす筋肉と光のシグナルを脳に伝える神経の発達、などが徐々に脊椎動物やタコ・イカの眼、さらには昆虫の複眼のような高度に発達した眼へと、徐々につながっていった。」
ドーキンズのよくやるこうした議論の馬鹿ばかしさは、マイケル・ビーヒーやデイヴィッド・ベアリンスキーらによって痛々しいほどに批判された。Sean
Carrolのようなダーウィン進化生物学者でさえ、「単純な」眼のスポットという議論に対して警告している――「しかしこういった眼の構築や出現といった単純な考え方に騙されてはいけない。眼はもっと複雑な多くの要素によって組み立てられ、それらを用いているのである。」
ウェザリントンはこれによって自らを騙し、好んで騙されたがっている聴衆をも騙したのである。この調子で彼は雄弁をふるい、遺伝学や生化学の知識が増えていくにつれて、「自然選択による進化が、遺伝学を利用しそれを取り込むことによって、ますます優れた完全な説明になっていったのです」と言った。もちろん、真実はその反対で、そういった分野について知れば知るほど、ダーウィニズムはますます説得力を失っていくのである。
悪名高いID理論家がそう言うだけではない。2000年にはAnnual
Review of Genomics and Human Geneticsが、「導かれない変異が自然選択に結びつくことの過程が、きわめて多様で、最善化された機能をもつ、何千もの新しいタンパク質を作り出すことの神秘」にふれ、「この問題は、多くの相互作用する部分からなる緊密に統合された分子システムについては、特別
に深刻な問題である」と述べた。2001年には、生化学者Franklin
Haroldが、「現在、いかなる生化学あるいは細胞のシステムについても、進化の詳細なダーウィン的説明は存在しない。ただ様々の希望的空想があるだけだ」と言った。
今年、Genetics誌において、2人のコーネル大学の数学者が、いろんな点についてマイケル・ビーヒーに難癖をつけたが、特定の一対の相互依存する変異を生み出すのに必要な時間スケールは、人間が進化したと考えられている時間をはるかに上回るだろう――1億年プラスvs数百万年――ことは認めた。
遺伝学について知れば知るほど、もし自分に正直であろうとすれば、ますますダーウィンを疑わなくてはならなくなる。
私は、ウェザリントンが故意にウソをついている、とは言っていない。むしろ、誰でも生涯をかけて何かに取り組んでいる人たちは、彼らの一生の仕事がそこにかかっている肝心要の虚構を維持するために、それとは気づかず自分にウソをつくようになるのは、当然のように思える。それが人間というものである。
しかしウェザリントンが事実に関していい加減だということ、これは見逃せない。ヒリスと同様に、彼もビーヒーの還元不能の複雑性について「この論争は終わった」と気軽に言ってのける。1996年に『ダーウィンのブラックボックス』が出て以来、これをめぐる賛否両論の主流出版物が今も続いているにもかかわらず、である。
もっと単純な事柄についても、ウェザリントンは事実を間違えている。彼は「ミッシング・リンク」という言葉はもう科学雑誌では使われないと証言した。しかしそれはScience,
Nature, Paleobiology, American Journal of Physical
Anthropologyといった雑誌で今も使われている。
彼はまた、カンブリア爆発は「少なくとも2500万年か、もっと長い」期間にわたって起こったと証言した。しかし主流科学者たちは、この時間枠を1000万年以下と見積もっている。彼は、この動物門(animal
phyla)の大爆発は、2つの門だけが主要なのだから大して意味がないと言った。しかしそうではない。28のうち19の門が現れたのである。彼は委員会のメンバーを、げっ歯類は分類学上、綱(こう)になると言って喜ばせたが、実際は目(もく)である。またHox
遺伝子は「一つの種類の動物を別の種類に変えるのに」変異する必要がないと言ったが、これはダーウィン生物学者をさえ仰天させる情報である。
こういった調子である。こんなことを言うのは、学者ぶっているように思われるかもしれない。しかしこの人物は、専門家として立てられたにもかかわらず、明らかに彼の専門知識と称する事実を誤って伝えている。しかも残念なことに、これは彼だけではない。デイヴィッド・ヒリスも同様である。
委員会の多数派がこれに騙されなかったのは幸いであり、疑念をもつ素人にとっても名誉な結果
となった――全米科学教育センターは気の毒にも、歯噛みをして嘆くことになったが。
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