Evolution News and Views

「生命の樹」初等読本(2)

By: Casey Luskin
May 6, 2009

ダーウィニストは一般世間に向かって話すとき、生物共通 の祖先の証拠があると強調したがるのは有名だ。例えば2009年1月、テキサス州教育委員会で行ったスピーチにおいて、テキサス大学の進化生物学者David Hillisは、「生命の樹についての世界的な専門家の一人」として自分を紹介したあとで、生物分子を用いて進化の歴史を再構築するとき「タンパク質とタンパク質、DNA配列とDNA配列を次々に比較してみれば、そこには圧倒的な一致する対応関係があるのです」と委員会に向かって話した。しかしこれは正確ではない。実際、専門的な科学文献において、矛盾、不一致を見出している豊富な科学論文と、明確な進化の歴史の見取り図と共通 祖先の概念を、全く確認できないでいる分子のデータを見出すことができる。

現に、ヒリス博士が証言をしたまさにその日に発行された「ニュー・サイエンティスト」誌のカヴァー・ストーリーは、「なぜダーウィンは生命の樹について間違っていたか」というタイトルをもつ。ヒリスの分子系統学についての荒っぽい過度な単純化とは裏腹に、この論文は「問題は、さまざまな遺伝子が矛盾する進化の物語を語っていることだ」と報告している。同論文は、さまざまな生きた生物の遺伝子とタンパク質の配列を調べることによって、生命の樹は倒れたと述べている――

「長い間、〈聖杯〉は生命の樹を樹立することであった」と、パリにあるピエール=マリ・キューリー大学の進化生物学者エリック・バプテストは言っている。数年前には、この聖杯は今にも手が届きそうに見えた。しかし今日この計画は、否定的証拠が押し寄せたことによって木端微塵に砕かれている。多くの生物学者が今では、生命の樹の概念は時代遅れとなり、放棄されねばならないと考えている。「生命の樹が現実であるという証拠は全く存在しない」とバプテストは言う。この爆弾は、一部の学者をして、我々の生物学の基本的な見方に変革が求められていると考えさせるに至った。

もちろんこれらの科学者たちはすべて信念をもった進化論者だが、それが却ってこの告白に重みをもたせている。要するに根本的問題は、ある一つの遺伝子とタンパク質が「生命の樹」の一つの物語を語るとすれば、別 の遺伝子とタンパク質が全く違った樹を作り出すということである。「ニュー・サイエンティスト」の論文はこう言っている−―

いろいろ問題が生じてきたのは1990年代初期、単にRNAだけでなく、現実の古細菌遺伝子(archaeal genes)の配列を決定することが可能になってからである。誰しもこれらのDNA配列は、RNAの樹を確認するものと期待していた。ときにはその予想は当たったが、肝心なことは、当たらないことがあったことだ。例えば、RNAは、種Aは種Cよりも種Bにより近い親戚 であることを示唆するが、DNAから作った樹は全くその逆を示唆することがあるのである。

同じように、主導的な進化分類学者のW. Ford Doolittleはこう説明する――「分子系統学者が“真の樹”を見つけそこなったのは、彼らの方法が不適当だったからとか、間違った遺伝子を選んだからではなくて、生命の歴史が樹の形で表現するには適していないからであろう。」ヒリス(と他の人たち)は、この問題が生ずるのはただ、「水平的遺伝子転移」と呼ばれる過程によって遺伝子の交換がなされ、したがって進化のしるしが不明瞭になる、バクテリアのような微生物の進化の関係を再構築しようとするときだけの話だ、と主張するかもしれない。しかしこの反論は通 用しない。なぜなら生命の樹が疑わしいのは、そのような遺伝子交換が起こらない高等生物においても同じだからだ。この論文は次のように説明する――

Sylvanenは最近、ヒト、カエル、ホヤ、ウニ、ショウジョウバエ、線虫に共通 の2000個の遺伝子を比較した。理論から言えば、彼は遺伝子配列を用いて、これら6種の動物の間の血統関係を示す進化の樹を構築することができたはずである。だがそうはいかなかった。問題は、異なった遺伝子が互いに矛盾する進化の物語を語ったことだ。これは特にホヤの遺伝子の場合がそうだった。慣習的には、ホヤ――被嚢動物とも呼ばれる――はカエルやヒトや他の脊椎動物と共に脊索動物門(Chordata)に入るものとされる。しかし遺伝子は混線した信号を送っていた。たしかにある遺伝子は脊索動物に入るものだが、他の遺伝子は、ホヤは脊索動物ではないウニの仲間であることを示していた。「その遺伝子のほぼ50%が一つの進化の歴史を示し、あと50%が別 の歴史を示している」とシヴァーネンは言っている。

高等生物の間でさえ「問題は、異なった遺伝子が相矛盾する進化の物語を語った」ことから、シルヴァーネンは、これらより高等な生物グループの関係に関しても、「我々は生命の樹を無に帰せしめた」と言うに至った。これは「タンパク質とタンパク質、DNA配列とDNA配列を次々に比較してみれば、そこには圧倒的な一致する対応関係があるのです」というヒリスの証言に真っ向から対立するものである。

他の科学者たちもこの「ニュー・サイエンティスト」論文の結論に同意している。「サイエンティスト」誌に載ったある最近の研究は、動物の血統関係の系統樹を築こうとしたが、「データの豊富さと分析された分類群の幅広さにもかかわらず、ほとんどの動物門の間の関係は未解明のままである」と結論した。進化分子系統学の草分けであるカール・ウォーズ(Carl Woese)は、これらの問題は進化の樹の根を超えた大きく広がる問題だとして、次のように述べている――「進化系統学上の矛盾不一致は、この普遍的な樹のあらゆる場所――その根からさまざまな分類群の内部および相互間の主要な枝分かれまで、また最初のグループ分けそのものの構成まで――あらゆるところに見られるものである。」

同様に、米国科学アカデミーの生物学者Lynn Margulisは、ヒリスの専門分野である分子分類学(系統学)について厳しい批評をしている。論文「系統学の樹は倒れる」の中で彼女は、「多くの生物学者は、ランダムな変異(目的のない偶然)が新しい生物種を生み出す遺伝する多様性の根源であり、生命とは一本の共通 の樹が二股に分かれる系統学の樹のパターンで進化したものだと、確信をもって主張している!」と説明する。しかし彼女はそういう見方には反対で、進化分類学者の独善主義を攻撃してこう言っている――「特に独善的なのは進化の樹の分子モデルを作る人たちで、彼らは(websのような)代替トポロジーに無知なので祖先の研究をしないのだ。」

「生命の樹」を再建することの困難を告白する著しい例は、「生命の樹の中の藪(灌木)」と題するPLOS Biology誌の論文にも見られる。著者(たち)は「単独の遺伝子の大部分は質の悪い系統樹を生み出すだけ」であることを認め、ある研究は単独の遺伝子の35%をデータ・マトリックスから省略したが、それはそれらの遺伝子がしきたりの知恵(conventional wisdom)に反する系統樹を生み出したからであった」と言っている。この論文は、「利用しうるこれまでのデータの豊富さにもかかわらず、系統樹のある決定的な部分はずっと解明が困難かもしれない」と言う。同論文は、「根強く解明を拒むクレード(clade共通 の祖先から分岐した生物群)の繰り返される発見は、分子分類学の広く受け入れられている想定のいくつかを、見直す必要を迫るであろう」とさえ主張している。

不幸なことに、これら進化生物学者が変わりつつあると考えたがらない一つの想定は、ネオ・ダーウィニズムと生物共通 の祖先が正しいという想定である。

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