The Washington Post (washingtonpost.com)

「信仰と進化」論争を正しく捉えるために

John West (Senior Fellow at Discovery Institute)
June 2, 2009

進化は神への信仰と両立するのだろうか? これは最近ますます注目されるようになってきた問題である。

一方では、生物学者リチャード・ドーキンズのような「新しい無神論者」たちが、ダーウィン進化論を「知的に満ち足りた無神論者になることを可能にするもの」として主張している。

他方では、フランシス・コリンズのような「新しい有神論的進化論者」たちが、神はダーウィンと仲良くやっていけるのだ、有難いことだ、と人々を説得しようとしている。「ヒトゲノム解読計画」の主任だったコリンズは、最近、信仰をもつ人々にダーウィン進化論を受け入れさせようと試みるウエブサイトを開設している。

ドーキンズとコリンズはしばしば、信仰と進化に関する論争の二つの選択肢であるかのように喧伝されている。しかし両者はともにダーウィン理論を受け入れるものであるから、それは論争全体の一端をしか取り上げていないことになる。最近のメディア報道からたいてい除外されているのは、アメリカ人のかなり厚い層だけでなく、ますます多くの科学者たちがダーウィン理論を信用しなくなっているという事実である。

この問題を論ずる場を広げようとして、ディスカヴァリー研究所では最近、現代ダーウィン理論を科学として、またその含む意味の問題を、両面 とも恐れることなく論じようとする科学者や学者に、その場を与えるウエブサイトwww.faithandevolution.orgを開設した。このサイトには、進化論の宗教への影響、インテリジェント・デザインの主張、ダーウィン理論と「社会ダーウィニズム」の関係といった話題についての、競合する見解に光を当てる「論争」のセクションが含まれている。

このサイトはまた、なぜそもそもダーウィン理論が、信仰に対する大きな挑戦となるのかの問題について混乱が生じているのを、解決しようとするものでもある。多くの人たちが考えているのとは違って、混乱は、進化論が生物は何百万年もかけて変化したと主張しているとか、動物は一つの共通 祖先から生じたと言っていることからさえ、来ているのではない。

問題の要(かなめ)は、人間を含めたすべての生物は、自然選択がランダムな変異や変種に働きかける、盲目的で導き(方向性)のない過程によって現われた、というダーウィンの主張にある。ハーヴァードの古生物学者だったジョージ・ゲイロード・シンプソンの言葉を借りれば、「人間は、彼のことなど頭になかった無目的の自然的プロセスの結果 である。」

ダーウィニズムの導かれない過程を有神論と調和させようとするいくつかの試みがある。しかしそれらは、長い伝統となってきた神への信仰を放棄することを意味する。

この考え方の要は、神が生命世界の展開を、ある特定の目標へ向かって方向付けたとするところにある。「有神論的」進化論の代表的な唱道者の一人である生物学者ケネス・ミラーによれば、神は進化の特定の結果 を計画したのではなく、従って人間もそのようなものではない。ミラーによれば人間は「あとから考えたもの、全くマイナーなもの、省いても差し支えなかった歴史の偶然」である。神は、導き(方向性)のない進化は、彼を讃えることができるある種の動物を造り出すほど、素晴らしいものであることを知ってはいたが、それは人間でなくとも、「大きな脳をもつ恐竜」でも「例外的に頭のいい軟体動物」でもよかったのである。

このような議論がほとんどの宗教的な人々に与える不快感を軽減しようとして、フランシス・コリンズは、神は、たとえ進化が「ランダムな導かれない過程」に見えるようにしたとしても、特定の進化の結果 をあらかじめ知っていた「可能性」がある、と言った。言い換えれば、神とは宇宙のトリックスター(ぺてん師)で、人々をうまく騙して、自然界が実はそうではないのに、盲目的で無目的だと思わせるようにしたのである。

このような議論がとうてい満足を与えるものでないことを悟るのに、人は宗教的ファンダメンタリスト(聖書を文字通 りに信ずる人)であることを要しない。それどころか宗教的である必要さえない。メディアの取材報道にもかかわらず、有神論的進化論は主導的な進化生物学者が忌避する考え方で、2003年の調査では、彼らの87%が神の存在を否定し、90%が、進化が「究極の目的」に向けられていると考えることを拒否している。

有神論的進化論者は、ダーウィンの19世紀的機械論プロセスを弁護しようとして過去にとらわれているが、他の科学者や学者たちは、21世紀の科学は急速にダーウィンを過去のものにしつつあると考えている。
リアルタイムで進化の実験ができるバクテリアによる実験では、自然選択のような導かれないプロセスから生み出されるものは、ほとんど何もないことがわかっている。タンパク質配列による実験では、タンパク質配列が機能を果 たすためには、いかに驚嘆すべき微調整がなければならないかが示されつつある。そして我々一人ひとりがもっているDNAは、生物界の大変革の究極の原因として、偶然や必然でなく、心(精神)の存在を指し示す、莫大な遺伝情報を示しつつある。

このような発見は神の存在を「証明」するものではないが、それらは生命が、心をもたぬ プロセスでなく、知的な(インテリジェントな)プロセスによってもたらされたことを示す、困惑するほどの証拠を提供している。そしてこれは確かに信仰にとって積極的な意味をもつ発見である。

もし我々が信仰と進化について実のある議論をしようと思うなら、その内容は、ダーウィン理論が人を満足させるものでないと考える科学者や学者がますます増えている事実を、除外するようなものであってはならない。さもなければ、それはモノローグであって対話にはならないであろう。

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