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“ジャンク”DNA――ダーウィニズムの最後の砦?

By: Jonathan Wells
June 4, 2009

進化の証拠は「圧倒的」だと我々はしばしば聞かされる。もし「進化」が「時間をかけての変化」という意味なら、あるいは存在する種の内部での小さな変化を意味するなら、これは当たり前のことである。しかし「進化」がダーウィン理論を意味するならばどうか? ダーウィンによれば、すべての生物はある共通 先祖の子孫で、それらはランダムな変異とか自然選択といった導かれないプロセスによって変形したものである。

ダーウィン信者の宣伝にもかかわらず、この理論の証拠は圧倒的に乏しい。自然選択は、人工的選択と同じく、すでに存在する種の内部での小さな変化しかもたらさない。しかしダーウィンの『自然選択による種の起源』の出版からの150年の間に、誰一人として自然選択による新しい種の始まりや、いわんや新しい器官やボディ・プランの始まりを観察した者はいない。だから、すべての生物は生物学的に一つの共通 祖先から出ているという証拠は、化石や現存する種の間の似寄りや違いから来ているのである。しかしそのような比較をするとき、ダーウィニストたちは共通 先祖を最初に仮定することから出発する。そこで彼らはその相似性や相違性を、一つの祖先から生じてきたであろうような枝分かれする樹のパターンに当てはめ、しばしば残る明らかな不一致には目をつぶる。

だから存在する種の内部での小さな変化以上の変化の証拠は、驚くほど希薄である。他のほとんどの科学分野であれば、これほどの経験的サポートの乏しい理論は、おそらくとうの昔に棄てられていたであろう。ダーウィニズム支持者にとってさらに悪いことには、彼らの理論は今インテリジェント・デザイン(ID)という理論の新しい挑戦を受けることになった。IDによれば、自然からの証拠は、生き物の特性のあるものは導かれない自然の過程によるよりも、知的原因によってよりうまく説明されることを示している。

ジャンクDNAに救いを求める?

ダーウィンは種の多様性の起源とその遺伝的伝達法について、間違った考えをもっていた。進化理論が今日見るような優勢な地位 にまでのし上がってきたのは、その信奉者たちが1930年代にメンデルの競合する遺伝理論を受け入れて以来のことである。現代のネオダーウィニズムによれば、@世代から世代へと引き継がれる遺伝子は胚発生を支配するプログラムを担っている、A突然変異が時たま起こって遺伝的プログラムを変え、新しい変異種をつくり出す、Bそして自然選択がこれらの突然変異種――進化の原材料−―を選別 して、環境により適した生物を生み出す、というものである。

1950年代に分子生物学者たちが、一つの生物のDNAのヌクレオチドというサブユニットの配列が、タンパク質を暗号によって指すことを発見し、「遺伝子」と「タンパク質をコードする配列」とを同等のものとした。遺伝的変異がDNAに起こる分子の偶然的事故から来ているとわかったとき、ネオダーウィニズム理論は完成したかに思われた。1970年代には分子生物学者ジャック・モノ―が、その「遺伝の物理的理論」と、「これも分子生物学が与えたものである突然変異のランダムな物理的基礎の理解とともに、ダーウィニズムのメカニズムはついに確固として基礎付けられた。だから人間は、自分が単なる偶然の存在であることを理解しなければならない」と宣言した。

デザインが考慮外とされていた頃、オックスフォード大教授のリチャード・ドーキンズが1976年、DNAの唯一の「目的」はそれ自身の生き残りを確実にすることだと書いた。ドーキンズは、成功している遺伝子の優勢な特質は「非情な利己主義」だと考えた。そこから結論されるのは、「我々と他のすべての動物は、我々の遺伝子によって造られた機械である。成功しているシカゴのギャングのように、我々の遺伝子は非常に激しい競争世界の中で、ある場合には数百万年も生き延びてきた。一つの身体とは、遺伝子が遺伝子を変わらないまま保全する方法にすぎない」ということである。こうして自然選択は、「生き残り機械を造るのがうまい遺伝子、胚発生をコントロールする技術に長けている遺伝子」に有利に働くのだ。そして遺伝子は、身体を造るタンパク質を暗号化することによって、胚発生をコントロールしている、と言った。

しかし1970年代には、人間や他の多くの動物のDNAの大部分が、タンパク質をコードしていないことが明らかにされた。1972年、ススム・オオノが「我々のゲノムには非常に多くの“ジャンク”DNAがある」と言った。ドーキンズはこれに気づいていたが、彼はこのようなジャンク(がらくた、ごみ)はネオダーウィニズムの論理と辻褄が合うと論じ、こう書いた――「生物におけるDNAの量 は、その生物を造るのに厳密に必要な量を超えている。DNAの大半は決してタンパク質に翻訳されない。個々の生物という観点からすると、これは逆説的に見える。もしDNAの「目的」が身体を造るのを監督することであるなら、そのようなことをしない大量 のDNAが存在するのは驚くべきことである。生物学者たちは、この見たところ余分のDNAがどんな役に立つ仕事をしているのかと頭を悩ませている。しかし利己的遺伝子そのものという観点からこれを見るならば、逆説的なものは何もない。DNAの真の「目的」は生き残ることであって、それ以上でも以下でもない。余分のDNAを説明する最も単純な方法は、それが寄生者だと考えること、あるいはせいぜい、他のDNAによって造られた生き残り機械に便乗している、無害だが無益な乗客と考えることだ。」

1980年、Francis CrickとLeslie Orgelは、「ネイチャー」誌上で「高等動物の多くのDNAはジャンクといってもいいようなものだ」と論じた。進化の途上でジャンクDNAが拡散することは「宿主の内部であまり有害でない寄生生物が拡散することにたとえることができる。」このようなDNAが機能をもつとは考えにくいことだから、「このような場合にしつこく(obsessively)機能を探し求めることは愚かなことであろう。」この同類ともいえる論文で、W. Ford DoolittleとCarmen Sapienzaは、多くの生物には「その唯一の機能がゲノムの内部での生き残りであるようなDNA」が含まれているのだから、「それ以外の説明を探し求めることは、知的に不毛とは言えないとしても、究極的には無駄 なことだ」と同じ論調を展開した。

不賛成の意見を「ネイチャー」に表明した生物学者もいた。Thomas Cavalier-Smithは、ノン・コーディングDNAをジャンクとして切り捨てることは「時期尚早(premature)」だと言い、Gabriel Doverは、「何らかの配列の仕方があって、まったく目新しい、常識的ではないやり方で生物学的に影響を与えているかもしれないのだから、我々はその理解に到達するすべての希望を捨て去るべきではない」と論じた。オーゲル、クリック、サピエンツァはこれに答えて、高等生物には「寄生的」DNA、あるいは「死んだ」DNAがあることは「ほとんどの人々が同意していることだ」と言い、「意見の違いはその割合の量 的推定についてだけである。これは経験によって決定していくよりほかないと考える」と書いた。

1980年当時、DNA配列決定の技術は遅々として面 倒なものであった。しかしそれは急速に改善した。1990年、米エネルギー省と国立衛生研究所が「人間ゲノムプロジェクト」を設立し、2005年までに全人間ゲノムの配列決定をすることを目指した。

しかし1990年代を通じて、多くの生物学者は、人間のDNAの多くは機能をもたない「ジャンク」だとみなし続けていた。例えばVoet & Voetの1955年版Biochemistryには、「真剣に受け入れられるべき可能性は、多くの反復するDNAはその宿主に対して、全く有益な目的に役立っていないということである。むしろそれは利己的あるいはジャンクDNA、分子の寄生者だということである」と書かれている。「一つの真核生物のゲノムの、大部分ではないとしても、意味のある大きな割合が利己的DNAである」可能性があると言っているのである。

追い追い、ジャンクDNA仮説について更に詳しく論じてみようと思う。

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