Evolution News and Views
フランシス・コリンズのID迫害など存在しないというアプローチ
Casey Luskin
August 14, 2009
先週私は、Books and Cultureに載ったFrancis Collinsのインタビュー記事で、彼がIDは反証不能だという間違った主張をしていることを指摘した。このインタビューについて更なる批判をする前に、私はいくつかの点で、フランシス・コリンズの声は進化とID論争にとって歓迎すべき一石となるものでもあることを認めておきたい。私がコリンズ博士に大いに同意できる点は、物理学上の微調整の事実や、人間の心理や振舞(我々の道徳的・宗教的衝動)のような多くのより高度な側面
へのダーウィン的説明が脆弱である事実を、デザインの証拠と見る点である。コリンズはもちろん、生物学におけるIDに同意しない権利はある。しかしその不同意を表明するのに彼が最近ますます用いるようになった、底意のある不正確なレトリックには私は悲しくなる。
最近のKarl Gibersonによるコリンズのインタビューにおいて、この二人はNCSE(全米科学教育センター)の用いるのと同じ冷酷で不正確な修辞的言辞を弄している。コリンズはIDを「科学の埒外」だと言い、ジバーソンは「進化を否定するもの」だと言う。IDはこの二つのどちらでもない。科学者として活動しており、進化論のいくつかの核心的主張(分類全体にわたる時間をかけての変化や共通
祖先さえ)を受け入れている高度に信頼性のあるID唱道者たちがいる事情を考えれば、コリンズ博士やジバーソン博士は単にIDの性格を間違って述べているだけと思えるかもしれない。
しかしコリンズとジバーソンが繰り返し用いるおそらく最も不幸な修辞的戦略は、学界においてID唱道者への差別
があると主張する者たちは単に迫害を想像しているにすぎないという、NCSEが前から取っている立場を採用していることである。コリンズはこう言っている――
そんなふうに言うのは、進化論は今にも暴かれようとしている陰謀だという考えをばらまくための都合のいいやり方である。映画『追放』の背後にあるのもそれで、この映画も真理を押しつぶそうとする陰謀が存在するという同じ立場で作られている。こうした見方は科学の性格を完全に誤解するものである。科学者共同体の内部で生きてきた者なら誰でも、その世界観のいかんにかかわらず、科学にそのような陰謀が可能であるという考え方にたちどころに反逆するだろう。科学者はすべて物事を転倒させ切り崩そうとするものだ。もしあなたが本当に進化論を転倒させる方法を発見したのなら、あなたは確実にノーベル賞をもらえるだろう!
科学の外側にいる人々――創造論者やID陣営の人々――がとっている立場、すなわちそのような陰謀がほんの30秒でも現実に存在できると考える人々は、科学という領域の社会学的現実に真っ向から刃向かうものである。それは侮辱である。
コリンズは、非正統的な見解のために非寛容と差別
を蒙ることになった科学者たちの苦境に対して、もっと敏感であってほしいものだと誰もが思うだろう。特に、そのような差別
の最もひどい例の一つが、国立衛生研究所(NIH)の彼の前同僚である進化生物学者リチャード・スターンバーグに起こったことを考えてみるならば! 2つの別
々の連邦政府調査報告が示しているように、スターンバーグは、彼が編集を担当していた科学雑誌に、査読を通
ったプロIDの科学論文を載せたという理由で、怒った反IDの同僚たちから血の復讐の標的にされた人物である。
コリンズの言葉にもかかわらず、科学者共同体におけるID唱道者への差別
のパターンを説明するのに「陰謀」など必要でない。多くの他の分野でもこの現象はよく認知されていて、それはしばしば制度化された差別
、制度化された偏見と呼ばれる。そしてこのような制度化された差別
の犠牲者に対して、あなた方は単に「陰謀」を想像しているだけだと言うのはあまり感心したことではない。
実のところは、もし科学史家に尋ねてみるなら、科学者が支配的なパラダイムに挑戦する者に対して組織的に非寛容である得るという考え方は、必ずしもそれほど論争になるようなことではないと分かるだろう。トマス・クーンがずっと昔に言ったように――
通常行われる科学の目的のいかなる部分も、新しい種類の現象を提出することではない。実際、箱の形に合わない現象は全く見えないのである。またいかなる科学者も、通
常は新しい理論の発明を目指したりしないもので、彼らはしばしば他人の発明した理論には非寛容である。(トマス・クーン『科学革命の構造』第2版、1970、p.24)
コリンズは、科学的企てとは完全に異見や非正統的考えに開かれたものであるかのように言いたがっている。しかしすぐれた科学ライターのNicholas
Wadeは、ニューヨーク・タイムズの科学ブログ記事で、科学者はしばしば順応するように圧力をかけられ、支配的な考え方に反することを言わないようにしなければならないと、次のように述べている――
この順応を強いる力は、多数派が間違っていると考える十分な理由をもつ人々をさえ 沈黙させることができる。あなたが専門家であるのは、あなたの仲間のすべてがそうと認めるからである。しかしもしあなたが、仲間たちが信じていることからあまり遠くへかけ離れそうになると、彼らはあなたを斜めに眺め、無言のうちにあなたに与えた「専門家」の資格を引っ込め始める。そこであなたは「一匹狼」というあまり心地よくない名で呼ばれ、そこから「スケープゴート」や「除けもの」へはほんの数歩である。(Nicholas
Wade, “Researcher Condemns Conformity Among His Peers,”
New York Times Blog, July 23, 2009.)
ウェイドの論文は、多数派の科学的見解からの離れた見解を黙らせようとする圧力についても強い懸念を表明する、真剣な信頼される学者がいることを正直に認めていて、読む価値がある。彼はこう結論する――
順応やグループ思考というものは、科学では特に危険なものである。科学とは、進歩がしばしば確立された知恵を覆すことに依存する本来的に革命的なものだからである。…Dr.
Bouchardのいう学界の画一文化は科学の創造性を妨げるものである。…コンセンサスということの危険は、多数派見解を確定することでなく――それは必要で合法的なものだ――懐疑派を沈黙させることにある。(同上)
実際、コリンズに記憶しておいてもらいたいことは、ネオ・ダーウィニズムというパラダイムの擁護者は異なった見解を歓迎しないと不満を表明するのは、ID唱道者に限らないということである。最近この場所で指摘したように、唯物論者でさえネオ・ダーウィニズムを批判することの「危険」を認めている。イエナのフリードリッヒ・シラー大学の遺伝学者Guenter
Theissenは、2006年、Theory in Biosciences誌上でこう述べている――
大進化に対する満足のいく説明がないという事実に注意を喚起することは危険である。人はたやすく正統的進化生物学の標的にされ、非科学的コンセプトを唱える者たちの味方をする裏切り者にされる。(Guenter
Theissen, “The proper place of hopeful monsters in
evolutionary biology,” Theory in Biosciences, Vol.
124: 349-369 (2006).)
ネオ・ダーウィニズムに挑戦する唯物論者でさえ(一つにはIDを支持しているのではないかと疑われるために)危険にさらされるならば、はっきりとIDを支持する科学者が直面
する非寛容は想像に余りあるであろう。
同じように、主導的なアメリカの進化学者であるハーヴァードのスティーヴン・J・グールドは、コリンズのように科学者を完全に客観的なロボットのように見る見方が、いかにナイーヴなものであるかをこのように説明した――
この世界について我々(科学者)の学ぶ学び方は、社会的な先入見と、個々の科学者がどんな問題にも当てはめようとする偏った思考法によって、強く影響される。個々の科学者が論理的で互換可能なロボットであり、「科学的方法」とは十分に合理的で客観的なものだという型にはまった見方は、自らに奉仕するだけの神話である。(Stephen
Jay Gould, “In the Mind of the Bachelor,” Natural
History, Vol. 103(2): 15(1994).)
明らかなことは、科学者も人間であり、必ずしも完全に合理的なやり方で証拠に近づくとは限らず、支配的パラダイムに挑戦する新しい考え方には非寛容でありうるという社会学的所見を述べるのに、陰謀など必要でないということである。いくつかの場合にはこれはあからさまな差別
に導く。(アイオワ州立大学で)学部長がゴンザレスのID支持を「科学教師として不適格」である証拠とみなすように、票決しようとする教授会に呼びかけたギエルモ・ゴンザレス事件はそれである。
多数派の科学的見解に異論を唱える人々を待ち受ける多くの落とし穴がある。映画『追放』は、多くの調査報告を提供してID主唱者たちが学界で不当な差別
を受けた一つ一つケースを示してみせる。コリンズはこの報告に反論しようという試みはせず、ただこれに「陰謀」という虚偽のラベルを張り付けて脇へ押しやるだけである。この論争の多くの他の領域におけるコリンズの見せる思慮深さを考えるならば、彼は将来きっと、この不正確で破壊的なレトリックを放棄することを選ぶものと私は期待したい。
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