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アウシュヴィッツの「死の天使」ヨゼフ・メンゲレはダーウィン崇拝者だった

David Klinghoffer
January 4, 2010

麻酔なしで手術されることを想像してみよう。腎臓が取り出され、十分に意識のあるあなたの前で、外科医がこれを手にもって研究者たちに掲げて見せる。悪夢のようだが、これは実際ヨゼフ・メンゲレ博士が、アウシュヴィッツで日常的にやっていたことである。このような悪魔的行為に人を誘導するものは何だろうか? おそらく人生の早い時期に、いかなる影響力が働いて、普通 なら通常の医者になるべき彼をしてこのような行動に向かわせたのであろうか? 

ダーウィニストは、そのように問う私に嫌悪を示して遮ろうとするだろう。彼らは私が言おうとしていることが何か分かっていると思っているからだ。しかしこれを言っているのは私でなく、メンゲレの伝記作者たちだ。

そもそも私にこのような問いを植え付けたのは、Der Spiegel誌に載った恐ろしいインタビュー記事で、相手はメンゲレの人体実験の生き残りで現在テルアビブ近郊に住む、イツハク・ガノン(Yizhak Ganon)というギリシャ生まれのユダヤ人である。ごく最近までガノン氏は、心臓発作に襲われても絶対にどんな医者にもかかろうとしなかった。それは無理もない話である。この雑誌はこう語っている――

ガノンはアウシュヴィッツ-ビルケナウ病院に連れて行かれたが、そこでは「死の天使」と呼ばれるヨゼフ・メンゲルがユダヤ人囚人たちに身の毛もよだつ実験を行っていた。

ガノンはテーブルに寝かされ縛り付けられた。メンゲレはいかなる麻酔もなしに彼を切り開き腎臓を取り出した。「私は彼の手の中で鼓動している腎臓を見ました。そして気違いのようにShema Yisrael!と叫びました。苦痛を止めるために殺してくれと願ったのです」とガノンは語った。

「手術」の後、彼は何の苦痛止めもなしにアウシュヴィッツの縫製室で働かされた。その仕事には血だらけの医療器具を洗う仕事も含まれていた。またあるときは、氷のように冷たい水風呂に一晩中漬かり、メンゲレの肺機能のテストと称するもののために奉仕させられた。ガノンは都合6ヶ月半をこの強制収容所の病院で過ごした。

伝記Mengele: The Complete Storyの中で、著者Gerald L. Posner とJohn Wareは私と同じ問いを発している――

何がメンゲレの熱心な若い心に作用してこれほどに腐敗させたのか、正確にはわからない。おそらくそれは、当時の政治的風土と結びついて、彼の遺伝学と進化についての興味が、ある種の心身に欠陥のある人間は子孫を残すには適さず、生きることさえ不適だという当時優勢だった思想と一致したものと考えられる。おそらくこの致死的理論の真の触媒となったのは、メンゲレが最初ミュンヘンで後にはフランクフルトで、当時の「価値のない生命」論の主導者のもとで学んだことがあげられるだろう。彼の究極の野心はこの流行の新しい進化論研究の分野で成功することにあった。

別のところではこう言っている――

当時のドイツの大学の医学はいずれにせよ、メンゲレの進化に対する真の興味に特によく一致するものであった。なぜならそこでは、ヒトラーをはじめ、ますます多くのドイツの大学人たちが魅力を感ずるようになった社会ダーウィン理論というガイドラインに沿った教育がなされていたからである。

この学生ドクター(メンゲレ)への初期の影響の一つはErnst Rudin博士で、メンゲレは彼の講義には欠かさず出席した。・・・ルーディンは、医者は「価値を持たない生命」を撲滅すべきだという理論の持ち主であった。ルーディン自身、1933年に発効したヒトラーの強制的断種法の起草者の一人であった。

リチャード・ワイカートの新著Hitler's Ethic: The Nazi Pursuit of Evolutionary Progressに書かれているように、ルーディンはこの1933年新法について公的な解説書を共同で書いているが、これは「ホロコースト」のドレス・リハーサル(本番と同じ稽古)になったものである。この解説書の中で、メンゲレの恩師と共著者たちは、当時の「劣った」人種についてこう言って嘆いている――

(自然の)適応ということが少なくなったために、ダーウィンが言ったように、それは根絶をもたらすことがなくなり、むしろ文明によって自然選択の効果 はその反対物へ、つまり反選択へと変わってしまった。

これは『人間の由来』におけるダーウィン自身の、同じ趣旨の有名な言葉から直接借りたものである。進化論的な優生学推進者たちの目指した目標は、文明の有害な影響力に対抗し、自然選択の野生の働きを取り戻すことであった。この方法によって、「劣った者たち」はそもそも生まれてこなくなり、生まれても、別 のやり方で処分されるのである。

メンゲレの双子に対する実験についての著Children of the Flames: Dr. Josef Mengele and the Untold Story of the Twins of Auschwitz(炎の子供たち:ヨゼフ・メンゲレ博士とアウシュヴィッツの双子たちの語られざる物語)の中で、著者Lucette Matalon LagnadoとSheila Cohn Dekelは、メンゲレを「ダーウィン崇拝者」(devotee of Darwin)と呼び、こう書いている――

社会ダーウィニズムのもつ救世主的特質は、若きメンゲレに強く訴えたと思われる。 彼の書き残したものから、彼はこれらの人々の使った「人類の運命」という言葉に特別 感銘を受けたことがわかる。彼らの歪められた理想に出遭った青年期から、疲れ果 て敗残の亡命者となった老齢に至るまで、メンゲレは社会ダーウィニストたちに対する個人的な忠誠を貫き続けたのであった。大学では、「人類の生物学的特性」の問題は、ほとんどのメンゲレの級友たちにとって理解しにくいものだったかもしれない。しかし彼にとって、それは明らかに啓蒙の鳴り渡るラッパであった。

「社会ダーウィニズム」とは言うまでもなく、「応用ダーウィニズム」の政治的に公正な言い方にすぎない。この本はこうも言っている――

実際、メンゲレが勉学の中でこれほどに熱心に吸収した思想こそ、彼をまっしぐらにアウシュヴィッツへと走らせた原動力となったものだった。

私は一つの思想が、たとえその悪なる応用が一世紀半もの間繰り返しなされたとしても、そのこと自体が、その思想の現実世界の説明が誤りである証明にはならない、とこれまでいやになるほど言ってきた。しかしそれがこの場合のように現実に起こっているのであれば、この思想の弁護の裏に隠れていると言われる証拠について、自分の頭で注意深く考えなおしてみる十分に強力な理由があると思われる。

一つ確かなことがある。もしメンゲレが大学で勉強している間は聖書の信奉者だったとしたら、それはホロコーストに興味をもつ人たちに、有名な事実として伝わったであろう。実際には、メンゲレ博士のダーウィンの科学的・社会的教えへの傾倒の事実は、奇妙にも伏せられてきた。これをあなたはどう解釈しますか?

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