Evolution News & Views

“相同”の問題を強引に無視するNatureの進化論伝道書

Casey Luskin
August 9, 2010

(注:――これは数回に分けて掲載されたラスキンの批判記事に1つである。批判の対象となっているネイチャー誌の進化論伝道の手引は15の項目からなり、そのタイトルと執筆者は次の通 り――15 Evolutionary Gems−A resource from Nature for those wishing to spread awareness of evidence for evolution by natural selection, Henry Gee, Rory Howlett & Philip Campbell)

ネイチャー誌による2009年の進化論伝道の手引に反論する前回の論文で、私はPhilip Skellの、多くの研究にとって進化論は基礎的なものでなく、事後に、こじつけ話(narrative gloss)として取り入れたものだという見解を引用して説明した。同誌のあげる進化論の珠玉 (evolutionary gems)の1つは、この「こじつけ話」をふんだんに取り込んでいる。進化思想が脊椎動物の骨格と筋の発生について描く混乱した絵を与えられてみると、著者たちも、こじつけなしに論じたかったのではないかと推測される。

Natureの進化論伝導の手引は、この「珠玉 」に「脊椎動物の骨格の起源」というタイトルを与えているが、それは必ずしも彼らの期待するような「起源」ではない。せいぜいこの研究が説明するのは、進化論的起源ではなくて、発生学的起源である。たとえばそれは、首や肩の領域の骨格と筋の成長をコントロールする、生物学的メカニズムを調べたものであり、しかも、これらの発生学的起源に関する諸発見は、現在のところマウスだけに当てはまるものである。彼らのモデルがすべての「脊椎動物」に拡張されうるかどうかは、まだ研究されていない別 問題である。いずれにせよNatureの進化論伝道の手引は、これを論じた論文「首と肩の神経堤起源」(Neural crest origins of the neck and shoulder)を次のように解説している――

たとえば1つの鍵となるミステリーは、脊椎動物の頭骨がどの程度までが神経堤(神経冠)細胞の貢献によるもので、どの程度までが組織のより深い層からきているのかということである。新しい技術により研究者たちは、胚の発生に応じて、個々の細胞を命名しこれを跡づけることが可能となった。それらによって首や肩の、神経堤から発する骨格の領域が単独の細胞のレベルまで明らかになった。神経堤から発する組織は、頭部を肩の環状骨(girdle)の前面 内壁へと落ち着かせ、これに対して首と肩の後ろを形成する骨格は、中胚葉(mesoderm)と呼ばれる組織のより深い層から成長する。

こういった新しい技術によって研究者たちは、マウスの首や肩の領域の、骨や筋肉のどの部分が「単独の細胞レベルまで」、神経堤と呼ばれる胚発生上の組織から現れてくるかを、正確に決定することができた。彼らは、神経堤細胞が、肩甲骨や他の多くの、首や肩の骨の脊柱の中にまで移動していき、そこで筋の付着点として機能するという驚くべき発見をした。

これは間違いなく魅力的な研究であり、研究者たちの方法は、胚発生過程に光を投げかける大きな可能性をもつ。しかしこの胚発生パターンの研究は、単に発生の比較研究によって、共通 祖先というものを想定することなしに、進めることもできたであろう。発生に関する彼らのデータは、共通 祖先を想定しようとしまいと同じである。実は、この研究の発見したことは、“相同”の概念に深刻な難題を突きつけるものである。

(ID派の)教科書Explore Evolutionは、相同的構造とされているものが、互いに異なった非相同的経路をたどって発生するとき、いかに共通 祖先という概念が問題にぶつかるかを論じている――

たとえばサメの場合、内臓は胚の空洞(へこみ)の天井の細胞から発生する。ヤツメウナギでは、内臓は空洞の床の細胞から発生する。そしてカエルにおいては、内臓は胚の空洞の天井と床の両方の細胞から発生する。この発見、すなわち相同的構造は異なった発生経路によって作り出されるという事実は、すべての脊椎動物は共通 の祖先をもつと仮定したときに予想されることとは矛盾する。(Explore Evolution, p.44)

この引用箇所に言及されている問題は、マウスの相同的とされる首の筋やその付着点についても持ち上がっている。Natureが「珠玉 」と呼ぶこの論文は次のように説明する――

首の筋のパターンは、これらの筋が付着する肩の骨の骨化様式よりもはるかに恒常的(conserved)である。これは筋の相同性にとって深刻な問題となる。 すなわち、これまでに調べられた脊椎動物の体のすべての頭蓋や胴体領域において、筋の結合組織とそのそれぞれの骨格付着領域の胚細胞起源は同じである。このことは、もし付着領域がそれらの細胞起源と骨化様式において変われば、それらの連携する筋結合組織もまたその構成が変わるということを意味する。とすれば、顎をもつ脊椎動物のすべての首の筋組織の相同性を――それが非常に相似した複雑な結合パターンをもつとはいえ――我々は拒否せざるをえなくなるだろう。
(Toshiyuki Matsuoka, Per E. Ahlberg, Nicoletta Kessaris, Palma Innarelli, Ulla Dennehy, William D. Richardson, Andrew P. McMahon, & Georgy Koentges, “Neutral crest origins of the neck and shoulder,” Nature 436:347-355 (July 21, 2005))

この論文は、真に相同的なものは首や肩の骨格でなく、首の筋(とその付着点)の「高度に恒常的な」パターン――彼らが「筋の足場」と呼ぶもの――であると想定することによって、相同の問題を避けようとしている。様々な脊椎動物の首と肩の骨格は、しばしば本質的に同等の在処、形、機能をもっているが、それらの発生の経路は高度に多様であり得る。したがってそれらは相同ではあり得ない。たいていの人は筋肉が骨の回りに生ずると考えるだろう。しかし「ここでは何かが相同でなければならない」という進化論の大前提は、首と肩の骨格は「高度に束縛された筋付着の足場の回りにmorph(形態変化)する」という馬鹿げた考え方を導き出す。そしてこれは次のような同じく馬鹿げた主張となる――

このやや直観に反する「足場モデル」は、筋の結合性というものを基本的な単位 として捉える(なぜならそれらは正確に細胞群に対応するから)一方で、誰もが見ることのできる骨格を、単なる付随現象であり変化を受けるものであると考える。(同上)

だから、もし「ここでは何かが相同でなければならない」と我々が考えるなら、筋だけが発生のためにプログラムされたもので、骨格は今や「筋の足場」の回りに変形しながらできあがる単なる付随現象ということになる。骨の構造が発生の付随現象的副産物だという見方は「直観に反する」解釈と呼ばれていて、進化思想によって著者に押しつけられたものである。これは、普遍的共通 祖先という大前提を疑おうとはしない人たちに強制される奇怪な解釈である。

しかも問題はそこにとどまらない。彼らの「筋の足場」モデルは相同のある問題を解決するかもしれないが、このモデルは標準的な脊椎動物系統論のもとにきちんと収まらない、いくつかの意味をもっている。Natureの進化論伝道の手引は、この研究は「絶滅した陸生脊椎動物の祖先の主たる肩の骨格cleithrumの在処を辿ることを可能にするもの」だと誇っているが、これは正しくない。なぜならcleithrumは「絶滅した陸生脊椎動物の祖先」にだけ知られているのでなく、生きたカエルにも見つかっているからである。

カエルはcleithrumをもつが他の陸生脊椎動物はもたないという事実があるので、これらの研究者たちの相同に関する「筋の足場」モデルは、彼らを強いて、cleithrumの欠如は実は現存する陸生脊椎動物の原始的痕跡ではなくて、収束進化(convergent evolution)の結果なのだという結論を出させている。彼らはこう書く――「したがって、cleithrumは独立的に少なくとも4回失われた――サンショウウオ、哺乳類、カメ、二弓亜綱(diapsids)[ ワニ、ヘビ、トカゲ、鳥類]において。」

彼らの「筋の足場」モデルは、彼らをして、骨格の発生の様々の相似したパターンは(かつて相同的と考えられていたが)実は収束進化の結果 なのだと信じさせることになる。ここでこの論文の1つの文章が注目に値する――

我々の憶測では、ある共通の、今のところ未知の、四足動物の先祖の首の骨化を支配する、制御以前の(cis-regulatory)ゲノム上の構築性(architecture)が、異なった子孫の四足動物の血統を相似し並行する傾向へと、あらかじめ向かわせた(predisposed)のかもしれない、ということである。(同上)

これはほとんど目的論的進化論のように聞こえる。しかし勿論それはダーウィン進化思想では許されないことであるから、これら脊椎動物が独立的に同じ骨格構造に達したのは偶然だということになる。

のみならず、前回の記事で見たように、制御以前の要素の変異に漠然と訴えることは、話の始まりにはならないかもしれない――特にこの場合にように、遺伝的かつ発生的「収束進化」というような、ありそうもないことを説明しようとするときには。

Explore Evolutionが示唆するように、ここでの問題は、共通 祖先という概念は系統論に関して様々の相容れない予言を導き出すことである。すなわち相同的な骨格は、非相同的な発生の経路をもつとするか、それとも唯一の相同的パターンは「筋の足場形成」で、高度に相似的な骨格は、この筋の足場の回りにmorph(形態変化)する単なる「付随現象」だとするかである。

この研究は魅力的であるが、こうしたかなりもっともらしさを欠く憶測は、フィル・スケルが言ったように、単なる「こじつけ話」である。

最新情報INDEX