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アルフレッド・R・ウォーレス、自然選択進化論の共同提唱者にして 後に「創造論者」

Michael Flannery
August 20, 2010

インテリジェント・デザインは創造論ではないという繰り返された説明にもかかわらず、この2つを同じものだと言い張るLauri Leboやその仲間のような人たちがいる。定義することもなく、このような用語をぶつけ合って争うということが絶えず起こっている。1つの可能な「創造論」creationismの定義は、自然界や生命起源に関する、創世記の文字通 りの解釈に基づく科学的主張ということである。しかしデイヴィド・クリングホファーが言っているように、ID理論においては、たとえインテリジェンスの根源が神(deity)と同一視さようと、それは創世記逐語解釈のような意味での「創造論」だということにはならない。要するに、「創造論」が議論の俎上にのぼるのであれば、そこに思考と表現のより大きな明晰さが要求されるということである。

この点について私は、Alfred Russel Wallace以上によい例証を思いつかない。1910年、出版を予定されていたウォーレスのThe World of Lifeについてのインタビューで、Harold Begbieなる人物が、生命起源についてどう説明するのか彼に質問している。ウォーレスはこう言った――

まあ、地球の歴史のある段階において、冷却過程を経たのち、創造という一定の行  為があったというのが、非常に単純でわかりやすい旧来の説明です。何かが外からやってきた、力が外部から働いたということです。要するに地球に生命が与えられたということです。進化という問題を、不適切にもダーウィニズムと呼ばれるあるものに歪めてしまった人たちの過ちは、生命は組織化の結果 だという想定から来るものです。それは考えられないことです。生命は、ハックスレーが認めたように[ウォーレスは別 のところでハックスレーの考え方の多くを攻撃している]、原因であって組織化の結果 ではないのです。

生命というものを認めれば、進化という仮説で十分であって反論することはできない。しかし最初に組織化ということを仮定して、それが生命の起源であり原因であると考えるなら、人は狂気の迷路に迷い込んでしまう。正直に真っすぐに自然界を凝視すれば、人の心は1つの確かな真理へと自然に導かれます。すなわち、地球の歴史のある時期に創造という行為、それ以前にはなかった何ものかが地球に与えられる、ということがあった。そしてその贈り物、生命という贈り物から、無限のすばらしい生物群が生じたということです。

その後に、ご存知のように、それに続く創造行為、すなわち人間が猿のような祖先から現れてきたとき、人間に霊あるいは魂が与えられるということがあったと私は考えます。進化論ではどうしても人間の魂の説明はできない。人間と他の動物の間の溝は埋まりません。数学能力だけでも、人間には他の生き物に存在しないものがあることを証明するのに十分です。加えて我々には音楽や芸術の能力があります。間違いなく魂は1つの別 の創造物です。

ここで指摘しておくべきことは、ウォーレスにとっては、人間の「猿のような祖先」とは、どんな意味でも猿の親戚 を意味するのでないということである。ウォーレスは常に、人間に魂が吹き込まれたことが人間を決定的に違ったものにした、それは本質の違いであって程度の違いではない、と指摘していた。ウォーレスは決してダーウィンの『人間の由来』に同意しなかった。

ウォーレスはどの点から見てもキリスト教徒ではなかった。したがってここには、自然選択の共同発見者でありながら、はっきりと、ローリ・レボ女史の拡大定義によるある種の「創造論」を支持した人間がいるのである。ではどうしてウォーレスはこの結論に至ったのか? それは決して聖書からではなく、ダーウィン自身の有用性の原理――いかなる生物も、それが何らかの生き残りのための利点にならなければ、1つの属性を発達させることはないという考え――によるものである。

ウォーレスは、我々を最も人間らしくするもの――推理能力、芸術や音楽の鑑賞能力など――ダーウィン自身の原理では説明不可能だと結論した。では創造論とは正確に何を意味するのか? ローリ・レボはこれをはっきりさせねばなるまい。実際、上に引いたウォーレスの文章を読めば、厳密に言って進化(単に共通 祖先や時間に伴う変化という意味での)という概念は、「創造論」も、ましてインテリジェント・デザインも排除する必要のないことがわかる。ウォーレスの言う「創造論」が確実に除外しているのは、ダーウィン流の唯物論だけである。ポイントは、Steven Pinkerの説にもかかわらず、人間の精神は、ウォーレスがこれらの問題を提起したときと変わらず、ダーウィン原理によっては今も説明できないということである。人間の精神や生命起源に対する唯物論的な説明がこれだけ繰り返し失敗しているのであれば、アルフレッド・ウォーレスの言う意味での「創造論」が生きたものとして議論のテーブルに乗せられるのが当然であろう。

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