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自分自身の議論がわかっていない進化生物学者: ネイチャー誌の「珠玉」ティクタアリク再考(最新版)

Casey Luskin
September 18, 2010

ネイチャー誌の進化論伝道手引書の、まだここで論じていない最後の「珠玉 」は、四足動物の起源を扱うもので、移行形態とされるTiktaalik roseaeに焦点を当てている。手引書は、「ティクタアリクの発見と苦心したその分析は、四足動物が進化する前の段階を明らかにするものだ」と言っている。これが印刷されたのは2009年である。しかし2010年現在、この言明にどれほど信頼性があるだろうか? 2010年1月に私が「ティクタアリク、より早い時期の四足動物化石によって完全に吹き飛ばされる」という記事で論じたように、ティクタアリク以前の完全な四足動物の足跡という新しい証拠は、この手引書が言うような、その知られた見本は「四足動物が進化する前の段階」を直接的に立証するという主張を退けるものである。

これらの足跡の意味合いを理解するために、ネイチャー誌が2010年1月に報告した内容を正確に引用しよう――

魚類から四足動物へという移行は、このようにうまく証拠立てられたように見えた。Elpistostegalian (ティクタアリクやPanderichthysのような動物)と四足動物との枝分かれは、3億9100−3億8500万年前のGivetian紀(時代)に起きた可能性があるという一致した見方があった。最初期の四足動物化石と時代を同じくし、デヴォン紀後期のものである歩行跡は、彼らが海岸を歩くか這う能力をもっていた証拠であった。


ところが今、Niedzwiedzkiら研究グループがこの既成の像に爆弾を投げ込んだ。彼らはポーランドのZachelmieで、明瞭な足指の印された四足動物の歩行跡を発見したと報告したが、驚くべきことに、これは疑いの余地なくEifelian紀(時代)最後期(3億9700万年前)のものであった。この場所(古い採石場)では、体長約0.5メートルから2.5メートルにおよぶ、数匹の動物個体によってつけられた10数本の歩行跡と、石の破片に残る数多くの単独の足跡が発見された。これらの足跡は、最も古い四足動物の骨格の跡より1800万年先立つもので、さらに驚くべきことに、最初期のelpistostegalian(ティクタアリク型)魚類より約1000万年先行している。(Philippe Janvier & Gael Clement, “Muddy tetrapod origins,” Nature 463:40-41 January 7, 2010)

あるいはネイチャー誌ニュース記事はこう伝えている――

四肢をもつ陸生動物の足跡の最古の知られた例は、脊椎動物の進化の一部を書き換えるかもしれない。
一つひとつの足指のわかるいくつかの足跡が、ポーランドZachelmie近くの採石場で出土した石灰岩板に見つかったが、これは約3億9500万年前、すなわち四足動物が進化したと考えられていたより1800万年以上も前のものである。


この足跡は、これをつけた動物が2.5メートルまでの体長だったことを示し、足裏の幅はそのほとんどが15センチだが、最大で26センチだったと、ポーランドとスウェーデンの科学者チームが、今週のネイチャー誌で報告している。このことは、大型の陸上を歩く四足動物が、3億7300万年前に生きていたTiktaalik roseaeを含むelpistostegids――魚から陸上を歩く動物への移行を画すると考えられたグループ――と共に、1000万年にもわたって共存していたであろうことを意味する。(“Discovery pushes back date of first four-legged animal”)

簡単に言えば、これらの足跡は、四足動物がティクタアリクに先行するものであることを示唆するもので、従ってティクタアリクは、ネイチャー誌が別 の所でも言っているように、魚類と四足動物の間の「直接の移行形態」ではないということである。

「移行的」とはどういう意味なのか?
先へ進む前に私は「移行形態」という言葉が一般に、2つの異なった使い方をされていることに注目したい。「移行的」transitionalという言葉の柔らかい定義は、ある生物がある可能な中間形態の特徴と考えられる特徴を持っていさえすればよい――たとえその化石そのものが直接の移行形態ではあり得なくても――ということである。「移行形態」の堅い定義では、より強い要求、つまりこの生物は実際に2つの分類群の間の正真正銘の血統的な中間形態、直接の移行形態であることを要求する。

この柔らかい/堅いの区別 が実際に用いられている証拠として、初期の四足動物の足跡が2010年初頭にはじめて報告されたとき、ネイチャー誌の編集者要約は、「これらの発見は、我々の知っているelpistostegidsが、直接の移行形態というより遅くまで生き残った遺物であることを示唆するもので、これは我々が陸生脊椎動物の最も早い歴史について、いかに知るところが少ないかを浮き彫りにする」と言っている。「直接の移行形態」という限定された使い方は、移行形態のこのような堅い意味が存在すること、そしてこれらの四足動物の足跡は、ティクタアリクがその堅い定義を満たすものでないことを示唆することを示している。

ティクタアリクに関しては、単に移行形態の柔らかい定義に基づいた移行的性格が主張されているのではない。ティクタアリクについてダーウィニストがこれほど興奮するのは、それが化石記録において、最初の知られた四足動物の直前に、そして四足動物の祖先とされるある種の魚のグループの後に位 置することから、それが堅い意味での、直接の移行形態だと主張されるからである。

高度に信頼される権威からの一斉の興奮発言
進化論者たちは、ティクタアリクが移行形態の堅い定義に当てはまる化石の例だとされていることを、誇らしげに宣伝してきた。現実の移行形態の例がどうしても必要なので、多くの進化論者は、化石記録上でのティクタアリクの層位 論的位置付けに、大きな説得的ウエイトを置き、それはネオ・ダーウィニズムの「予言したもの」であるとさえ主張してきた。ここにその注目すべき例のいくつかをあげる――

(1)ティクタアリクのシカゴ大学にある公式サイト(tiktaalik.uchicago.edu)は、化石記録上のティクタアリクの位 置付けは「常識」によって「予言され」ており、「我々の理論のもう一つの確認」になるものだと主張している――

我々が見た肉厚のひれを持つ魚の4つのグループは、化石記録では3億9000−8000万年前に最初に現れている。最初の四足動物はほぼ3億6300万年前に現れた。常識的に考えて、魚類と陸生動物の間の移行形態は、3億8000万年前と3億6300万年前の間に現れたことになる。我々の移行化石を見つけるためには、我々は3億8000万年と3億6300万年前の間の岩層を見つける必要がある。…究極的にこの箇所から2004年にティクタアリクが見つかったのだ! 新しい種の発見ということが人を興奮させるだけでなく、これは科学者たちがずっと昔からこのような動物の存在を予言していたという事実によって、なおさら貴重なものとなる。我々はそれを発見するのに刑事のような仕事をするだけでよかった。これは我々の理論のもう一つの確認である。(The Search for Tiktaalik, 強調引用者)

(2)著書Why Evolution is Trueで、シカゴ大学の進化生物学者Jerry Coyneは、ティクタアリクの発見とその化石記録上の位置付けをもろ手を挙げて歓迎し、同じように勝ち誇った調子で書いている。コインは堅い「進化生物学の満たされた予言」を、これ以上明確に表現することはできなかっただろう――

満たされた予言の最大のものの一つは、2004年の魚類と両生類の間の移行形態の発見である。これはTiktaalik roseaeという化石種で、ここから脊椎動物がいかにして陸上生活を始めたかについて多くを知ることができる。この発見は進化論の、頭をガンとやられるような(stunning)証明である。…ここに予言というものが関わってくる。もし3億9000万年前に、肉厚のひれを持った魚はいたが陸生脊椎動物は存在せず、3億6000万年前になって後者が明らかに存在したとするなら、あなたはどこに移行形態を求めるか? どこかその中間点であろう。この論理に従ってShubinは、もし移行形態が存在したとすれば、その化石は3億7500万年前あたりに見つかるだろうと予言した。…同じくらい驚嘆すべきことは、その[ティクタアリクの]発見が予想されたというだけでなく、ある時代のある場所の岩石の中で起こることが予言されたことだ。(Why Evolution is True, pp. 35-38, 強調引用者)

(3)PBS/NOVAの「審判の日、裁かれるインテリジェント・デザイン」の説得工作が絶頂にあったとき、ティクタアリクの共同発見者ニール・シュービンは同じように、ティクタアリクの層位 学的位置付けは、ネオ・ダーウィン理論の「特定の予言」を満たしたものだと主張した――

進化論が可能にしているのは、化石記録の中に何が発見できるかを特定的に予言することである。この場合の発見は非常に明瞭なものである。すなわち、もし正しい時代の岩石、そして正しい種類の岩石を調べるなら、2つの大きな生物種間の、つまり魚と両生類の間の移行種を見つけることができるということだ。…化石記録を見るとき、まさに正しい時代の岩石のなかに見えてくるものは、ティクタアリクのような生物なのだ。(Neil Shubin,“Judgment Day: Intelligent Design on Trial”強調引用者)

この強引な議論はもちろん、PBS局を通 じて全国に放送され、再放送されたものである。

(4)同様に、米国科学アカデミー(NAS)2004年のブックレットScience, Evolution and Creationismも、化石記録におけるティクタアリクの位 置付けを、進化論の主たる証拠の一つとして特筆している――

この新しい化石を発見したチームが極北カナダに狙いを定める決定をしたのは、彼ら がある教科書に、この地域には3億7500万年前の堆積岩層があり、それは進化科学によって、まさに浅い海の魚が陸上へ移行したと予言されている時期だと書かれているのを知ったときだった。…進化生物学の1世紀以上にわたる発見からの一つの予言は、地球の海からおよそ3億7500万年前に現れた初期の生物種の一つが、両生類、爬虫類、恐竜、鳥類、そして哺乳類の祖先になったというものだった。ティクタアリクの発見はこの予言を強力に支持するものである。(Science, Evolution, and Creationism, p. 1-3,強調引用者)

NASは、ティクタアリクの「まさにその時」が進化科学の一つの「予言」を確認したと非常に強く感じているので、この材料を進化論を促進する70頁のブックレットの最初の頁に置いている。その後でもNASのブックレットは、この「確認された予言」を、なぜ進化論が理論であると同時に「事実」であるかを説明するセクションで、何度も繰り返している――

ティクタアリクを発見した進化生物学者たちは、約3億7500万年前の堆積層に、魚類と四肢をもつ陸上動物の中間に位 置する生物化石が見つかるだろうと予言していた。彼らの発見は進化理論に基づいてなされた予言を確認した。逆に言えば、予言の確認によってこの理論の信頼性が増したことになる。(同書、p. 11)

説得術の鉄砲をぎらつかせながらNASは、化石記録上のティクタアリクの位 置を、進化論の中心的論証の一つにしている。タイム誌が、ティクタアリクは、ダーウィン・ロビーの「創造論者や他の反進化論者との長期にわたる論争での〈第一証拠物件〉となった」と言ったのも頷ける。またニューヨーク・タイムズが、ティクタアリクは「やがて、始祖鳥が爬虫類(おそらく恐竜)と今日の鳥類の間のギャップを埋めたほどに強力に、進化のイコンとなるかもしれない」という古生物学者の言葉を引用したのも頷ける。

しかしティクタアリクは本当に「ギャップを埋めた」のか?

(5)神経学者Steve Novellaはそのように考えている。彼はPBS/NOVAドキュメンタリーでのシュービンの発言を受け、その内容を再伝達し、ティクタアリクの化石記録上の位 置を進化生物学の確認された「予言」として宣伝している――

「ティクタアリクの特にすばらしい点は、Edward B. Daeschler, Neil Schubin, Farish A. Jenkinsら研究者たちが、ティクタアリクのような何ものかが見つかるだろうと予言していたことである。これらの古生物学者は、魚類と両生類の間のギャップを埋めるためには、このような移行形態が存在しなければならないと予言していた。それ以上に重要なのは、このような生物種がデヴォン紀後期、およそ3億7500万年前に存在したはずだと彼らが予言したことだ。」

(6)最後の例として、Tiktaalik, Your Inner Fish(ティクタアリク、あなたの内なる魚)の著者、シカゴ大学の古生物学者で先導的ティクタアリク研究者のニール・シュービンも、その岩石層上の位 置付けは「古生物学の予言を確認した」ものだとしてこれを誇っている――

[ティクタアリクを]発見するのに6年を要したが、この化石は古生物学の予言を確認 した。この新しい魚は、2つの異なった種類の動物の間の中間種であるだけでなく、我々はそれを、地球歴史の正しい時期、正しい古代環境の中に見出した。解答は3億7500万年前の、古代の水流の中に形成された岩石からやってきた。(Your Inner Fish, p. 24, 強調原文)

このように主導的な進化科学者たちが、ティクタアリクの化石記録における層位 学的・年代的位置を、彼らの大義を証拠づけるものとして、高い買値をつけてきたのは明らかである。彼らは、それは進化の「特定の予言」を満たすものだと主張してきた。しかし、もし新しい証拠が現れて、3億7500万年前は、動物が水中から陸上へ移行した「地球歴史上の正しい時期」だとする見方に疑問を突きつけたとしたら、我々はどうなると予想すべきだろうか? 我々は、最も大声のダーウィン擁護者でも、彼らの「特定の予言」は間違っていたと認めるだろうと予測するのではないか? それとも、感情があまりにも高ぶって建設的な会話ができなくなるであろうか?

ティクタアリクの層位学的位置づけ「予言」の崩壊
この論争をきちんと追っているダーウィン批判者は、ティクタアリクの層位 学的位置づけが、ダーウィン・ロビーの公的な進化論の主張にとって大切であることがよくわかっていた。プロIDのAccess Research Network (ARN)のDavid Tylerはすぐれたサイト記事を書き、なぜ、ほぼ3億9500万年前のものである新しく発見された四足動物の足跡が、化石記録上のティクタアリクの位 置づけ予言を覆すものであるかを説明した――

すべての人の見解が合意に達したと思われた矢先に、ある新しい化石の発見が報じられ、これがすべてを(またしても!)溶解させてしまった。ある未知の四足動物の歩行跡が、ティクタアリクより1000万年も前のものである岩石層から取り出されたのだった。この論文の著者たちは、これらの歩行跡は、「Eifelian紀の後-中期、ほぼ3億9500万年前に確実に位 置づけることのできる」岩石層に起こっていると言っている。一撃のもとに、これは四足動物の祖先としての、ティクタアリクだけでなく、すべての知られたelpistostegidsに入る動物を、無効としてしまった。現在、四足動物が現れたのは、以前に考えられていたより2000万年も早いと考えられており、これらの四足動物は、今では、elpistostegidsと共存していたとみなさなければならない。またしても化石記録は大きな驚きを掘り起こしたわけだが、今度のものは「進化論の考え方と完全に一致する」ものではなかった。それは予言されていなかった発見であり、到達された合意には全く納まらないものである。(David Tyler, “Lobbing a grenade into the Tetrapod Evolution picture”)

進化論者の中にはわずかに――ほんのわずかに過ぎないが――この予言の崩壊を認めた人たちもいる。ネイチャー誌の編集者Henry Geeは、彼のネイチャー・ブログで、初期の四足動物の歩行跡について言っている――「それは、きちんと贈り物のように包装された層位 学と系統論の相関関係――elpistostegidsがFrasnian紀中期の四足動物の迅速な進化の移行形態であるという考え――が残酷な幻想であったことを意味する。もし、ポーランドの足跡が示すように、四足動物がすでにEifelian紀に存在していたとすれば、我々の足元には広大な進化論上の隙間がぽっかり空くことになる…」

ヘンリー・ジーの言葉は、ネイチャー誌のあまり知られていないブログに埋もれているが、彼の陣営が、ティクタアリクの化石記録上の層位 学的位置づけに置いた大きな説得術的ウエイトをよく理解している。ただ彼は「きちんと贈り物のように包装された層位 学と系統論の相関関係」の崩壊を、次のように言ってはぐらかそうとしている――「注:この記事のどの部分にでも、創造論を支持する引用文が埋め込まれていることに気付いた第一発見者は、非常に名誉な、誰でも欲しがるOrder of the Unicycling Giraffe(?不詳)を授けられるであろう。」

批判的反応
新しい科学上の発見が人を興奮させるのは、それらが我々の科学的説明を、修正、再考、改善するように強いるからである。実のところネオ・ダーウィン進化論は、これらの新しく発見された四足動物の歩行跡によって論破されるものでは確かにない。とは言え、進化論的思考が何人かの研究者を、この問題で予言するように導いたことは明らかである。彼らは、この予言は進化理論の偉大な確認となるものだと主張した。ところがこの予言は今、間違いであったことがわかった。ネオ・ダーウィニズムは重要な議論で敗北した。そこで私はこのニュースとほぼ同時に次のように書いたのである――

しかし今週、魚類と四足動物の間の現実の移行化石としてのティクタアリクの地位  は、ティクタアリクより約2000万年前につけられた、完全な四足動物の(足指のついた)まぎれもない足跡の発見によって、疑問に付せられることになった。

私の最初のサイト記事は、P.Z.Myers, Darrel Falk, Josh Rosenauといったダーウィン擁護者たちからの、いくつかの威勢のいい反応を引き起こした。彼らの反論は例によって無知と無資格を非難するものであった。

すなわち彼らは、「移行的」化石ということは、その化石が現実に、その祖先や子孫とされるものの間に時間的に位 置する必要はないということを、私が理解していないといって非難した。言い換えると、一つの移行形態は「直接の移行形態」である必要はないということである。これに伴ってさらに私は、現在知られている化石は必ずしも、一つの化石の現実の層位 学的範囲を印し付けるものではないという事実を、知らないといって非難された。

なるほど、それでわかった。もし「移行形態」というものを柔らかく定義して、その時間的位 置づけはもはや重要でないとするならば、ある化石が「移行的」だという主張を反証することがきわめて難しくなる。しかも新しい化石の発見は絶えず、これまで知られている分類の範囲を拡大しつつある。私は我が国の一流の非宗教的な理系の大学の一つで、たくさんの進化生物学と地球科学のコースを取ったが、これは分類のコースでは誰でも教えられる基本的な事柄だ。これは私にとって耳新しいことではない。ではいったいここで何が起こっているのか?

どうも私の感じでは、ダーウィン擁護者のある者は、他の仲間によってティクタアリクの化石記録上の位 置づけに置かれた大きな説得的ウエイトを、知らなかったようだ。おそらくそれを知らなかったがゆえに、彼らは、ティクタアリクの層位 学的位置づけについての予言と称するものが間違っていたと言うダーウィン批判者を、バッシングすることができたのであろう。これら進化生物学者たちは、彼ら自身の側の議論を知らなかったのである。

私を批判する人たちの問題は、他のダーウィン擁護者たちが、異なった、もっと強い意味の進化議論を、ティクタアリクを根拠にして試みていたことである。すでに引用で示したように、彼らが主張していたことは、ティクタアリクの化石記録における時間的場所が、それが四足動物の直接的な祖先でありえたような立場にそれを置く、ということであった。そしてこれは一つの確認された進化の「予言」であった。彼らは堅い定義に基づくティクタアリクの移行的性格を主張していたのであった。

例えば、BioLogosの代表であるDarrel Falkは、私の最初のサイト記事に強い反感を覚えたと告白し、私がこの科学を誤解していると感じたので「フラストレーションのために叫びたい気持ちだった」と述べている。彼は感情を抑制すると約束はした。しかしそれでも私の記事は「教会に対してフェアでなく、かつこの学問の名誉を汚すものだ」と言い、さらにID運動の「主導者たちは、科学者でない教会のメンバーに対して、この種の書きものを今後永久にやめると確約する義務がある」と書いた。

歩行跡の発見の科学的意味合いに関しては、フォークは、進化論的思考に対するいかなる否定的な反響も退けようとし、平然として、この新しい発見によって何も変わらない、なぜなら「思い描いた像にぴったり当てはまらない新しいピースを発見して、それに応じて像を修正することは、科学者であることに大きな喜びをもたらすものだ」そして「それは陸生脊椎動物の起源のタイミングに修正が必要になるというだけのことだ」と言った。

もちろんその通りで、それに異論はない。進化論者が新しいデータに照らして考えを修正し改善することに、何も問題はない。それこそ科学に求められているものである。しかし、ティクタアリクの化石記録上の「予言された」層位 学的場所に、これほどの説得のウエイトが置かれたという事実についてはどうなのか? 我々は、ダーウィン推進者たちの行ったあのような強引な主張をすべて無視し、次には、世間一般 にこれらの議論の存在と、それが間違いだったことを知らしめる(私のような)ダーウィン批判者を攻撃するように求められているのだろうか? 多分フォーク博士は、彼の仲間のネオ・ダーウィニストたちが論じ主張していたことを知らなかったのである。

P・Z・マイヤーズは感情を抑制すると約束しなかった。そして現に抑制していない。彼は私のことを「創造論のバグダッド・ボブ」と呼び、こう書いている――

それは違う。ShubinやDaeschlerは化石が語るものを理解している頭のよい連中だから、彼らは決して、ティクタアリクの移行形態としての地位 は、ある系統の進化の2つの段階を結ぶ「リンク」として、特定の年代記的時期に正確にあてはまることに依存する、などと言ったことは一度もない。化石とは、ある時間の窓全体にわたって存在した個体の範囲を代表するものなのだ。この窓は非常に広いものでありうる。彼らは決して、IDの馬鹿どもが考えているらしい短絡的な、子供じみた化石の関係性の考え方を述べたりはしないはずだ。

P・Zもまた、科学者は、知られている化石がその生物種の正確な層位 学的範囲を印し付けると考えるべきではないと強調している。ただ我々の見た通 り、ニール・シュービンとかジェリー・コイン、またNASやPBS/NOVAのようなグループは、進化は、ティクタアリクを生み出した「まさに正しい時代の岩石」(シュービン)とされるものによって確かめられる、と現に主張しているのである。もちろん、これはすべて、四足動物と肉厚のひれを持つ魚の真の層位 学的範囲とされるものからくる予言に基づいている。したがってP・Zの言っていることが正しいか否かに関わりなく、P・Zは彼の仲間の進化論者が主張してきたことを知らないようだ。

ここで再び、なるほどわかった。実はこの点を私は、学部・院生時代を通 して、古生物学、進化科学、地球科学の勉強をしたとき以来わかっていた。私にとって新しいものは何もない。私の理解はこうである――

もしあなたが「移行形態」の十分に締りのない、または柔らかい定義を用いるならば、これは「移行的」だというあなたの主張を、将来の発見が覆す可能性を、よりうまく避けることができる。柔らかい移行の観念のもとでは、化石記録が不完全で曖昧であったとしても、決して、ある「移行的」なものがその子孫とされるものの祖先であることが要求されているわけではない。それは単に、ある可能的な中間形態の特徴らしい特徴を備えてさえいればよい。一つの化石そのものがあるものの直接の祖先でなくてもよい。要するに柔らかい定義のもとでは、「移行的」化石は単に移行形態という「観念の証明」として役立つのであり、現実に化石記録上の正しい場所から現れて、進化の移行を印しづけるものでなくてもよいのである。それがどこか移行形態であり得たものの特徴をもっているかぎり、たとえそれがネイチャー誌の呼ぶ「直接の移行形態」でなくても、それを移行形態と呼ぶことができる。化石記録に必然的な不完全さは、どんなかすかに残る疑念をも吸収することができる。

進化論者が彼らの理論を修正するのはよいことである。しかし彼らがその理論の歴史を修正するのは歓迎できない。彼らは、ティクタアリクに基づいて広く強引に宣伝した進化論が、間違いであったことを認めるべきである。

広く宣伝された進化の予言が崩れると、進化論者はしばしば歴史を書き換え、「予言」を軟化させ、それより堅い予言は最初からしていなかったのだと言い張る。彼らはまた、この予言の失敗について語る者たちを、進化論の本当に言おうとしていることを知らないのだと言って攻撃する。これは「ゴールポストを動かす」とよく表現される態度である。

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