The Washington Times
ホーキングの不合理な議論:理論物理学者の乱心
Bruce L. Gordon
October 1, 2010
Stephen Hawkingの新しい本(Leonard Mlodinowと共著)The
Grand Designは、宇宙を作るのに神は必要でない、物理法則だけで十分なのだから、と論じている。「新無神論者」たちはこのメッセージを歓迎するだろう。しかし著者たちの信頼度は、冷静な論理というより熱っぽい感情の問題である。
ホーキング氏はこう主張する――「最近の宇宙学の進歩が示唆するように、重力と量
子理論の法則は宇宙(複数)が無から自然発生することを可能にする。自然発生的創造ということが、なぜ無でなく何ものかが存在するのか、なぜこの宇宙が存在するのか、なぜ我々が存在するのかの理由となる。導火線に火をつけ宇宙を始動させるのに神を呼び出す必要はない。」しかし「自然発生的創造」から何らかの原因を取り除くなら、それは科学的理解というより、説明がないと説明することである。それはまた、ホーキング氏が何年か前に言った「方程式の中に火を吹き込み、それらが記述するような宇宙を作っているものは何か?」という問題提起に逆らうものである。
ホーキング氏は自分の前言の続きを言うべきであろう。彼は単なる数学的記述と真の説明との違いを問題にしていたのである。数学的記述は、現象の間にどんな数学的関係が成り立つかを教えるが、なぜ成り立つかは教えない。真の説明は、いかに物事が現実に働いているか、つまり、なぜそのような記述が適当で効果
的であるかを教えるものである。重力と宇宙論に適用された量
子理論は、高度に思弁(空想)的な推論の数学的記述を可能にするが、それはたとえ真面
目に受け取られたとしても、それらが呪現する出来事の説明を与えるものではない。そのような空想に信頼性を与える証拠がないことを別
にしても、それらの説明的無能は、通常の量子力学から受け継いだもので、それは、きわめて正確に計量
可能な現象を記述するが、なぜ特定の量子的所産が観測されるかを理解させるものではない。Richard
Feynman(ファインマン)が言ったように、「自然がいかに奇妙に振る舞うかを見れば見るほど、最も単純な現象でさえ、それがいかに現実に働いているかを説明するモデルを作ることは難しく、理論物理学はそれを諦めてしまった。」量
子物理学は、そこに作用的物的因果性が全くない驚嘆すべく正確な数学的記述の、真の説明を放棄している。
このような事態がアインシュタインをして、1930年代、量
子理論は不完全な世界の記述だと言わしめた。それ以来我々が学んだことは、量
子理論はこの欠点を是正するような補正をすることはできない、ということであった。我々がそれを試みても、その結果
は、間違った予言を出す理論になるか、あるいは是正不能の欠陥をもつ、Louis
de BroglieやDavid Bohmの提案の現代版になってしまうのだ。だから量
子理論はアインシュタインが想定したような、現実の不完全な記述ではないのである。そうでなく物的現実そのものが十分な因果
の原理を欠いているのである。物理的宇宙は因果論的に不完全で、したがって自己創出的でも自己充足的でもない。空間、時間、物質、エネルギーの世界は、空間、時間、物質、エネルギーを超えた1つの現実に依存しているのである。
この超越的現実は、単にプラトン的な数学的記述の領域ではありえない。なぜなら、そのようなものは、物的世界に影響を与えない因果
的に不活の抽象的実体だからである。またホーキング氏や他の人々が言うように、「無」は不安定だというのも真実ではない。絶対的な無は、それの属性とされる数学的関係性をもつことはできず、量
子重力的関係性さえもち得ない。むしろ我々の宇宙がそれに依存している超越的現実は、作用力(agency)を見せつけることのできる何か――無限の種類の数学的記述の中から、その一貫性あるサブセットに照応する1つの現実を存在させることのできる1つの心(意識)――でなければならない。これこそ「方程式の中に火を吹き込み、それらが記述するような宇宙を作っている」ものである。それ以外のすべては、説明原理としてランダムな奇跡を持ち出すことで、科学的合理性に終止符を打つものである。
この破壊的結果が最もはっきり現れているのは、宇宙論的ファイン・チューニング(微調整)を「説明する」ための多重宇宙理論という企みである。なぜ我々の宇宙がこれほど平坦で、その背景電磁放射がこれほど一様であるかを「説明する」ために、宇宙のインフレーションということが持ち出される。宇宙論的常数の信じられないファイン・チューニングを「説明する」ために、弦理論(string
theory)のあらゆる可能な解が持ち出される。しかし宇宙インフレーションの証拠は希薄かつ曖昧である。また弦理論とその延長である「M理論」の証拠は存在しない。また、それらを一緒にすれば、我々はさまざまの異なった法則と常数をもつ、バブル宇宙からなる多重宇宙に住んでいることを証明できる、などというのは数学的幻想である。もっとひどいのは、多重宇宙の文脈で――そこではどんなことでも原因なしに自動的に出現できると主張される――どんな出来事でも起こる機会を無制限に増やしていくというもので、こうなれば、いかなる荒唐無稽も許されることになる。
例えば、多重宇宙理論家たちがBoltzmann
Brain(ボルツマン脳)問題というものを討議しているが、これは多重宇宙の最も「道理に叶った」モデルでは、我々の意識は、量
子真空の中で自動的にゆらいで存在するようになった脳と関連させる方が、我々は親をもち、137億年の歴史をもつ秩序ある宇宙に存在していると考えるより、はるかにもっともらしいというものだ。これは馬鹿げている。多重宇宙仮説が虚偽であるのは、我々が我々自身について真理だと自覚するものを虚偽だとするからである。明らかに多重宇宙の観念は、科学の可能性そのものを破壊する虚無的な不合理性を、必然的なものにしている。
宇宙は、抽象的な数学的記述を根拠に「自然発生的に創造」するものでもなく、無制限の多重宇宙の幻想が、超越的なインテリジェント・デザインの説明力を、切り札として出すわけでもない。ホーキング氏の矛盾した主張は、数学的サヴァン(特異能力者)が形而上学的無能者になることがあるということを示している。知的買い物に要注意。
(ディスカヴァリー研究所上級研究員ブルース・ゴードンは、キングズ・カレッジの科学と数学准教授、近刊予定の論文集The
Nature of Nature: Examining the Role of Naturalism
in Science(ISI Books, 2010
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