世界日報Viewpoint

ホーキングの不合理な議論

November 23, 2010
渡辺 久義

10月16日付の本紙に、あの有名な車椅子の理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士の新著(共著)の主張を批判するブルース・ゴードンという人の書評が翻訳されて載っていた。ホーキングの主張とは、宇宙をつくるのに神は必要でない、物理法則だけで十分なのだから、というもので彼の言葉が直接引用されている――「最近の宇宙学の進歩が示唆するように、重力と量 子理論の法則は宇宙(複数)が無から自然発生することを可能にする。自然発生的創造ということが、なぜ無でなく何ものかが存在するのか、なぜこの宇宙が存在するのか、なぜ我々が存在するのかの理由となる。導火線に火をつけ宇宙を始動させるのに、神を呼び出す必要はない。」

なるほど科学はすごい、そんなことまでわかるようになったのか、と単純に感心するかもしれない人たちのために、私からも補足しておきたい。新聞に説明はなかったが、まずこの書評のタイトルが痛烈な皮肉で、Hawking irrational argumentsは「ホーキングの不合理な議論」とも、「不合理な議論のhawking(売り歩き・宣伝)」とも読める。そして次に「理論物理学者が正気を失う」とある。

これは書評者が言うように、ホーキングが何年か前に、「方程式に火を吹き込み、それらが記述するような宇宙を作っているものは何か?」と言って、宇宙の創造を説明できるかのような数学的記述が存在することと、現実の宇宙の存在を説明することは別 だ、という意味のことを言ったのと矛盾するからであろう。ちなみに理論物理学者ポール・デイヴィスの有名な本のタイトル「神の心」も、ホーキングの文章から取っている。

ホーキングがスタンスを変えたと言えるのかどうかわからない。それはどうでもよいが、ここに引用されている文章だけでも十分に異常である。現在言われている「理性の危機」を、これは象徴するもののように思える。これは無神論者には都合のいい有名人の証言ではあろうが、この書評者のように、このような理屈を全く認めない科学者・哲学者も多いことを承知しておくべきである。

そもそも「無からの自然発生」ということが普通 の理性では考えられない。かりにそういうことが可能であったとしても、その事実が「なぜこの宇宙が存在するのか、なぜ我々が存在するか」の説明になるのか理解できない。何であれ、ものにはその存在理由があり、発生してきたものにはその根源があると考えるのが普通 だろう。理由もなく根源もないのが宇宙や我々の在り方だということであろうが、それでは誰も納得しない。かりに我々の存在が無意味な偶然だとしても、ではなぜそういう無意味なものが存在するのか、と我々は訊ねたくなる。

むしろそれ以前に本当に理解できないのは、なぜこのような強弁が必要かということである。これはホーキングだけでなく、現在、多くの無神論科学者、特にダーウィニストが必死になって主張している宇宙の説明である。それがまたマスコミなどによって喝采される。集団狂気というべきだろう。この書評のタイトルは決して誇張ではない。

現在、対立しているのは有神論科学と無神論科学であって、無神論者が言うような宗教と科学の対立ではない。ダーウィニストのような無神論科学者は、有神論科学の立場を理解できないために、それを批判して、God-of-the-gaps(穴埋めの神)つまり説明できないことを「神」を呼び出してごまかすことだと言って嘲る。なぜそんなことを言うかといえば、あくまで唯物論的世界解釈の立場にしか立てない彼らは、「神」を単なる要因または要素としてしか理解できないからである。「語るに落ちる」とはこういうことを言う。ホーキングの「宇宙を始動させるのに神を呼び出す」という言い方は、彼が神を「穴埋めの神」として理解している証拠である。

そうでなく、有神論的科学の立場とは、この宇宙(あるいは人間存在)は、自らの内部に自分自身の存在の説明となるものを持っていない、宇宙は何かそれを超えたものに依存しなければならないという立場のことである。私は自分がなぜこの世に生れてきたかを知らない。その理由は私(あるいは宇宙)を創ったものに仰ぐしかない。私を創ったものが存在しないという論理は成り立たない。

「宇宙は原因をもたず必要ともしないことを、数学的記述が示していると信ずるのは、論理の間違いでもあり(記述自体からそれは出てこない)、存在論的なカテゴリー・ミステイクでもある。」(ロバート・スピッツァー『神の存在の新しい証明』)

なぜ神を抹殺しようと必死になる人々がいるのだろうか。それは科学というものの威信が、無神論の上に築かれるという伝統が久しく続き、今それが崩れようとしているからであろう。だからそういう人たちに、「量 子宇宙論も数学も理解できないお前に何がわかるか」と言われれば、私などは鼻白むよりほかないが、それ以前にこれは社会的病理の問題だと言うべきである。

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