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ケンタッキー大学が「クリエーショニズム」の疑いのある天文学者を拒否

Casey Luskin
December 13, 2010

Martin Gaskellは連合王国出身の天文学者である。彼は1975年に合衆国に来て、やがてサンタクルーズのカリフォルニア大学でPh.D.を取得した。彼はクリエーショニストではない。下に述べるように、彼は一般 的にいえば有神論的進化論者であり、折に触れて、進化論のある側面 へのちょっとした批判をし(彼は共通祖先を容認している)、インテリジェント・デザインの可能性に対して開かれた態度を表明している。2007年、ギャスケルは、リンカーンのネブラスカ大学教授団の一員として、物理・天文学部で教鞭をとっていたが、ケンタッキー大学(UK)で新しく計画されていた天文観測所の初代所長としての勤務を希望して、同大学の募集に応募した。しかしUKはギャスケルを雇用しなかった。そして代わりに、かなり経験の不足しているTimothy Knauerを採用した。なぜか? UKの雇用調査委員会は、インテリジェント・デザイン(ID)を有神論的進化論と混同し、さらにこの両方を「クリエーショニズム」と混同していた。そこでギャスケルは、UKを相手取り宗教差別 の理由で訴訟を起こすことになった。この事件から、大学という世界では、ある人がIDシンパだと思われるだけで――実際にそうであるか否かにかかわらず――その人は「クリ―ショニスト」であり、したがってその大学で公的なかかわりをもつ仕事は任せられない、と判断されていることがわかる。この事件の次第は次の通 りである。

UKがギャスケルの応募を拒否したのは、彼らが彼の「クリエーショニズム」的見方だと感じたものを根拠にしてのことであったから、ギャスケルは宗教差別 を理由にUKを相手取って訴訟を起こした。ギャスケルの訴訟代理人はAmerican Center for Law and Justice (ACLJ)――法と正義のためのアメリカン・センター――である。2010年11月23日、ケンタッキー州の連邦地裁の出した裁判所命令において明らかになった証拠は、「ギャスケルがこの地位 に対する筆頭候補であることについて、彼の提出した応募資料に基づく異論はない」ことを示している。最上の候補者を採用するためのUKの調査委員会を監督したある科学者は、この委員会に対し、応募者の中で「マーティン・ギャスケルが明らかに最も経験を積んだ人」であると書き送っている(5頁)。裁判所はしたがって、UKは「ギャスケルを教育と経験において勝る者として認めている」と判断した(1頁)。

裁判所によれば、UKがギャスケルの応募を拒否したのは、この大学が彼を「クリ―ショニスト」だと信じ、そのような人物が公的かかわりを持つ地位 につくことを、容認できなかったからである。裁判所はこう書いている――

調査委員会はまた、ギャスケルの科学的進化論についての公的見解を知るに至った。1997年ギャスケルは、UKにおいて、「現代天文学、聖書、および創造」という講演をするように招待されたことがあった。彼の講義の筆録も録音も残されていない。しかしギャスケルはこのトークの講義ノートを保存していた。大学当事者たちは、ギャスケルが進化論や聖書に関して個人的に何を信じているのかについて、大いに討論している。この講義に出席はしていないが、UKの物理・天文学部の天文学者Moshe Elitzurは、Cavagneroに対し、同僚の一人であるGary Ferlandが講義を聞き、ギャスケルは「クリ―ショニスト」でその信念を隠そうともしないとコメントしていた、と告げている。エリッツァーは、クリエーショニストである人物を、公的なかかわりをもつ地位 に採用することについて、懸念を表明していた(7-8頁)。

しかし裁判所は、「ギャスケルは自分をクリエーショニストと認めていない」とつけ加えている(8頁)。裁判所命令で明らかになったギャスケルに対する差別 の幅広い証拠を評価する前に、ではギャスケル自身が、起源問題について現実にどう考えているのかを理解することが重要である。以下を読んでいただければ、ギャスケルの表明された見解に基づくなら、彼は実はクリ―ショニストでないことがわかるだろう。彼はただ、ネオダーウィン進化論と生命の化学起源に疑問を呈しているだけである。

調査委員会は、起源問題についてのギャスケルの見解を、彼が行った講義「現代天文学、聖書、および創造」のオンライン・ノートを読むことによって知った。これらのノートから、ギャスケルは絶対に「ヤング・アース」信仰という意味でのクリ―ショニストでないことが明らかである。実は、下に見るように、どんな標準的意味でも彼がクリエーショニストであるとは言えない。彼の見解はおそらく有神論的進化論の立場に最も近く、生物進化や化学進化へのある疑問と、IDの可能性を真剣に考えようとする意欲がうかがえる。

ギャスケルの発表は、起源についてのさまざまな視点を概観し、キリスト教徒がもつことのできる多くの可能な視点にふれている。彼は、ヤング・アース創造論は受け入れられないと明確に言うと同時に、「進化論には重要な科学的問題がある」と言い、「これらの問題は、地質学/生物学入門コースで通 常言われているよりも大きな問題だ」と言っている――

主たる論争はこれまで、二つの極端論(ヤング・アース創造論者と人本主義的進化  論者)の間の論争であった。「クリエーショニスト」は「進化論者」の科学を攻撃している。私はこの種の攻撃は、科学的にも神学的にも非常によくないものだと思う。「クリエーショニスト」によって提供される「科学的」説明は、たいてい非常に弱い科学で、私はこの種のことが、科学者のある(多くの?)者たちがキリスト教徒になるのを阻んでいると考える。進化論に重要な科学的問題があるのは確かで(これはよいことだ、でなければ多くの生物学者や地質学者は失職する)、これらの問題は、地質学/生物学入門コースで通 常言われているよりも大きな問題であることも確かである。

ギャスケルがIDに特に合意していないことは確かだが、彼はこれを進化論批判として真剣に考えるべき立場だと言い、現に、フィリップ・ジョンソンやマイケル・ビーヒーの書いたものを推奨している――

創世記についての論争や解釈を論ずるとき、私は、近年大いに議論されているが創世記の解釈ではないもの、すなわち「インテリジェント・デザイン」と呼ばれているものに触れなければならない。この運動はよく間違ってヤング・アース創造論と混同されているが、それはただ、宇宙にインテリジェンスによるデザインのどんな証拠があるかという問題を探究しているだけである。これは実際は一般 的な、非宗教的な問いである(ただ、明らかに宗教的な含意はあるが)。・・・一般 にはその反対のことが言われることがあるが、科学はいまだ生命の起源について満足できる説明ができていない。生命の「起源」の問題は、「進化」のいくつかの理論の有効性の問題とは、別 問題であることに注意すべきである。地上のすべての生命が共通 の起源をもつことの証拠は大変結構である。それでも生命の究極の起源の問題は残る。進化理論をめぐる現今の論争と、キリスト教徒がこれらの論争をどう見るかについての議論は、この覚書の範囲を超えているが、しかしフィリップ・ジョンソン(『裁かれるダーウィン』)や生科学者マイケル・ビーヒー(『ダーウィンのブラックボックス』)のような人たちの著書を論じ評する幅広い文献は、キリスト教徒の生物学者や地質学者の意見がいかに多様なものであるかの、ある程度のヒントを与えるだろう。

ギャスケルは続けて言う――「このあたりで私の個人的な見解を述べることにするが、私は神が、現代進化論で言われているようなやり方で様々なことを行ったとする考えに、何ら神学上の問題を感じていない。」
ギャスケル博士の立場に最も近いのは、IDの可能性に対して真剣に開かれ、かつ生物進化論や化学進化論に科学的難点を認める、非教義的な有神論的進化論だといえるようだ。

しかしギャスケルの本当の見解がどうであるかは、ここで重要ではない。重要なのは、UKの調査委員会がギャスケルの信念をどう考えたか、そしてそれに基づいてどう行動したかである。理由は何であれ、UKがギャスケルを「クリエーショニスト」と考えたことを、我々はすでに知っている。そして彼らはそれを根拠に採用を拒んだのである。

明らかに、UKの調査委員会にとって受け入れられなかったことは、ギャスケルがIDを真剣に受け止めようとしていること、それに彼が進化論的な生命論と生命起源論に難点があると認めたことである。彼らの観点からすれば、ギャスケルが生命の唯物論的説明の線をしっかり踏んでいないかぎり、彼は「クリエーショニスト」であり、したがってUKの職につく資格はないのである。

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