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驚いたねえ、法王はカトリック信者だった

Jay W. Richards
January 8, 2011

ロイター通信のPhilip Pullellaは、法王ベネディクト16世が「ビッグバンの背後には神がおられる」と言ったと報じている。なんと?! では法王はどう言うべきだったとこの記者は考えているのだろう? ビッグバンの背後に神はおられない、と言えばよかったのか? 

この話は次のように始まる――

バチカン市発―ビッグバンのような複雑な科学的諸理論の背後には、神のみ心があった。だからキリスト教徒は、宇宙が偶然によって存在するようになったという考え方を拒否しなければならない、と木曜日、法王ベネディクトは語った。

「宇宙は、ある者たちが我々に信じ込ませようとしているように、偶然の産物ではありません」と、ベネディクトは、キリスト教徒が救世主公現を祝う祝日(1月6日、三博士が星に導かれてイエスの誕生地に着いた日)に語った。

法王は、最近、宇宙が無から自分を生み出したと主張したスティーヴン・ホーキングのような科学者たちに反応して、こう言ったものと思われる。

しかしローマ法王がキリスト公現祭の説教で言っていることは、最も基本的なカトリック教義であって、あらゆるミサにおいて何億というカトリック教徒が繰り返し言ってきたことである。それはカトリック教義問答書の最初のセクションにある通 りのものである――我々は、秩序ある被造物から、神が存在することを理性によって知ることができる。

だから問題は、この説教での法王の言葉が、なぜニュースになるのかということである。その答えは、社説としてより適切に述べられているプレラの物語の残りの部分で、明らかになり始める。彼はこう言っている――

法王はこれまでに進化について語ったことはあるが、彼は時間をもっと遡って、科学 者が137億年ほど前に起こったと考えているビッグバンのような特定の概念について論じたことは、ほとんどなかった。

その通りである。そして法王は進化についてどう言っているか? 拙著God and Evolutionに詳しく論じたように、ベネディクト法王は少なくとも1968年までは、生物の進化について明瞭に語っている。彼は「進化」という曖昧な概念(そこには誰も反論しないことが含まれる)を拒絶はしていないが、彼はダーウィニズムの唯物論には、一貫して反対の態度を表明してきた。法王就任の最初のミサにおいて、彼は、「私たちは何か進化の偶然の(casual)、無意味な産物などではありません」と述べた。

プレラはこのことに言及していない。その代わりにこう言っている――

ベネディクトと彼の前任者ヨハネ・パウロは、教会が反科学であるというイメージを払拭しようと努めてきた。これは聖書の言葉に反して、地球が太陽の回りをまわっていると教えたガリレオを、教会が非難したとき以来貼られてきた札である。

ガリレオは名誉を回復され、現在、教会は進化をもまた科学理論として受け入れ、神が人間を形作るのに、自然の進化の過程を利用したと認めない理由はないと言っている。

カトリック教会は、もはや創造論――聖書にあるように神が6日間で世界を創造したという考え――を教えず、創世記にある物語は神が世界を創造した方法の寓話だと言っている。しかし教会は、進化を、神の存在や創造における神の役割を否定する無神論哲学を支持するために利用することには、反対している。また教会は、創世記を科学的テキストとして用いることにも反対している。

これは教会の見解についての、甚だしくミスリーディングな説明である。明らかにプレラは、法王のビッグバンについてのコメントに動揺しており、彼の読者が動揺することを恐れている。そして「心配はいらない」という結論で社説をしめくくる必要を感じている――不安になることはない。ビッグバンの背後に神がいると言ってはいるが、カトリック教会は今では、こうした問題にはおおむね理解があるのだから。

もしここに教訓があるとしたら、教会はもっと公然と、もっと頻繁に、こうした問題について発言すべきだということである。真面 目に研究する者がある程度調べれば、はっきりした教えをそこに発見するとはいうものの、法王が説教の中でビッグバンの背後に神があると言ったことに、メディアが驚いた様子を示すというのは深刻な問題である。最後にひと言加えれば、ビッグバン宇宙理論の初期の主導者の一人は、ベルギーのカトリック神父ジョルジュ・ルメートルであった。

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