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神学者ダーウィン、『種の起源』での神利用を指摘する新研究
ENV
May 6, 2010
「ディスカヴァリー研究所」の所員が集まると――むろんその場所は秘密の火山地底だ――彼らは時々冗談を飛ばして、賢明な憲法弁護士ならばきっと、ダーウィンの『種の起源』を連邦裁判所で禁書にさせることに成功するだろう、などと言う。この本は、そのかなりの神学的内容のゆえに、公立学校の理科授業から締め出されなければならない。何人も理科授業において神について話してはならない。
もちろんこれは冗談である――のつもりである。この本の議論と証拠をどのように考えようと、『種の起源』は科学の古典の何本かの指に入るもので、すべての学生が理解すべきものだ。
だからこそ、British Journal for the
History of Scienceに載ったこの新しい論文(リンク)は重要な意味をもつ。著者Steve
Dilleyはアリゾナ州立大学出身の科学哲学者で、科学と神学、哲学の間の関係を研究している。彼の分析研究「『種の起源』におけるチャールズ・ダーウィンの神学利用」(2011)は、ダーウィンがこの1859年の大著のいたる所で、自然選択による変化を伴う血統的下降という彼の説が真理であると言うために、神学を利用していると論じている。ダーウィンの神学は単に、敵である創造論者の前提は、証拠によって矛盾を生ずるだけの仮説だという消極的なものではなかった。
ディリーは、むしろダーウィンは彼自身の立場を強固にするために、神学を積極的に利用したのだと論じている。「ダーウィンは進化を弁護し個別
的創造を退けるために、神と自然法則の関係という特殊な神学的見方を用いている」とディリーは書いている。『種の起源』には、神学が用いられている次のような豊富な証拠が見られるという――
上で論じたように、『種の起源』の初版でダーウィンは、彼の変化を伴う血統的下降を主張し個別
的創造を退けるのに、少なくとも次のような積極的な神学的議論に依存している――
1.人間が、神は人間の心の知的能力に類似した方法で創造する、と考えるのは間違いである。
2. 好きなように自由に創造することのできる神ならば、共通
のパターンによってでなく、新規に新しい生物の四肢身体を創造するであろう。
3.尊敬すべき神なら、生物の構造を、その構造を機能させるための「最も単純な方式」と人間が考えるものに従って創造するであろう。
4.神は、ある与えられた部分の機能に要求される最小限の構造だけを創造するであ ろう。
5.神は、生物の起源について誤った経験的情報を与えたりしない。
6.神は自然法則を物質に刻印した。
7.神は最初の「原始的生命」を直接、創造した。
8.神は、最初の生命の創造後は、生命歴史の中で奇跡を行ったことはない。
9.「距離をおいた」神は、自然界の苦痛や苦悩に対し道徳的な責任はない。
10.生命歴史において奇跡を行ったとする個別的創造の神は、自然界の苦痛や苦悩の 存在を考えれば、ありそうもないものだ。
ディリーの論文はどう解釈しても、進化論に挑戦するとかIDを支持するといったものではない。彼の学問的関心は別
のところにある。科学・神学・哲学という三副対の研究者としてディリーは、これら人間的理解の領域がどのように相互に情報を与えているかに関心がある。その点で彼の新しい論文は見事に成功しており、進化論の歴史と性格の、今後の分析にとって古典的研究となるであろう。
この研究はまた、(ジェリー・コインやリチャード・ドーキンズのような)進化生物学者がダーウィン進化論を弁護するために神学を利用し続けている現行の論法に光を与え、カテゴリーを打破するものとなるであろう。
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