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ジェリー・コイン、科学的方法と宗教を論ずる

Michael Egnor
June 27, 2011

Jerry Coyneはオンライン記事「宗教は科学のおかげで成り立つ」(Religion Takes Credit for Science)で、科学的方法の起こりは、キリスト教文化や神学にその文化的・知的な淵源があるという、言いふらされた観点に反撃を試みている。

コイン「しかし我々が知っているような科学的方法は、宗教的インスピレーションとは何の関係もない。」

コインの言うことは半分しか当たっていない。科学的方法――経験的・組織的な、理論に基づく自然の研究――は確かに、ある種の宗教的インスピレーション、例えばアニミズム、ギリシャ・ローマの多神教、仏教、ヒンドゥー教、神道、イスラーム、そしてそう言えば無神論とも関係がないだろう。

しかし科学的方法は、キリスト教(とユダヤ教)のインスピレーションに対しては強い関係をもっている。組織的な理論としての科学を発祥させたのはユダヤ・キリスト教文化だけである。多くの文化(例えば中国文化)は優れた技術と工学を生み出したが、キリスト教文化だけが自然の概念的理解の根源となった。コインはそれを説明しなければならない。

コイン「科学的方法とは、理性と観察と実験に基づいて物事を見出す方法だが、これは宗教が物事を見出す方法とは正反対のものだ。」

キリスト教と他の宗教(や非宗教)との違いは、キリスト教はある合理的(理性的)な創造者による宇宙の創造と維持を措定していること、そしてキリスト教は、人間が創造者に似せて創られたのだと言い、従って人間は自然のもつ合理性の一部を理解することができると仮定していることである。初期キリスト教がキリストに当てはめた「ロゴス」という言葉は、この見方をよく表現するものである。

他の宗教的伝統の多くは、宇宙を何らかの意味で予言できないものと見ている(ギリシャ・ローマの神々の気まぐれ、アラーの非合理的な意志など)。科学の最も役立たない基盤である無神論は、宇宙の「なぜ」という問題を全く考えさせない。「とにかく起こったのだ」「人間は偶然の存在なのだ」などと言うのは、混沌の動機とか力の主張の動機にはなっても、科学の動機にはならない。

コイン「そしてそれはキリスト教のはるか以前から存在していた。」

我々の知っている科学的方法は、13世紀のフランシスコ派修道僧で、神の似姿に創られた理性的な人間による、神の理性的な創造の経験的な研究の創始者であったロジャー・ベーコンから始まった。

コイン「研究の科学的方法が宗教の影響を受けたとき、どうなると思うのだ?」

中世以来のすべての科学的方法は、公然とあるいは隠然と、人間と自然のキリスト教的理解に影響を受けてきた。

コイン「ここに2つの例がある。自然神学とインテリジェント・デザインだ。ウィリア ム・ペイリーのようなダーウィン以前の自然史学者は、自然の不思議を神の力と聡明さの証拠として研究し記述した。そのために彼らは、神によらない生命の説明を求めることを禁止された。」

自然選択は生命の「説明」ではない。同語反復は何も説明しない。最適者の生き残りでなく、最適者の出現を説明してこそ生命の説明である。そして適応ということがどうして生ずるのかを問うことができるのは遺伝学であり、形而上学(自然に目的は存在するか?)でさえそうであって、ダーウィニズムではない。

コイン「我々が、生命がどうして発達し枝分かれしたのかを真に理解し始めたのは、ダ  ーウィンがこれら神の足枷を投げ捨ててからである。」

ダーウィンは、アリストテレスからベーコンへ、ハンターへ、リンネへ、という何千年もの「神の足枷」科学の上に自説を築いた。パスツールが病原菌理論の先駆者となったのは、メンデルが遺伝学の創始者となったのは、神の足枷をしっかりと固めた上にであって、ダーウィンなど一顧だにしていないのである。

コイン「同様にIDは、理解を求めてわざわざ天上のデザイナーという概念を取りこむのである。IDは我々をどこへ連れて行ったのというのか? どこへも。」

ほとんどの科学者は、それを認めようと認めまいと、またそれを知ってさえいなくても、デザイン推定の内部で仕事をしている。生物学的構造や過程の目的とかデザインを問うことなしに生物学をやることを想像してみるがよい。

コイン「科学の発達の一から十までが、宇宙は神という原因と意志の反映だとする考え を拒否するところから来ている。」

科学史に関するコインの無知には閉口する。アメリカの主導的歴史家の一人であり社会学者のRodney Starkは、啓蒙主義時代の偉大な科学者のほとんどすべてが、実践的クリスチャンだったと述べている。スタークは、偉大な啓蒙主義時代の科学者たちは一般 の人々よりも篤いキリスト教信仰者だったと言っている。これら科学者のほぼ半数が、特別 に篤い信仰者と呼ぶべき人たちであった。

科学の起こりと科学的方法は、自然と、人間のそれを理解しようとする能力――義務とさえ言える―-の、キリスト教的理解に基礎を置いている。

コイン「宗教的人々が現在のこの進歩を自分たちのおかげだとすることは腹立たしいだ けでなく、絶望の匂いがする。神学者たちがいかに追い詰められ、劣等感を抱いているかを示す絶望の匂いである。」

近代科学のキリスト教的基盤という歴史的事実は、キリスト教徒がもっと話題にすべきことである。

もちろん20世紀と21世紀の科学は、合理的創造としての自然と自然を理解する能力をもつ人間の、キリスト教的理解に根付く観点を残していたとはいえ、表面 は甚だしくキリスト教的でなくなっている。科学の非キリスト教化は、我々の文明の非キリスト教化と歩を一にしている。ナチスによる医学的残虐、ソヴィエトによる国家無神論を罰するための精神医学利用、中国の一人っ子政策のための強制堕胎と女児殺し奨励(純然たる人道に対する犯罪)は、すべてキリスト教的教えとキリスト教的人間解釈から解き放たれた世俗的科学の例である。20世紀における科学的終末論――優生学、人口過剰ヒステリー、地球寒冷化ヒステリー、温暖化ヒステリー、気象変化ヒステリー、等――は科学が本来、人間と自然のキリスト教理解に発していた事実から解き放たれた科学のもう一つの例である。

コインはキリスト教に悪意ある蔑視の目を向けている。彼は、フランシス・コリンズ博士がキリスト教信仰を告白しているがゆえに公職から退くことを求めている。しかしコインのキリスト教への悪意は、科学が人間と自然のキリスト教的理解に基づいているという近代科学史の事実を変えはしない。

私のコインに対する質問はこういうことになる――宇宙は理由なしに発生し、人間は偶然の産物だという無神論的見方から、科学へのどんな意欲・刺激が生まれるのか?

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