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P.Z. Myersの「扇情的レトリック」や「階級闘争的はったり」は仲間の進化論者にとってもショック―-反論序説

Casey Luskin
June 28, 2011

「私のMacLatchieに対する無礼はむしろ控え目なくらいだ」とPZ マイヤーズは書いている。PZ が最近、ID支持の学部学生Jonathan M.について、「こういうBulls―t(Bullshitの伏字、牛の糞)を書いたことに対して恥を知るべきだ」と書いたにもかかわらず、である。どうやらPZは、Jonathan M.が次のような者だと言いたてたことを「控え目なくらい」と思っているようだ―-
ジョナサン・Mは

*「まぎれもない低能児」(flaming moron)
*「白痴」(idiot)
*「無知という罪状がある」(guilty of ignorance)
*「完全に教育不能」(completely ineducable)
*「嗤うべきナンセンスを唱えている」(ludicrous nonsense)
*「基本的な生物学的概念についてひと言も知らない」(doesn’t know one word about basic biological concepts)

PZはジョナサン・Mに対する「控え目」と自称するコメントを締めくくって、「君は恥を知るべきだ。これは恥ずかしいことだ」と言った。PZのこのダーウィンに疑義をもつ学部学生への仕打ちはもちろん、スコットランドのグラスゴーで行われたPZの講演会では、彼の聴衆からの絶大な拍手を受けた。これが「新無神論」進化論者の支持する対話方法なのだろうか?

PZや彼の支持者からのこのような激しい個人攻撃は今に始まったことではない。実は、マイヤー教授と彼の同僚たちの戦略レトリックがあまりにも礼儀を欠くものなので、同じ進化論支持の主流学者や著作家からさえ、批判を招いている。

2009年、“Blogging Evolution”というタイトルの、Iona大学哲学教授Adam M. Goldsteinによる論説が、ダーウィン派の雑誌Evolution Education and Outreachに掲載された。ゴールドスタインはマイヤーズのよく知られたブログPharyngulaを批評し、「マイヤーズの創造論者に対する反感はしばしば人身攻撃になっていて」通 常、PZの敵対者に対する「侮辱」に終っている、と述べている。ゴールドスタインは続けてこう言う――

マイヤーズの論評が進化科学に関する有益な情報を含まないと言うつもりはない。しかしそう言った上で、私がどうしても言いたいのは、この雑誌の「アマチュア」欄のブログ記事の方が、科学についてよりよい情報源になっているということだ。

これはどういうことか? 一人の信頼のおける学者が、主導的な進化論教育雑誌に載った「アマチュア」進化論ブログを評しながら、P.Z.マイヤーズの有名なサイトPharyngulaよりも、この方が「科学についてよりよい情報源になっている」と言っているのである。

PZを攻撃しているもう一人の学者は、熱心なダーウィン・ロビイストで、左傾的政策を堂々と主張するChris Mooneyである。ムーニーは彼の新著Unscientific America: How Scientific Illiteracy Threatens Our Future(非科学的アメリカ:科学的文盲が我々の将来を脅かす)でこう言っている――

最もあけすけな「新無神論者」たちは公然と宗教信者の内臓をえぐり出し、彼らを幻想を抱く非合理的人種と呼び(P.Z.マイヤーズはWebster Cookについて「気のふれたf―kwits(ケツあたま、fuckwitsの伏字)」と言っている)、場合によっては、よりリベラルな宗教者や、より妥協的な仲間の科学者、無神論者をも容赦せず徹底的にこきおろす。…もし目標が、科学と理性により好意的なアメリカを創ることであるならば、新無神論者たちの喧嘩腰は甚だしく非生産的である。(p.97)

ニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズのような左傾メディアでさえも、PZの無作法を問題として、2009年のLAタイムズの署名入り記事は、PZの多彩 な罵倒スタイルについてこう述べている――

また、ミネソタ大学の生物学教授P.Z.マイヤーズのPharyngulaというブログは、マ  イヤーズの専門である進化生物学に関するもののはずであるが、現実には、その掲載記事のほとんどすべてが、宗教信者たちをidiot, moron, looney, imbecileなどと呼んで憚らない彼の狂信的傾向を表明したものだ。大学当局はマイヤーズのブログへのリンクを切断したが、これは7月に彼が、あるミサの儀式を錆びた釘で刺し貫いてごみ箱に放り込んだ写 真を、カトリック教はタワゴトだという彼の意見を表明するために、ブログに掲載した後のことだった。

同じように2010年、NYタイムズはPZの無礼な言葉遣いをとがめて、こう言っている――

絶えずイデオロギーを宣伝し、熟慮の代わりに耳障りな言葉を用い、欠席裁判で敵を叩き続けるScienceBlogs は、宗教を叩き、世を嘆く大衆のためのフォックス・ニュースになり果 てた。PZマイヤーズや他のサイエンス・ブロガーたちは、いかさま師どもを退治することに力を尽くしていると思っているかもしれないが、彼らの困った点そこではない。困るのはこのサイトが人を間違って指導することである。それはとうてい科学者による科学と呼べるようなものではない。科学ブロガーによる科学ブロギングである。そして科学ブロギングとは明らかに、「科学」という言葉や、「ピア・レビュー」されたと称するあれこれを時折引くことによって、怪しげな道徳的権威を引き出そうとする、くどくどしく、懸命な扇情的レトリックの一つの形である。


知的厳しさという装いのもとに、これら科学ブロガーたちはあまりにも頑迷な行動方針に凝り固まっているので、ScienceBlogs全体が「階級闘争的はったり」といったものに染められている。(Virginia Hefferman,“Unnatural Science,”NY Times, July 30, 2010)

読者の方々はこの引用文の重大さに気づいてほしい。なぜならNYタイムズは、おそらく世界中で最も断固としたダーウィン支持の、最も有力な新聞だからである。主要メディアでNYタイムズ以上に、PZマイヤーズのような人に体質的に友好的なメディアを考えることは難しい。何しろ彼は有名大学の専門的生物学者であり、インターネット上でおそらく最もよく知られた進化論支持の科学ブログの創作者なのだから。

にもかかわらず、NYタイムズはマイヤーズのやり方を好意的に見ていない。それどころかこの新聞はPZマイヤーズ(と彼の仲間の科学ブロガーたち)のブログを「フォックス・ニュース」にたとえている。これは体制メディアの左傾的世界では究極の侮辱であろう。この論説がこういう比較をするのは、マイヤーズや他のサイエンス・ブロガーの書くものに満ちあふれる「扇情的レトリック」や「階級闘争的はったり」のためである。NYタイムズがその兄弟ともいうべき者に対してこれほどの態度を取るのは、単に何かが間違っているというのでなく、PZのやり方には根本的に嫌悪すべきものがあるからだと思われる。

悲しいことに、PZの振舞はダーウィン・ロビー一般 のやり方からあまり離れたものではない。PZがこれだけの人気を得るに至ったのは、彼のスタイルや振舞が「新無神論者」やダーウィン・ロビーの中心メンバーの中で、残念にもこれが普通 のことだからである。

ダーウィン・ロビーに一般的な無礼な非学者的なやり方に注目する他の学者もいる。Journal of Science Communication誌の2009年のある論文で、Inna Kouperは、進化論ブログには、いかに部族差別的な悪罵が用いられていて、人々が「奴ら」に同調できないようにしているかを説明している――

下の「要領」では、評価は、2つの対立する役者グループ、つまり「我ら」進化論支持のブロガーと「我ら」への同調者VS「奴ら」創造論運動のメンバー、の間の境界線を強化するために存在する。


要領4−Panda's Thumb
彼らが実際にCasey Luskinの名前で賞を出すようにしているのは、ID運動の無能さを示すもう一つの証拠である。創造論者側の最も無能な、知識不足の、哀れな敗北者をつまみ出して、次世代のIDiots(常套的悪口)を鼓舞するために、その者の名前を利用せよ。


感情的でしばしば侮辱的な評価が、これや他のいくつかのブログではごく普通 のことになっているが、この人たちは自分たちの正しさを証明するだけでなく、彼ら理性ある立派な者たちのグループを、間違った、頭の悪い、総じて無価値の他者と区別 するのに熱心なようだ。このような評価と嘲りがあまりに頻繁であれば、それは理性的な論争や批評の目標を完全に覆すことになる。このような活動は、同じような精神をもつ者たちを結束させるかもしれないが、それは同時に、決断できないでいる者たちや見解の違う者たちの敵意を呼び起こすであろう。
(Inna Kouper,“Science blogs and public engagement with science: practices, challenges, and opportunities,”Journal of Science Communication, Vol.9(1), March 2009)

クーパー女史が「奴ら」と「創造論者運動」を間違って一緒に扱っていることを除けば、彼女の分析はまさにぴったりである。クーパーの観点はPZの侮辱スタイルの意味を明らかにしてくれる。すなわち、「我ら」対「奴ら」という環境を作り出すことによって、PZの敵に対する耐えざる嘲罵が、仲間の進化論者(「我ら」)がダーウィン懐疑者(「奴ら」)に同調していくのを防ぐのである。

しかし、これだけ多くの進化論者が個人攻撃や嘲笑や他の扇情的なレトリックを、第一の戦略として用いるのは、もう一つの重要な理由がある。PZ流の侮辱が、同じ部族のメンバーがどちらに与すべきか思い迷うのを防ぐだけでなく、彼の激しい言辞が、すでにダーウィン進化論に疑問を抱いている者たちを効果 的に委縮させ、それを口に出して嘲笑の的にならないようにさせるのである。PZの激しいレトリックは実質的に、反対を封ずる考えられた方法なのだ。

次回には私は、PZがジョナサン・Mに対して用いたこのような戦術が、発生学と進化についての論争を用いながら、いかにこれに失敗しているかを調べてみることにする。この論争はPZにとって非常に重要なものになるはずである。なぜならそれは、彼のブログのタイトルであるpharyngula(咽頭胚)というコンセプトの存在そのものを標的とするものだからである。

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