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後退する「ジャンクDNA」神話

Jonathan Wells
October 6, 2011

チャールズ・ダーウィンの学説、すなわち、すべての生き物は、1つまたは少数の共通 祖先から、自然選択のような導かれない作用による変化を受けて生じてきたものだとする説は、1900年以降のグレゴール・メンデルの遺伝理論によって補足されるまで、今日のような隆盛をみることはなかった。1940年代までに科学者たちは、DNAをメンデルの遺伝因子の運び手と見るようになっていた。

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが1953年にDNAの構造を解き明かしたとき、クリックは、分子生物学の「セントラル・ドグマ」、すなわちしばしば「DNAがRNAを、RNAがタンパク質を、タンパク質が我々をつくる」と表現されるものを公式化した。これは、タンパク質をコードするDNAの変化が、進化の原材料を提供するということを意味する。ところが1960年代に、生物学者たちは、我々のDNAのほぼ98%はタンパク質をコードしていないことを発見した。ある人々は(クリックも含めて)、タンパク質をコードしないDNAをジャンク(ごみ、ガラクタ)と呼び、それができるのは進化の途上で分子に起こる事故が蓄積するからだとした。

1990年代半ば以降、ダーウィン進化論の擁護者たち――Richard Dawkins, Kenneth R. Miller, Douglas Futuyma, Michael Shermer, Francis A. Collins, Philip Kitcher, Jerry A. Coyne, John C. Aviseら――は「ジャンクDNA」はダーウィン進化論の証拠となるもので、逆に、インテリジェント・デザインの嘘を証明するものだと主張してきた。(インテリジェント・デザイン=IDとは、我々は自然の証拠から、生き物の特徴など世界の特徴のいくつかは、導きをもたない(偶然的・盲目的な)自然の過程によるよりも、知的な原因によって、よりうまく説明できるという見方のことである。)

しかし2007年までに、ほとんどの哺乳類のゲノムは、タンパク質をコードしないRNAに転写 されることが明らかになった。生き残りのために闘っている生物が、ゴミを生産することにこれほどのエネルギーを費やすとは考えにくいから、ほとんどのタンパク質をコードしないDNAは、やはりゴミではないのだろうということになった。

それ以来、タンパク質をコードしないRNAの特定の生物学的機能が発見されるようになった。我々のゲノムの、いまだ機能の同定されていない部分は多いものの、いわゆる「ジャンクDNA」の特定の機能の長いリストがすでに存在し、週を追うごとにますます長くなりつつある。我々のゲノムのほとんどはゴミだという根拠に基づいてダーウィン進化論を弁護し、IDを批判することは、新しい発見がなされるたびに後退しなければならない「穴埋めのダーウィン」論ということになる。

私は最近の著The Myth of Junk DNAで、このことをはじめとする問題点をいくつか指摘した。不思議なことに、私がこの本で特定して批判している著者たちからは何の反応もない。しかし2011年9月23日、John FarrellがHuffington Postに書評を書いた。

ファレル氏は、2つの根拠で、私の信頼性のなさをまず主張している。第一に彼は、私がメンデルは「ダーウィン説に納得しなかった」と主張するのは歴史の「読み違い」で、実際はメンデルは「進化の事実(変化を伴う血統的下降)」と「それを説明する自然選択説」を受け入れたのだと言う。この主張を裏付ける資料をファレルは引用していない。

ファレルが引用しているのはDaniel J. Fairbanksの2077年の本Relics of Edenで、これはメンデルが「『種の起源』を読んだだけでなく、彼自身のエンドウ豆の研究が進化論に与えた意味を自覚していた」という彼の主張を支持するものだと言う。これはその通 りである。メンデルは1963年版のドイツ語訳『種の起源』を読み、彼の古典的な1865年論文「植物の雑種作りの実験」の冒頭には、自分の実験的なアプローチこそが「ある問題の解決に最終的に到達できる唯一の正しい方法かもしれない。その問題とは、生物形態の進化の歴史と関連するこの上なく重要なものだ」と述べた。

しかしメンデルは、自分の所有する『種の起源』の本の、ダーウィンが雑種作りについて述べている箇所にマークをつけ、これは根本的に受け入れられないと書きしるしている。また1865年論文の中ほどでメンデルは、栽培された植物の変種において「その種が急速にすべての安定性を失い、それらの子孫が枝分かれして、無限に連続する極端に多様な形態に変わっていくというような想定は、全く根拠のないものだ」と言っている。メンデルは結論として植物学者Karl Friedrich von Gaertnerの見解を引き、こう述べている――

種は、ある限界を越えては変わることができないように固定されている。この見方は 無条件では受け入れられないとしても、ゲルトナーの実験を見るならば、栽培された植物のすでに表出された変化可能性に関する限り、そうした想定が著しく確かなものであることがわかる。

第二にファレルは、私が『ジャンクDNA神話』で、生物学者は自然選択による種化(speciation,新しい種の始まり)などというものを見たことがない、と述べていることにショックを受けている。彼は、H. Allen OrrとMatthew L. Niemillerという2人の生物学者による「野外においてなされた広範囲な仕事」に言及している。

しかしオーアとニーミラーは、存在する種の遺伝の研究をしているのであって、それらの起源についての仮説を支持する証拠を見つけようとしているのである。2006年の拙著The Politically Incorrect Guide to Darwinism and Intelligent Design(ダーウィニズムとIDについての政治的に不公正なガイド)で述べたように、科学文献の中には、彼らも他の誰にしても、自然選択による新しい種の始まりを観察したと述べているものはない。

植物においては、新しい種が確かに染色体の倍化(polyploidy)によって発生することが観察されている。しかし染色体倍化による種形成は、自然選択によるものでなく(ファレルがあげているもう1つの過程、遺伝子浮動(drift)によるものでもなく)、進化生物学者でさえpolyploidyはダーウィンの問題を解決するものでないことを認めている。

ファレルは、「読者は、この本の最初から出てくる」、メンデルや種形成についての私の論述のような「不正確なものを信用しないことだ」と言う。しかし不正確なのは彼の方である。

ファレルはそこで『ジャンクDNA神話』の中心主題に注目する。彼はまず「ニセ遺伝子」を、「コードする遺伝子のもはや機能していない複製」と定義するが、これは問題がニセ遺伝子の機能ということなのだから、巧妙な手だ。私はこの本で、それらが確かに機能するいくつかの仕方を説明したが、これが出版されてまもなく、科学者たちはProceedings of the National Academy of Sciences USAの中で、機能するニセ遺伝子は「真核生物においては普遍的なものかもしれない」と報告している。(真核生物とは、バクテリアが核をもたないのに対し、核をもつ細胞からなる生物のこと。)

ニセ遺伝子は(この本で指摘したように)人間ゲノムの比較的小さな部分でしかないのだが、ファレルは、私のそれらについての章は、読者に「生物学者たちが人間ゲノムの全体が機能をもつことを、ますます発見しつつあるかのような間違った印象を与えるものだ」と言っている。もちろん私の本は、タンパク質をコードしないDNAの、それ以外のいろんなものの機能について章を設けている。いずれにせよ私は、ほとんどすべての、タンパク質をコードしないDNAの機能が発見されたとは言っていない。とはいえ、上に述べたように、そのリストは毎週のように長大化しつつある。ジャンクDNAの弁護者が悩まなければならないのは、現在の総数というより、その趨勢である。

ファレルはさらに、進化生物学者T. Ryan Gregoryを引き、「彼のゲノムの大きさについての仕事をウエルズはなるべく避けるようにしている」と述べているが、私はこの本で、ある程度詳細にグレゴリーの仕事を紹介し、ゲノムの大きさと細胞の大きさの間の知られた相関関係は、ジャンクDNAを持ち出すことによって説明することはできないという彼の結論にも言及している。

ファレルの書評の最後の1/3は、ビタミンCニセ遺伝子に集中しているが、これはジャンクDNA問題とは周辺的な関係しかないので、私は付録の部分で論じているものである。ダーウィン進化論の弁護者たちは、ビタミンCニセ遺伝子はビタミンCの合成に参加しないので、それはいかなる生物学的機能も果 たしていないと考えている。この想定は正しいのかもしれない。しかし科学者たちが他のニセ遺伝子の機能を発見しつつある、この勢を考えるなら、それは良く言っても疑問だと言わざるを得ない。

『ジャンクDNA神話』で私が批判している著者の中で、ケネス・ミラーとジェリー・コインは共に、人間とチンパンジーが共通 祖先から出たものとする証拠として、ビタミンCニセ遺伝子に依存している。ミラーはさらにこれをIDの間違っている証拠と考えている。しかし共通 祖先はIDとは別の問題であり、ID唱道者の間でもこれについて見解は一致していない。

ファレルは、「進化理論に基づいて最上の確認の仕事をしてきた(ミラーやコインのような)科学者に対する反科学的レトリックや攻撃」を、私がしていると言って非難する。例えば私は、ミラーが2008年に、公表された科学的証拠もなしに、ゴリラは食餌にビタミンCを必要としていると主張したのを批判していると言う。「ウエルズは、ゴリラの食餌にビタミンCが必要なことの公表された証拠を見つけることができなかったのかもしれないが、それはちゃんと存在する」と言って、ファレルは1970年のLinus Paulingの論文や1949年のG. H. Bourneの論文を引用している。しかし両論文とも、ビタミンCの摂取量 を増やすことの人間への健康増進の可能性について論じたものである。ボーンはゴリラのビタミンの豊富な菜食主義食餌に言及し、ポーリングは、人間とゴリラは共通 祖先から出たものと仮定し、十分な野菜の代わりに、我々はもっと多くのビタミンCを補えばよいと論じているのである。どちらの著者も、ゴリラがどれだけの量 のビタミンCを必要とするかについては、どんな科学的証拠もあげていない。

「結論として」とファレルは書いている、「『ジャンクDNA神話』は、進化生物学を真面 目に受け止める人には勧められない」が、しかしそれは「共通 祖先を忌み嫌い、自然選択を忌み嫌う創造論者には合理的説明を提供するものだ。」

しかし私は自然選択を忌み嫌ってはいない。それが起こることを私は疑わない。しかし、それが新しい種を創造するというダーウィン説には十分な証拠がない。また私は共通 祖先を忌み嫌う者でもない。存在する種の内部でそれが起こることを私は疑わない。しかし、すべての種が1つあるいは少数の共通 祖先から生じたとするダーウィン説には、やはり十分な証拠がない。そして科学において重要なのは、究極的に証拠なのである。

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