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フランシス・ゴールトン(ダーウィンのいとこ)の身の毛のよだつ小説

ENV
December 8, 2011

ダーウィンのいとこは、決して彼の残した負の遺産を消すことはできないだろう。確かにFrancis Galton はよいこともした。天気図、指紋のシステム、社会科学の仕事など。しかし彼の産んだ子である「優生学」(eugenics)は、いま怪物として彼自身の言葉で蘇った。すなわち焼却し尽くされなかった身の毛のよだつ小説だ。

彼の家族はこれを焼却しようとした。フランシス・ゴールトンの書いた小説はKantsaywhereという題で、科学が最上の人間種を育て、不適応者を消滅させる彼の理想世界のビジョンを描いたものだ。これは彼の有名ないとこが大いに評価したものではなかっただろうか? Michael Marshallはそう思っていない。New Scientist誌上に(リンク)彼は、この小説の残った部分を復元してインターネット上に発表しようとするUniversity College Londonの試み(リンク)について書いている。

不適応、虚弱、あるいは精神病の者は、子孫をつくることを許されず、「高等種」と目される者だけが子供を持つ特権を与えられる、というような主張をする小説は、どうすれば出版できるのだろう?

それは無理なのだ。フランシス・ゴールトンは20世紀始めの10年間にそれを試みたのだが、彼の優生学小説Kantsaywhere(どこか言えない)は出版されないまま、1911年に死んだ。彼の家族が直ちにこれを見つけ、恐ろしくなり、そのほとんど全てを焼却した。(強調引用者)

残った断片を見るだけでも相当、動揺を与える。マーシャルは、そこで行われる適性検査やこの社会の原則についてのゴールトンの説明のドライさ、また語り手の非人間的な冷酷さに、かなり動転したようだ。「まるで教科書を読むようだ」と彼はコメントしている。しかし何という教科書だろう! それはただドライで冷酷なだけではない。「身の毛がよだつ」というべきだろう――

しかしこの形式でさえ、ゴールトンの優生学的社会のビジョンの不気味な魔力(ghastly fascination)から逃れることは難しい。最も印象的なのは、子孫を残せるかどうかについて彼が思い描くいろんなテストの中に、道徳感覚についてのテストが含まれていないことである。このテストは、人が親切か、分け合うことができるか、感情移入が可能か、協力的かについては、全く無関心なのである。明らかに、こうした特質は、ゴールトンの完全な社会にとっては、重要ではなかったようだ。調子をはずさず歌えるか、洞察力あるエッセイが書けるか、といった点が重要で、これらはきちんとテストされることになっている。

情緒や感情に対するこの冷ややかな軽蔑において、ゴールトンの小説は、来るべき2つの大戦で行われた多くの非人間的残虐を予言していた。(強調引用者)

こうした感想を、ダーウィン側のニュース・サイトに載せてくれたマイケル・マーシャルに感謝する。いやまったく、道徳はどのように進化したのだろう? 親切さ、分け合う精神、思いやり、協力、心情などはどうやって?『種の起源』には書いてない。ゴールトンはそうしたメッセージを受け取って、彼のいとこの哲学を、その明らかな論理的帰結へと導いたのである。

彼の小説書きの作業は「物語の残り」にまで及ぶことはなかった。すなわち、その後10年もしないうちに始まった1億6,400万人の冷血的殺戮の物語である。これら「意図せざる続編」の結果 として、ゴールトンはもはや正統的な科学者としてでなく、「優生学の父」として記憶されている。

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