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神と天文学者、再訪
ENV
January 18, 2012
「創造の一点を認めたら、そこから科学は崩壊してしまうだろう。人はそのとき宗教や神の手に訴えざるを得なくなる。」こう言ったのは誰か推測していただきたい。
それは誰でもない、あの世界で最も有名な宇宙学者Stephen
Hawkingである。彼はID唱道者を攻撃していたのだろうか? そうではない。彼は最近自分がもらった誕生日のプレゼントを嘆いていたのである。
New Scientist誌にLisa Grossmanが書いているところによると、ホーキングの70回目の誕生日祝いに、宇宙学者たちが集まって「宇宙のあり方」について議論した。ホーキングは上記のコメントを含む声明文の録音をそのために用意した。彼が出席を免除されたのはよいことだった。友人たちは彼に(グロースマンによると)「かつてない最悪のプレゼント」を彼に贈った。Tufts
UniversityのAlexander Vilenkinは、「宇宙は恒常的(無始無終、eternal)でない」という証拠を提出し、「どうやったら超越的な創造者の手なしに宇宙をスタートさせることができるかという、棘のささった問題を蒸し返した。」
この論文は、なぜ恒常的宇宙を主張するいかなる説も――恒常的インフレーション、循環する宇宙、「宇宙卵」といった仮説――成り立たないかを説明するものである。どの場合でも、数学と物理法則が、出発点を取り除くことを不可能にする。これによって自然主義をとる天文学者たちは、彼らが避けようとしてきた「始まり」に直面
せざるをえなくなる。
この論文には「なぜ物理学者は創造という出来事を避けられないのか?」という見出しがついている。天文学者は「この問題をかわそうと試みてきた」のだが、できなかったのだとグロースマンは説明する。正確にはどういう問題か? ニュー・サイエンティスト誌の同じ号の編集記が、率直にこれを「創世記問題」と呼んでいる。グロースマンは、出発点なしの宇宙モデルには3つのモデル選択の希望があったのだが、「その希望も次第に薄れ、今では死んだといってよい」と述べている。
考えるべき点は、これがID論争にどのように関わるかである。IDに反対する人々は常に、宇宙のデザイナーは必然的に超越的神なのだから、そのことによってIDは宗教であることになると主張する。よろしい。では今、超自然を口にしているのは誰なのか? 考えてみていただきたい。スティーヴン・ホーキングはディスカヴァリー研究所に勤務しているわけではない。リサ・グロースマンも、アレクサンダー・ヴィレンキンも、ホーキングの誕生日バッシングを考案した人々も同じだ。
しかもそれは、なんというバッシングだったか? それはIDへの主導的な反対論の一つを叩いたのだ。もし哲学的・方法論的自然主義者たちが、ID主導者たちを、超自然に訴えるといって非難することができるならば、ホーキングや、グロースマンの記事に出てくる他の人物たちが同じことをしているのに、一般
の人々はこれをどう考えればよいのか? 世界の主導的な宇宙学者たちが、事実から宇宙には始まりが要請されること、そして宇宙の始まりは「宗教や神の手への訴え」とか「超自然的な創造者の手」を意味することについて、合意に至っている。
実はこれは別に新しい話ではない。これは多くの天文学者が、あくまで始まりのない宇宙を固守しようとして要求してきたゲームの、延長戦にすぎない。最初のインニングは、熱力学の法則が無限に古い宇宙を締め出し、宇宙の膨張は有限な過去の爆発的な出発点を意味することが天文学者に理解された、20世紀前半に行われた。天文学者Robert
Jastrowは、1978年の『神と天文学者』の中に書いているように、始まりという考えに対する天文学者たちの感情的な抵抗に驚愕した。ジャストロウは、聡明で冷静な彼の同僚たちが、科学から超自然を排除しようとして、知識の最後の頂上に達したとき、そこに何世紀も前から坐っていた一群の神学者たちを発見し、突如、憤激したことに驚いたのである。
Fred Hoyleは20世紀半ばに、もう一回戦を要求した。それは観察事実を説明することのできる「恒常状態」宇宙であった。ただし、物質の絶えざる無からの創造を仮定すれば、の話だが、それは常識だろう、どうだ?、というものであった。しかし1964年には、宇宙の背景的放射の事実が発見され、対抗する“ビッグバン”モデル(定着したホイルの嘲笑的呼称)が有利となり、「恒常状態」宇宙説は不利となった。そこで再び宇宙学者たちは、駄
々をこね泣き叫びながらも、「始まり」へと連れ戻された。
歴史が繰り返されたのは1981年、Alan
Guthが、ビッグバン宇宙論の長年の問題を解決するように思えた、場当たり的なメカニズムとしての“インフレーション”モデルを提案したときであった。恒常的宇宙愛好者たちはこの新しい考えに飛びつき、これを拡張して“恒常インフレーション”(や他のThe
Outer Limitsに合うエピソード)を作り出した。
以上が、グロースマンが説明している欠陥モデルである。攻防は終わった。そして反「始まり」チームは敗退した。「我々の手にしているすべての証拠が、宇宙は始まりを持つと言っている」とヴィレンキンは結んでいる。
The Privileged PlanetのDVD版のために、ジャストロウ博士は、彼の長い、実り多い研究生活の最後のインタビューに応じた。『神と天文学者』についてコメントしながら、彼は、宇宙の膨張は「非常に強い神学的な気味合いをもつために、特別
なことなのだ」と言って我々に同意した。始まりは創造を意味することを彼は認めた。しかし彼は自ら誓った唯物論者・不可知論者であるために、「それは受け入れられない」と理解した。不可知論者として、彼は「もし始まりがあり宇宙創造の瞬間があるのなら、一人の創造者がいる。そして創造者は不可知論とは矛盾する」ことを知った。
ジャストロウはさらに、世界は偶然の産物で原子や分子があるだけ、という考えも受け入れられないと言った。「だから私は、完全に望みのない苦境に立っています。そして私はずっとそうでした」と彼は語った。彼の唯物論哲学は、宇宙は物体とそこに働く力によって完全に記述できると信じさせようとした。「しかしそれは満足できるものでないと分かっています。実は、それが私を不安にさせます。私は何かを見落としていると感じている…しかし何を見落としているかは、生きているうちには見つけられないでしょう」と彼は言った。その4年後に彼は死んだ。(ニューヨーク・タイムズの追悼賛辞(リンク)を見よ。)
もう一度、これらの引用文において、科学の中に宗教的議論を持ち込んだのは、どちらなのかに注目していただきたい。それはID共同体ではなかった。インテリジェント・デザイン唱道者は、ダーウィニズムや他のどんな起源理論もそうであるように、含意としてそれを持っている。しかしIDは、デザインの証拠と、いかにそれが考古学や暗号学のような、科学に普通
に用いられる技法によって検証可能であるか、ということに自らを限定している。批判者がIDとその含意を混同するのは間違っている。
宇宙学者たちが証拠によって、同じような結論と同じような含意にたどりつかざるを得なくなった今、もし彼らがIDを、神学や宗教や超自然を科学に持ち込むものとして非難するとしたら、それは彼らを「完全に望みのない苦境」に立たせることになる。メス鴨のソースはオス鴨のソースにもなる。(諺:一方について言えることは他方についても言える。)
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