NO.34(2005年10月)


科学研究の枠組みとしてのID理論
――IDは実験室の研究をどう変えるか――

渡辺 久義

IDの科学的有効性

 これを書いている数日前、全米を沸かしているID論争について意見を求められたブッシュ大統領が、IDのようなダーウィニズムに対立する学説があるならば、これを公平に教えるべきだと発言したことから、いよいよ「インテリジェント・デザイン」は全米人の口に上る日常語になったと考えてよい。この時点で、十八本のIDに関するテレビ・ラジオ討論が、「ディスカヴァリー・インスティテュート」のHPで視聴できる。
 ところでIDというのは、宇宙自然界が心を持たぬものだとする旧来の見方を変える科学革命であり、さらには文化革命であるという哲学としての側面はよく分かったが、それによって今自分が取り組んでいる実験室での研究がどう変わってくるのか、現実には何の関係もなさそうだ、という科学者がおられるかもしれない。
 とりわけIDがダーウィニズムに取って代わる理論であるとしても、ID論者自身が認めるように、「起源問題」すなわち(宇宙の起源はさし措くとしても)生命の起源、生物種の起源、新しい器官や構造の起源の「いかにして」に答えられないとしたら、それが何を発見したというのか、何の役に立つのか、現実の科学の問題解決にどう貢献するのか、という疑問を呈する人はあるかもしれない。
 この問題については最初から、反ID(ダーウィニスト)側からの軽蔑的な批判があり、IDの立場に立つ論文が、公的な審査(peer-review)付きの学術雑誌に掲載されることはまずなかろうと、彼らは公言していた。ところが次々にID論者の論文がそのような学術誌に掲載されるに及んで、今度は、ID論者に対する人身攻撃のようなものが始まったのだそうである。むろんそういう不愉快なことをここで問題にするつもりはない。
 こうした論文の中でも特に注目されるのが、ごく最近、イタリアに古くからあるRivista di Biologia / Biology Forumという権威ある生物学術誌に掲載されたジョナサン・ウェルズ(Jonathan Wells)――Icons of Evolutionの著者――の "Do Centrioles Generate a Polar Ejection Force?" という論文ではないかと思う。中味を十分に理解できぬ私がそんなことを言うのは僭越のようであるが、それには今から述べるわけがある。
 これは細胞分裂のメカニズムについての、従って癌の解明につながる新しい仮説であるが、ネオ・ダーウィニズムの還元主義的観点からは出てこない仮説であると本人が明言している。私事で恐縮だが、ウェルズ氏と私は、ある学際的な学会の同じセッションでペアを組んで発表した間柄であり、この論文は私のパソコンに入っているので、ご連絡くだされば希望者にはいつでもお送りすることができる。
 ここで取り上げるのはこの論文でなく、ID理論の適用可能性一般について、ウェルズが自分のこの論文を解説するような形で書いた「科学研究の指針としてのインテリジェント・デザイン理論」(Using Intelligent Design Theory to Guide Scientific Research)という論文である。これはIDに賛同する若い後進のために書かれた貴重な論文であると思う。因みに、これはISCID(International Society for Complexity, Information and Design)という機関の発行する雑誌PCIDに掲載され、インターネットで読み出すことができる。

  インテリジェント・デザイン理論(ID)は、少なくとも二つのレベルにおいて科学  に貢献することができる。一つのレベルにおいてIDは、世界のある与えられた特徴がデザインされたものであるか否かを証拠から推論することに関与する。これはウィリアム・デムスキーの「説明のフィルター」や、マイケル・ビーヒーの「還元不能の複雑性」の概念の働くレベルである。それはまた近年最も注目を浴びたレベルでもある。その理由は主に、たった一つ知性によるデザインが生命体に存在するだけでも、現在西欧の生物学を支配しているダーウィン進化論を覆すに足るからである。    
  もう一つのレベルでは、IDは、科学研究の概念的枠組みを提供するTメタ理論Tとして機能することができる。(例えばダーウィニズムのような)古いメタ理論によって組織的に無視されてきた世界の特徴について、検証可能な仮説を立てることによって、そしてそれが新しい特徴の発見につながることによって、IDはその科学的有効性を間接的に証明することができる。


IDによる新発想

 ウェルズは続けて、僚友のデムスキーやポール・ネルソンとともに、デトロイトのある優秀な業績を誇る技術開発の企業を訪問したときのことを語っている。この会社の成功の裏にある指針となっているのはTRIZというものであり、これはTheory of Inventive Problem Solving (新発想による問題解決理論)を意味するロシア語の頭文字であった。昼食を共にしながら、社長は「IDが真剣に受け入れられるためには、いくつかの現実の問題を解いてみせなければならない」と語ったという。

 私はそこから閃きを得て、TOPS(Theory of Organismal Problem-Solving「生命体に関する問題解決理論」)と私の呼ぶものの概略を作ってみた。しかし、このTRIZの生物学的相関物において、私は違ったアプローチを試みることにした。私の定式化したTOPSは、IDがいかに新しい仮説と科学的発見に導くかを示すものである。
 TOPSは、少なくとも二つの命題を暫定的に受け入れることが、証拠によって十分可能であるという観点から始まる――(1)ダーウィン進化論(生物の新しい特徴は自然選択がランダムな変異に働きかけることによって生ずるという理論)は間違いである。(2)ID(生物の多くの特徴は知的作用を通じてのみ生ずることができたという理論)は正しい。
 次にTOPSは、ダーウィン進化論に含まれるいくつかの考え方をきっぱり排除する。それは次のようなものである――(1a)生物は、分子という構成要素の観点から、ボトムアップの考え方によって最もよく理解することができる。(1b)DNAの変異が大進化の直接の原因である、胚発生は遺伝子プログラムによって支配される、癌は遺伝子の病気である、など。(1c)生物の多くの特徴はランダムな過程の無用の痕跡であるから、それらの機能を調べることは時間の無駄となる。
 最後にTOPSは、作業仮説としてIDに含まれる様々な考え方を正しいものとする。それは次のようなものである――(2a)生物は、還元不能に複雑な有機的全体として、トップダウンの考え方によって最もよく理解できる。(2b)DNAの変異が大進化をもたらすことはできない、胚の発生プログラムはDNAに還元できない、癌は細胞のDNAよりも細胞のより高い構造的特徴によって生ずる、など。(2c)生物のすべての特徴は、そうでないと証明されないかぎり機能をもつものと考えるべきであり、リヴァース・エンジニアリング(逆行分析)がそれらを理解する最上の方法である。

 ウェルズはこれに但し書きを加えて、「含まれる考え方」(implications)というのは「論理的に導き出されるもの」という意味ではないと言っている。ダーウィン進化論が、ここにあげたIDの考え方を論理的に排除するものでもなければ、IDがダーウィン的考え方をことごとく否定するものでもない。それは力点の違い、基本的なフレームワークの違いであるという。
 これは研究者としてバランスの取れた態度ではなかろうか。ネオ・ダーウィニズムとIDの違いを一言でいえば、要素還元主義とホーリズム(全体論)の違いである。ネオ・ダーウィニズムは基本的に、DNAという分子的要素に生命の秘密があると考え、IDは、生命はホーリスティックな現象であるから、生物学の諸問題は要素に還元して説明することはできず、「全体」にその秘密があると見る。ダーウィニズムがボトムアップであるとすれば、IDはトップダウンである。しかし、IDによるパラダイム転換が起こったとしても、要素のもつ意味が薄れるわけではない。要素がすべてではないというだけである。
 これは西洋医学と東洋医学の違いに比べることができると思う。西洋医学は基本的に要素(物理的に見た患部)還元主義であり、東洋医学はホーリズムである。病気というものが基本的に心身問題であり、環境との不和の問題であるという観点に立つかぎり、東洋医学が基本でなければならないことになる。しかし、明らかに心の関与しない、例えば細菌性の病気にまで東洋医学を応用するのは馬鹿げているだろう。
問題は対立者の見方を排除することでなく、フレームワークを(この場合TOPSの示唆するフレームワークに)変えてみるということである。

ジャンクDNAの解明

 例えば、脊椎動物のゲノムの、タンパク質製造を指令しない広大な領域に関する研究を取ってみよう。ネオ・ダーウィニズムの観点からは、DNAが生物の枢要の特質を決めるタンパク質を指令するのだから、DNAの変異が進化の直接の原因になり得ることになる。指令を出していない領域はタンパク質を作らないのだから、ダーウィン生物学者は長年にわたって、これをランダムな進化過程で生ずるノイズ、あるいは「ジャンク(くず)DNA」として捨ててきた。しかしIDの観点からすれば、生物がこれだけ大量の「ジャンク」を保存し伝達するのに精力を費やすなどということは、考えられないことである。指令を出さない領域もまた、我々がいまだ発見していない機能をもつ可能性の方がはるかに高いのである。
 最近の研究によると、実際「ジャンクDNA」は、以前には予想もしなかった機能を持っていることが明らかになった。この研究はダーウィニズムの枠内でなされたものであるけれども、その結果は、ダーウィン的な研究課題を追及している人々には全くの驚きであった。「ジャンクDNA」はジャンクではないという事実が、進化論のゆえでなく進化論にもかかわらず出てきたのである。

違うものが見えてくる

 同じ一つの現実を見ていても、前提あるいは見る方向が違えば、見えてくるものが違うはずである。ウェルズの提唱するTOPSは「生命体に関する」問題解決理論であるが、世界そのものを有機的全体として見れば、生命・非生命の区別は、研究の方法上はなくなるであろう。例えば水という不思議な性質をもつ物質を、無機物として孤立させて考えるのでなく、有機的全体の一部として意図されたものとして見るならば、水の研究は飛躍的に発展するであろう。
 宇宙自然界はデザインされているように見えるが実はデザインされたものではない、有機的に絡まりあっているように見えるがそれは偶然そうなったにすぎない、といったダーウィン的前提に立ち、しかもその前提をしか学問として認めないとしたら、どれほど研究の足が引っ張られるであろうか。無機物質から生命体が作れるはずだ、DNAを組み合わせてどんな生物でも作れるはずだ、といった信念がある期間学界を支配するのは、学問の発展過程でやむをえないことであろう。しかし、それが考え方の枠組みに根ざす過ち――フィリップ・ジョンソンの言う「錬金術」――であることにいつまでも気付かないとしたら、確実に学問は停滞することになる。のみならず、それは莫大な税金による研究費の無駄遣いである。ウェルズはこの論文に関するあるインタビューの中で、はっきりそう言っている。
 ウェルズの示唆する方法は、例えば言語能力の起源という問題の解決にも役立つのではないかと思う。ダーウィン的枠組みは、すべて「徐々に」ということを前提とするから、言語能力も徐々に形成されたという前提のもとに、例えばサルに言語を覚えさせようとする試みがなされることがある。ある程度まで、それは可能なのかもしれない。これを無駄と言うつもりはない。しかしIDに従って、これを人間という種に最初から組み込まれた能力として見ることによって、言語の本質の理解は格段に飛躍するはずである。
 言語能力とは、数学と同じ抽象能力のことである。動物はいかに賢くとも、5個のリンゴは認識できても5という数は認識できない。まして5や7をいろいろに組み合わせて数値の世界を作ることはできない。またAさん、Bさんは認識できても、「人間」という概念を抽出することはできない。5も「人間」も目に見えないものである。創造と同時に言語能力を与えられた人類は、目に見えるものだけでなく目に見えないもの(形而上世界、超越的世界)を認識するようにデザイン(意図)されたと解釈することができる。そう考えることによって、今まで盲点となっていたものが見えてくるのである。

『世界思想』No.360(2005年10月号)

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