NO.45(2006年09月)



生物教科書のミステリー(1)
 ―ヘッケルのニセの胚はなぜ教科書から消えないか―

いったいなぜ?

 世の中には「いったいなぜ?」と言って絶句してしまうようなことがいろいろある。北朝鮮という国のやり方がそうであろう。実の子や親を簡単に殺す世相がそうであろう。「進化の証拠」の一つとして生物の教科書に載っている、あの誰にでも覚えのあるヘッケルの胚の比較絵も、まさにそういうものの一つである。この一件について調べれば調べるほど、その理不尽さに我々は絶句する。その明白な犯罪的偽造、それが分かっていながら一世紀以上にわたって教科書がこれを利用してきたことの不可解とその犯罪性――これが歴史教科書問題の比であるかないか、「犯罪性」というのが誇張であるかないか、私の説明を最後まで読んでいただいて諸兄姉のご判断を仰ぎたい。
 忘れてならないことは、高校で「生物」を勉強する学生の圧倒的多数は、生物学者にはならないということである。すなわち彼らはこれを「常識」として吸収し、生きていく上でそれらを無意識の判断のよすがとする者がほとんどだということである。言い換えれば、生物の教科書は、良くも悪くも我々に対して「洗脳」の機能を持つのである。
 今私の手元にあるのは、東京書籍、三省堂、実教出版、啓林館、第一学習社、数研出版の六社の「生物」である。そのすべてがヘッケルの胚の比較絵を載せ、彼の有名な「個体発生は系統発生を繰り返す」という「法則」に何らかの形で言及している。説明文の方は、かなり大胆にこれを真理として解説するもの、言葉を濁して断定を避けるものと、多少の差はあるが本質において全く変わりはない。絵の方もわずかに違いはあるが、ほとんど変わりはないと言ってよい。

「個体の発生過程を生物の間で比較すると、その初期の形態がよく似ていることがある。例えば、ヒトの胎児にも鰓(えら)や尾に相当すると考えられる構造が現れる。これも、生物が共通 の祖先から進化したことを示す証拠と考えられる。」(東京書籍)


「脊椎動物の発生過程を比較すると初期の胚はよく似ている。脊椎動物の初期の胚では、共通 に鰓のあなのくぼみが出現するが、その数は動物群によって異なり…」(三省堂)

 前者は「ことがある」「と考えられる」と言ってぼかしているが、絵は明らかに鰓と尻尾を持ったヘッケルの百三十年前(一八七四)のものをそのまま使っている。ヘッケルの「初期の胚」の絵が作為的偽造であることは、ヘッケル(一八三四―一九一九)の生存中から知られており(決して不注意や解剖の未熟によるものではない)、彼自身それを認めているにもかかわらず、これが欧米や、もっぱらそれに追随する日本の教科書に載せ続けられてきたということは、まさに世紀の謎というべきであろう。
 これをマイケル・リチャードソンによる現実の胚の写 真(一九九七)と比較してみれば、そのあまりの違いに誰しも驚くであろう。(同じ発生学者ジョナサン・ウエルズによる絵――創造デザイン学会HP「不適者生存」――も参照されたい。「初期の形態」ということ自体が間違いだと彼は指摘する。)

日本の生物の教科書に載せられているヘッケルの胚の図。上から順に、東京書籍、三省堂、実教出版、啓林館、第一学習社、数研出版の「生物」より

 リチャードソン自身、「ヘッケルが白状しているにもかかわらず、…その絵は存続している。これこそ本当のミステリーだ」と言っているという(New Scientist, 9/6/97)。彼はまたこうも言っている――「これは科学界の偽造の最悪のものの一つだ。偉大な科学者と思われていた人物が、故意に人を誤った方向へ導こうとしているのを知るのはショッキングだ。私はこれには腹が立つ。」(The Times (London), Aug. 11, 1997, Nigel Hawkesとのインタビュー)

恥ずべきこと

 私が調べたかぎり、ダーウィニストも含めて誰一人として、ヘッケルの「初期の胚」の絵(版画)に問題がないと言っている専門の学者はいない。誰もが故意に手を加えたものであることは認める。ただダーウィニストが口を揃えて言うのは、「たとえそうであっても、ヘッケルが証明しようとしたことは正しい(から許される)」ということである。P・Z・マイヤーズしかり、反IDの闘士ユージェニー・スコットしかり。またスティーヴン・J・グールドも「大多数ではないにしても、多くの現代の教科書で、このような絵が存続することになった一世紀間の無神経な反復使用に対して、我々は驚くとともに恥じ入るべきだ」と語ったという。しかしそう言いながら「自分はそんなことは何十年も前から知っていたが、それを指摘する者(マイケル・ビーヒー)の方がおかしい」と言ったというエピソードはすでに紹介した。
 繰り返し言うが、生物の教科書を学ぶ者の圧倒的多数は、たまたま私のように好奇心を持って調べてみようとしない限り、専門家がひそかに知っている真相を知らないまま、つまり騙されたまま一生を過ごすのである。これは罪深いというよりはっきり犯罪ではないのか。この言葉が過激ではないかと思う人は、エルンスト・ヘッケルというダーウィニズムにとって不可欠の人物がどういう人物であったか、そのヘッケルが宣伝し、ヘッケルが大きく動かしたダーウィニズムというものがどういうものであったかを概観するだけで、かなりの納得ができるであろうと思う。

(現在も教科書に使われている)Haeckel(1874)のニセの胚の絵(版画)とMichael Richardson(1997)による現実の胚の写真

 「ミステリー」は解かれなければならない。これだけの理不尽が、しかも恐るべく長期にわたって存続するには、そこに何らかの強い圧力が働いていなければならない。ヘッケルはキリスト教におけるパウロに相当する。パウロなしにキリスト教は存在しえなかったように、ヘッケルなしにダーウィニズムはこれほどの根を張ることはできなかったであろう。
 しかし哲学が何であれ、無神論であろうと有神論であろうと、生物学が科学である以上、データをいじってはいけないのではないか、せめて最新の正確な写 真くらいは用いるべきではないのか、という疑問が生ずるであろう。しかしこの場合、背に腹は代えられないという事情がダーウィニストにはある。もし、すべての動物についてほとんど違わないという「初期の胚」を、リチャードソンの写 真に取り代えたりすれば、ヘッケル・ダーウィニズムにとって必要な「鰓」も「尾」も消えるだろう。それでは、共通 先祖説を証明しようとしてこれを考え出したヘッケルの意図そのものが否定される。かつて人間にも他の動物にも同様に、魚の(ような)時代があり、尾を持つ時代があったというためには、ヘッケルの絵でなければならないのである。
 ではこれを、生物学史上のかつての興味ある一説として紹介すればどうなのか。それなら全く問題はない。しかしそれではダーウィニストは承知できない。ヘッケルの「発生反復説」、あるいは「生物発生の法則」biogenetic lawと彼の呼んだものは、生きた現実のものでなければならないのである。

策謀的思想家

 ダーウィニズムがその欺瞞的・隠蔽的体質の多くをヘッケルに負うとすれば、ヘッケルとはどんな男だったのか。以下、主として、いくつかのインターネットサイトと、リチャード・ワイカート著『ダーウィンからヒトラーへ――ドイツにおける進化論的倫理学、優生学、および民族主義(人種差別 )』(Richard Weikart, From Darwin to Hitler: Evolutionary Ethics, Eugenics, and Racism in Germany, Palgrave Macmillan, 2004)に拠って、ヘッケル像をあぶり出していきたいと思う。
 この本は、ダーウィン進化論からヒトラーのナチズムに至る思想の系譜を跡付けたものであるが、一九世紀末から二つの世界大戦に至るドイツを中心とする多くのこの流れの思想家の中で、最も中心的な役割を演じているのはヘッケルであると言ってよいだろう。こういった資料から浮かび上がるヘッケル像は、圧倒的に策謀的思想家、策動家としてのそれであって、良心的科学者といった面 は微塵もないことが分かる。
 あるインターネットサイトはこう紹介している――

 エルンスト・ヘッケルはちょうどハーバート・スペンサーのように、間違っていても引用され易い言葉を残した。最も有名なのは「個体発生は系統発生を繰り返す」というものであるが、彼はまたphylum、phylogeny、ecologyといった、今日、生物学で普通 に使われる多くの言葉をも造語した。また一方でヘッケルは、ナチスの宣伝によく利用された「政治学とは応用生物学である」という言葉も残した。ナチ党は不幸なことに、ヘッケルの文句だけでなく、民族主義(人種差別 )、国粋主義、社会ダーウィニズムを正当化する彼の理論をも利用した。・・・「反復の法則」は二〇世紀初頭から信用を失っている。形態学者や生物学者たちが、系統発生と個体発生の間には一対一の照応関係はないことを証明した。(www.ucmp.berkely.edu/history/haeckel.html)

 またRussell Griggという人によるサイト、「エルンスト・ヘッケル――進化論の宣教者、欺瞞の使徒」(Ernst Haeckel: Evangelist for evolution and apostle of deceit)は、「〈大陸におけるダーウィンのブルドッグ〉とか〈ドイツのハックスリー〉と呼ばれるエルンスト・ヘッケルは、進化論を流布させるために、いんちき(fraud)にいんちきを重ねた科学者として有名である」と言い、進化に対する盲信のあまり、頭で考えたものに合わせて証拠を捏造した例として、「モネラ」という無生物と生物をつなぐ生物をもっともらしくでっちげ、科学雑誌に発表して、長年にわたって世間をだまし続けた事例をあげている。

[しかし]ヘッケルの怪しげな活動の中で最も有名な、あるいは最も悪名高いのは、人間の胚は他の哺乳動物と同じく、最初、魚のような鰓を持ち、やがてサルのような尻尾を持つ一連の段階を経過するのだという、全く誤った説を流布させたことである。

 彼は二人の他の科学者による胚の絵を、詐欺的に改変して例の胚の絵を偽造し、著書Natüliche Schöfungs-geschichte(『創造の自然史』、一八六八)に載せたのだが、当時ライプツィヒ大学の有名な比較発生学者であったヴィルヘルム・ヒスによってこれを暴露された。これによってドイツ科学界の憤慨があまりにも大きくなったので、ヘッケルは黙っておれなくなり、一九〇九年一月九日付Müchener Allgemeine Zeitung(ミュンヘンの新聞)に次のような投書をした(英訳したものからの和訳)――

「私の胚の絵のわずかの部分(おそらく百のうち六つか八つ)は実際に(Dr. Brass=糾弾者の一人=のいう意味で)「偽造された」ものである。すなわち見せしめに指摘された例は、あまりにも不完全か不十分なので、つながった発達の経路を復元するには、仮説によってギャップを埋め、比較的総合によって欠所を再構築するほかないので、そのようにしたものだ。この仕事がいかに困難であるか、図工者がどれほど失敗をしかねないものであるかは、発生学者にしか分からないことだ。」

著者は、「ヘッケルが手を加えたイヌと人間の胚の絵を、オリジナルと比較してみれば(比較写 真が出ているがここには再録しない)、ヘッケルの告白そのものが事実をいつわったものであり、本質的にこれは、彼の恥ずべきニセモノ作りを正当化し永続化ようとする試みであることが分かる」と言っている。
 ここからつながっていく教科書のミステリーを解くには、そしてヘッケル・ダーウィニズムの本当の恐ろしさを分かってもらうには、更に稿を重ねなければならない。

『世界思想』No.371(2006年9月号)

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