NO.46(2006年10月)



生物教科書のミステリー(2)
 ―20世紀の悪の根源、ダーウィン=ヘッケル進化論―

現代のミステリー

 あたかも強大な教会権力に支えられた宗教のような性格をもつのが、現代のダーウィニズムである。その誰の目にも明らかな強弁というべき論理にもかかわらず、誰もこれに面 と向かっては反対することができない。最近ようやく、『裸の王様――暴かれたダーウィニズム』(Antony Latham, The Naked Emperor: Darwinism Exposed, 2005)というような本が出る(出せる)ようになったが、このこと自体が信じられない現代のミステリーというべきであろう。なぜこういうことが中世ヨーロッパでなく、現代の欧米に起こり、わが国もこの教説を有り難く押し戴くようになったのだろうか。
 キリスト教の伝播にはパウロという人物が不可欠であった。マルクス主義が単なる哲学の域を超えて、政治的イデオロギーとして世界制覇を目指すにはレーニンという人物が必要であった。これをマルクス=レーニン主義(Marx-Leninism)という。エルンスト・ヘッケルというドイツ人はダーウィン進化論に対して、ちょうどマルクスに対するレーニンの役割を果 したと言えるであろう。ヘッケルによってダーウィニズムは、世界制覇の体勢を整えたと言って差し支えない(ダーウィン=ヘッケル進化論は、現実にナチスという政権に「科学的」根拠を与えた――これは後に詳述する)。ダーウィニズムと言っているものは、現実にはダーウィン=ヘッケリズムと呼ぶべきものである。ヘッケルという「ダーウィンのブルドッグ」の中のブルドッグがいなければ、ダーウィニズムはおずおずと提出してみただけの学説にとどまって、今あるような神聖不可侵の教義などにはおそらくならなかった。
 前号にも述べたように、ヘッケルという男は科学者の仮面 をかぶった政治的策謀家であった。この点でも彼はレーニンに非常によく似ている。レーニンは資本主義という敵を倒すためには、あらゆるウソも謀略も神聖化されると言った。ヘッケルの胚の偽造絵――それは彼の偽造の一つにすぎない――は、ある強力な政治思想(イデオロギー)のために必要なものの一部だったのであり、そのように解釈したときにのみ、百年以上にわたってこれが教科書に載せられ、誰も咎める者がいなかった(いてもその声はかき消された)という、信じられない謎を解き明かすヒントが得られるであろう。
 この偽造は、一時は「神の手」と呼ばれたわが国の考古学者の偽造や、韓国ソウル大教授のヒト・クローン胚偽造のような個人的な功名心から出たものが、誤って長く教科書に載ったというようなものではない。それならとっくに淘汰されていたはずである。よくニュースに「組織ぐるみの犯罪」という言葉が出てくるが、そういうものでもないと私は考える。それよりもっと恐ろしく始末の悪いもの、いわば文化体制そのものの生み出した犯罪である。だからこの明白な犯罪行為――哲学はどうであれ、一次資料を改変し、しかもこれを教育に用いるというのはれっきとした犯罪である――をどこへ訴えたらいいのか分からないのである。(私がこんなことを書いたからといって、変わるものではないだろう。今西進化論ではないが、それは「変わるときがくれば変わる」だろうが、それまでは変わらないだろう。)

ヘッケルの偽造告白

 ヘッケルはあの胚の比較絵が偽造であることを、当時の何人かの専門家によって暴露・告発され、沈黙を押し通 すことができなくなって、これを新聞紙上で認めたことは前号で述べた。その時点でヘッケルは、学者としての資格なしと烙印を押されていたのである。これらの絵が偽造であることや、「個体発生は系統発生を繰り返す」という名言(?)に何の根拠もないことについては、いくらでも証言があるが、今、School Textbook Fraud: Embryology: The "Biogenetic law" "Piltdown Embryo" by Steve Rudd(教科書のいんちき――胚発生学の「生物発生の法則」、胚のピルトダウン版)というウエブサイトによって、証言のいくつかを示しておきたい(因みに、ピルトダウン[事件]とは、サルと人間の中間化石として四十年間も世界を瞞着した有名なニセモノ事件)。

 ピットマン「自分の主張を押し通 すために、ヘッケルは証拠を偽造し始めた。五人の教授にいんちきを告発され、イェナ大学裁判で有罪とされて、彼は彼の胚の絵の「わずかな部分」は捏造だと認めたが、それは証拠が不十分な場合に欠けた所を補い埋めていたにすぎないと言った。そして臆面 もなく、何百という観察者や生物学者が同じことをやっていると言った。」(Michael Pitman, Adam and Evolution, 1984, p.102)
 ルーティマイヤー(同時代証言)「ヘッケルは、彼のこういった仕事が科学の素人にもわかり易く、かつ科学的で学術的なものだと主張した。前者については確かに異存はなかろうが、後者は彼が本気で主張できるようなことではない。それは中世の形式論者の仕事だ。その科学的証拠なるものには、かなり手が加えられている。しかし著者は、読者がこのことに気付くことがないように、とても気をつけていた。」(Referate, L. Rutimeyer in Archiv für Anthropologie, 1868)
  ラーガー「ヘッケルは自分の闘争のためには手段を選ばなかった。〈生物発生の法則〉の正しさを証明するために、彼はいくつかの図を発表したが、それらはそのオリジナルとキャプションに改変を加えたものであった。」「このいんちきは今、いくつかの例で示されている。この目的のために、彼は同じ版木を三回も使用し、それぞれの版画のために違ったキャプションを発明した。」「この他にも、そのオリジナルをヘッケルが改変し、人間の個体発生は系統発生の繰り返しで、連続的にいくつかの段階を通 らねばならないことを証明しようとした図がたくさんある。」「〈生物発生の法則〉とは、データを理論に合わせるためにトリックを用いなければならないシロモノだ。」(G. Rager, "Human Embryology and the Law of Biogenesis" in Rivista di Biologia/ Biology Forum 79, 1986,  pp. 451-52.)  
 トムソン「自然法則は事実からの帰納としてのみ確立される。ヘッケルはもちろんこれができなかった。彼がやったことは、存在する動物を単純なものから複雑なものへと順に並べ、つながらない所には想像上のものを挿入し、次に、胚の各段階に彼のいわゆる進化過程に相当する名前をつけることであった。この平行関係が存在しないときは、胚の発生段階の絵が間違っているのだと簡単に言ってのけて片付けた。胚の「並行的一致」がうまくいかない場合、ヘッケルは自分の理論に合わせるためにその絵を変えた。変更はわずかであっても大きな意味を持った。進化を証明するものとしての〈生物発生の法則〉は全く価値のないものである。」(W. R. Thompson, Introduction to the Origin of Species, p.12.)
 グールド「私がニューヨーク市の公立学校で教育を受けてから五〇年の後、ヘッケルの教説〈個体発生は系統発生を繰り返す〉が、科学によって放棄されるに至ったことはすばらしいことだ。」(Stephen Jay Gould, Ontogeny and Phylogeny, IBSN 0-674-63940-5, 1977, p,1.)
 モンタギュー「反復説は一九二一年、Walter Garstang教授の有名な論文によって打ち倒された。それ以来、いかなる真面 目な生物学者もこの反復説を用いたことはない。なにしろこれはヘッケルというナチ党員のような男のつくった不健全な説だから。」(Ashley Montague, Montague-Gish Princeton Debate, 4/12/80)
 ドビーア「反復説は胚発生の進歩に、多大な、そしてそれが存続している間は、慨嘆すべき影響力を及ぼした。」(Gavin. R. deBeer, Embryo and Ancestors, revised edition, London: Oxford University Press, 1951, p.10.)
 リチャードソン「ヘッケルの偽造告白は、この絵が一九〇一年にDarwin and After Darwinという本に使われ、広く英語の生物教科書に載るようになってから、すっかり忘れ去られてしまった。」(Elizabeth Pennisi, Michael Richardson, "Haeckel's Embryos: Fraud Rediscovered," Science 277(5331): 1435, Sep. 5, 1997)

なぜ復活したのか?

 特に最後の、マイケル・リチャードソン(前号に載せた現実の胚の写 真の提供者)の証言に注意していただきたい。なぜ、いったん多くの学者から指弾を受け烙印を押されたものが、何ごともなかったかのように復活し、それが今日まで続いているのだろうか? この巨大な謎は解明を要求する。ここにはある深い事情が隠されていると見なければならない。我々はある仮説――恐ろしい仮説――を立てざるをえない。しかしその前に、前号に引用したウエブサイトErnst Haeckel: Evangelist for evolution and apostle of deceit (by Russell Grigg) から、もう少し引用してみよう。

  発生反復説を立証しようとする全く不正直でひどく悪辣な根拠と、それが当初から科学的に信用できないものとされてきた事実にもかかわらず、人間は母の胎内で自分の過去の進化を反復するという、この完全に誤った考えは、ごく最近まで学校や大学で進化の証拠として教えられ、今でも多くの通 俗的な科学の本に載っているのである。
 もっと悪いことに、「胎児はまだ魚の段階にあるのだから、それは魚を切って出すようなものだ」という理屈が、今日に至るまで、堕胎を是認するある者たちに利用され、少女や若い女性に、子孫を殺すことはなんら問題ではないと思い込ませてきた。
 Dr. Henry Morrisはこう書いている――「何百万という無力な、生まれる前の子供たちの殺戮に対する、あるいは少なくとも、それに疑似科学的な根拠を与えたことに対する責任は、この発生反復説というたわごとにあると、我々は正当な理由をもって主張することができる。」
 悲しいことに、彼のすべてのおぞましい活動にもかかわらず、ヘッケルはドイツにおいて圧倒的な成功をおさめた。進化論を、容認された起源の物語として広く教育したばかりでなく、社会ダーウィニズムと民族主義(人種差別 )の独特の形態を、ドイツの国民精神に吹き込んだという点で、彼はドイツ有数のイデオローグの一人となった。
 これには、ドイツ人は生物学的にすぐれた人種であるという思想が含まれていたが、人類にとって不幸なことに、ヘッケルの進化思想は、第一次大戦につながる強烈なドイツ軍国主義の基礎を固めたのであった。・・・
 かくして、進化論という神を否定する教説と、恥ずべきデータの捏造にとりつかれたヘッケルは、二つの世界大戦と大量 殺戮の間接的な原因となった有害な影響力と、悪への精神的な激励を提供することになった。 

必要とした背後の事情

 いったんニセモノとして烙印を押されたものが、何ごともなかったかのように復活してくるには、それを必要とする背後の事情がなければならない。詐欺師として退けられたヘッケルを、祭り上げなければならない何らかの強い圧力があったと想定しなければならない。ヘッケルが「そのすべてのおぞましい活動にもかかわらず、ドイツで圧倒的な成功をおさめた」のは、ダーウィン=ヘッケル進化論を、当時のドイツ(のみならずヨーロッパ列強)が、どうしても必要としたからに違いない。そうした圧力の中で、胚の発生反復説はどうしても必要な小道具であった。
 私は更に次回にかけて、この仮説を、前号に挙げたリチャード・ワイカート著『ダーウィンからヒトラーへ』に拠って展開しようと思うが、おそらく胚の偽造絵以上にショッキングな、もう一つのヘッケルの絵を、あらかじめ読者にお見せしておきたい。「ヘッケルの胚の絵を教科書に載せてもよい、しかしその場合この絵を併せ載せよ」と私は言いたいのである。

Haeckelの『創造の自然史』(1868)の口絵 Haeckelの『創造の自然史』(1868)の口絵−6人の「人種」(1〜6)と、6種類の類人猿(7〜12)を描き、「最も下等な」人種がいかにサルに近いかを示そうとしている。(Richard Weikart,From Darwin to Hitler,2004 より)

『世界思想』No.372(2006年10月号)

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