NO.70



科学者の傲慢と謙虚(2)
―ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは別 物か?―

間違った思想の結果

 映画『追放――インテリジェンスは許さない』(そのDVDは十月頃に発売されるらしい)は、ダーウィニズムとナチスが直接つながっているかのような印象を与えると言って、ダーウィニスト側からの攻撃が激しいようである。映画を見なければ何とも言えないが、限られた時間のためにもしそのように見えてしまうのだとしたら、それはこの映画の欠陥かもしれない。もちろんこの二つは直接つながっているのではない。『ダーウィンからヒトラーへ――ドイツにおける進化倫理学、優生学、人種差別 』の著者リチャード・ワイカートが再三言っているように、ダーウィニズムが「ホロコースト」の直接の原因だなどと論ずるのは馬鹿げている。
 ただ、それはダーウィニズムによって醸成された当時の思想風土から生まれた結果 であることは間違いない。それはヒトラーだけでなく、スターリン、毛沢東、ポル・ポトなど、二十世紀の傲慢な人間改造主義者すべてについて言えることである。それくらいダーウィニズムは強力な無言の思想なのであって、かりにポル・ポトがダーウィンの名前を聞いたことがなかったとしても、ダーウィニズムの影響を受けていると考えるべきであろう。ダニエル・デネットが言ったように、ダーウィニズムは我々の文化に食い込み、すべてを溶かす強力な酸なのである。
 優生学(eugenics、ダーウィンのいとこフランシス・ゴールトンの造語と言われる)や人種差別 思想、それに基づいた世界改造思想は、ダーウィンを含めた、ダーウィンの時代から二十世紀初めへかけての欧米知識人の間でほとんど常識だったのであって、現在の我々の(国連やオリンピックに見られる)平等思想からこれを裁いてみてもしようがない。ただこれは、ジョン・ウエストが言うように、「間違った思想は間違った結果 を生む」という歴史の重大な教訓として、肝に銘じておくべきなのである。この教訓は、唯物論的・無神論的な学問体制を絶対とし、これは学問だから社会に対して責任がないと考えるような、現今の風潮に適用されなければならない。
 ダーウィンはあくまで純粋な科学者なのだから、そこから導かれた「社会ダーウィニズム」には責任がないという議論は間違っている。それは二重の間違いだと言ってよい。まずダーウィンに、メンデルのような科学者的純粋さを見るのは明らかに間違いである。前号に引用した『人間の由来』の文章からだけでも、その過激な優生学への傾斜は歴然としている。彼は『種の起源』を書いたそもそもの初めからイデオローグであり、反社会的イデオローグであることを隠そうと腐心した(そのため『種の起源』では人間を論じなかった)というのが、ジョン・ウエストや(ペンギン版Descent of Manに長い解説を書いた)James Moore とAdrian Desmondの見解である――「明らかになってくるのは、人間の人種的発達ということが最初からダーウィンの理論構成の肝要部分だったことである。人間と動物は一八三七年から変わることなく、一八五七年においても絡み合っていた。」(同書、p. xiv.)
 彼は『種の起源』の論理から導かれる無神論を隠そうとして、宗教に触れることを避け、話題を「科学」の範囲内にとどめたのだと自分で言っている。それなのに無神論者の評者たちが、「彼の身の安全も考えず」この本を拡大解釈したと言って彼は腹を立てた。「真意を曲解した」と言って怒ったのでないことに注意せよ、とジョン・ウエストは『アメリカのダーウィン記念日』(Darwin Day in America)で指摘している。(pp. 39-40)この「安全」という言葉がなんと多くを物語ることか。『種の起源』の「純粋さ」は学問の純粋さでなく、身の安全を護る(世評を落とさない)ための純粋さだったのである。
 もう一つの間違いは、学問の世界と世間との間に「防火壁」があるかのように考えることである。たとえかりにダーウィンが「純粋な」科学者だったとしても、その理論は社会に対して何の責任もない、などと言うことはできない。まして彼の「理論」とは、社会的には悪い影響を与えるかもしれないが、実験や観察の結果 どうしてもかくかくの結論が出る――それでも地球は動く――といった類いのものではなかったから、なおさらである。彼が「私の科学」と言っているのは、主として家畜やペットの品種改良に基づいた大胆なスペキュレーション(空想、思考実験)にすぎない。別 の見方をすれば、無神論=閉鎖系宇宙を前提として生命世界を考えるなら、これ以外に考えようがないという理論にすぎない。

社会ダーウィニズムとの関係

 以下、ジェイムズ・ムーアとエイドリアン・デズモンドに従って、ダーウィンの思想と社会ダーウィニズムの関係を明らかにしようと思うが、この二人のダーウィン研究家はID運動には関係がなく、むろん映画『追放』を見ての議論でないことを断っておきたい。

「社会ダーウィニズム」はしばしば、何か外在的なもの、純粋なダーウィン資料集成にあとから付け加えられ、ダーウィンのイメージを傷つけようとする醜い出っ張りであるかのように言われる。しかし彼のノートブックを調べてみれば、競争、自由商業、帝国主義、人種的絶滅、男女不平等といったものが、最初から方程式の中に書き込まれていたこと、すなわち「ダーウィニズム」とは常に、人間社会を説明すべく意図されたものであったことが明らかになる。(Moore and Desmond, Darwin, 1991)


市場における、人間、人種、国家間における無制限の競争、強い者が地球を相続し、進歩は革新家と彼らの政府がそれらを自由放任しておくことにかかっているという思想――これらはいずれも、ダーウィンの著作から引き出すことのできないものだと主張されてきた。ダーウィニズムは科学であり、社会ダーウィニズムはイデオロギーであって、この二つは決して折り合わないのだ、と。
 こうした見方が執拗に続いているということは、『人間の由来』がダーウィンの最も重要な読まれない本であることの証拠である。ダーウィン資料集成をこのようにかばおうとする姿勢は、第二次大戦の優生学的恐怖の後にますます強まった。ダーウィンの「純粋な」科学を、二十世紀初期のその結果 だと曲解されているものから切り離そうとする努力は、社会ダーウィニズムの後継者とされる社会生物学(sociobiology)の虚偽を指摘する努力の激しさに現れている。社会ダーウィニズムは純粋なダーウィニズムを汚すものだとして激しく批難される――そのもろもろの「偏見」は、人種差別 主義者、男女不平等論者、優生学者らによってダーウィンの科学に押しつけられたものだ、と。しかしダーウィンの構想過程の文脈を理解するならば、いかに人種、性、階級の問題が彼の思想に本質として内在するものであるかがわかる。実際、『人間の由来』の起源と展開はそれなしには理解できない。科学とは不純な(messy)、社会的な根をもつものである。ダーウィンの科学は特にそうである。聖人伝を書こうとする人々は、彼らの仕事の根拠となる文書を崇拝するかもしれないが、歴史家の仕事は、そのような文書が生まれてくるときの状況的影響を跡付けることにある。ダーウィンの場合には、人種、マルサス的洞察、中産階級の思考習慣といったものが、彼の理論構築の中心をなすものであった。(ペンギン版Descent of Man, pp. lv-lvi)

  我々は現在、エンゲルスに忠実であろうとしたオパーリンや、党の御用科学者であったルイセンコが「純粋な科学者」でなかったことを知っている。科学といえども、それは「社会的な根をもつ」ものであり、ダーウィンの場合は特にそうだという指摘は正しいであろう。これはダーウィンを特に悪く言っているわけではない。当時の英国中産階級としては、人種的・階級的偏見は当たり前のことであり、それが学説(特に実験で確かめようのない学説)に反映したからといって、今日の正義感からこれを咎めるのはおかしいだろう。かといってダーウィンが、文化的背景やイデオロギーと無縁の、純粋な自然学者であったかのように言うのはおかしい。
 ムーアとデズモンドは、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムの区別 が、ダーウィン自身になかったことを次のように述べている――

「社会ダーウィニズム」という言葉は一九〇〇年頃のイギリスに初めて現れた。その時までは、彼の同調者の信念も反対者の恐怖も含めて、すべてのダーウィンの思想は「ダーウィニズム」という呼び名でくくられていた。そこには社会的なものも含まれていた。実際、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムの区別 は、『人間の由来』の著者には通じなかったであろう。(同、pp. liv-lv.)

  ダーウィンは奴隷制廃止論者(abolitionist)であった。これは彼自身を含めたダーウィン家と、昔から姻戚 関係にあった(陶器製造の)ウェッジウッド家の、共通 の立場だったらしい。これは一見すると、彼の唱えた進化論と調和するように思える。すなわち白人も黒人も同じ祖先を共有するのであれば、差別 や優劣の理由はなくなるであろう。確かに、ダーウィンの主張する「共通 祖先」という観点に立てば、人間どころか動物も含めて人類(生物)みな兄弟ということになる。しかしもう一方の闘争(自然選択)による進化によって下等動物から人間までの差が生じたという観点からすれば、人種の違いも自然に生じた序列であって、白人と黒人を平等とすることはできなくなる。
 明らかにこれは矛盾であった。ダーウィンはこの矛盾にどう辻褄を合わせるかに苦しみ、少しずつスタンスを変えていった、というのがムーアとデズモンドの見方のようである。

奴隷制に対する嫌悪が、彼の改革された生物学に感情的な力を与えた。奴隷制の「胸が悪くなるような残虐」は、異なった人種の人間性に盲目で、何より自分自身と野獣との血縁性を理解することのできない、心の捻じ曲がった人々の犯罪である。(p. xxii.)


しかしこのような理想主義を押し通すことはダーウィンの論理では不可能である。


一八六〇年代のダーウィンの政治的方向転換が、『人間の由来』にその最終的な形を与えた。一八三〇年代の改革[英連邦の奴隷制廃止]の白熱の中で構築された彼の人間の起源についての科学は、大胆にも、すべての人種を一家族とし、すべての種を血縁だとした。しかし一八六九年までに、彼の自然選択の理論はほとんど常識と考えられ、それによって[ダーウィンの支持する自由放任主義の]ホイッグ党の、福祉事業カットによって自主更生をうながす政策は、闘争する自然の中心に位 置付けられた。(p. xliii)

自説のために苦しむ

 先月号に引用した『人間の由来』からの一節を思い出していただきたい。ダーウィンが特に非情だったわけではない。むしろ当時のイギリスの風潮に迎合したとみるべきだろう。ただ、それが彼の理論の加勢を得たものであったことに、彼はひそかに心を痛めたのだろうか、それともむしろ得意だったのだろうか?

彼ら[ダーウィンがよく援用した「人種の階梯」を主張したLubbockとTylor]の分析は、黒人の教化更生を不可能だとする、次第に強まっていく態度に勢いを得た。ヴィクトリア朝盛期の、人種差別 的・自己至上主義的イデオロギーは、奴隷制廃止論者の古い、センチメンタルな態度を影の薄いものにしつつあった。(p. xliv.)

従ってダーウィンは一つの矛盾に直面した――一方に、平等を信奉し、自然界の「高い」「低い」を言うことを拒否した一八三〇年代の若い奴隷制廃止論者がおり、他方に、運命としての階層性を当然として受け入れた六〇歳代の男がいた。彼はかつての自分の急進主義と相対主義をにぶらせることによって、この緊張を解決したのである。(p. xlv.)

 現在、東京に引き続いて大阪で開催中の「ダーウィン展」で売られている豪華な冊子には、ここで述べたことを真っ向から否定する解説が、悲憤慷慨調で書かれている――「純粋に科学的な理論をまったく非科学的な目的[社会ダーウィニズム]のために利用するのは、ダーウィンのもともとの考えを歪曲し冒涜するものである。」先日(5月6日)のNHKテレビの「天才ダーウィン」(?)でも同じことを強調していた。「冒涜」? ダーウィンは悪人ではないが聖人でもない。「自説のために苦しんだ人間」というのが正しい見方だろう。真実に対して、自らも目をつぶり人にも目をつぶらせるというのは、公共メディアとして感心したやり方ではない。

『世界思想』No.394(2008年10月号)

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