――その動機、目的、方針、「インテリジェント・デザイン」との関係――

 趣意書の説明によって学会設立理由の骨子は理解されるものと考えるが、具体的な学会のイメージは湧きにくいと思われるので、このような学会を作ることになった動機や目的、どんな性格のものと考えたらよいのか、どのような方針によって何をどう研究しまた活動する組織なのか、などについて、現在のところ我々の考えていることの概略を以下に述べてみたい。

(1) 名称について

 まず「創造デザイン学会」という名称について説明しておきたい。「創造デザイン」の「デザイン」という言葉は、後に詳しく説明する「インテリジェント・デザイン」のデザインと同じ意味で用いられている。では、なぜそのまま「インテリジェント・デザイン」としなかったのかと言うと、一つには、これがまだわが国では耳慣れたものになっていないということ(その普及が我々の目的の一つである)、また一つには、我々の目的が「インテリジェント・デザイン」から謙虚に学びながら、単なる海外思想の紹介や学習に終わるのでなく、我々が独自性をもってその芽を育て発展させていきたいという意欲をもっていること、そういうところから神の創造活動と人間の創造活動を貫通する「創造」という言葉を使ったと解釈していただきたい。

 「学会」を自称するのは大げさでかつ傲慢ではないかという意見もある。確かに我々が最初の段階として考えているのは、学会というような大げさなものでなく、勉強会あるいは研究会といったものである。けれどもあえてこれを「学会」とするのは、将来この研究が必ず体系をもった学として位置づけられなければならない性質のものだという自負を持っているからである。そういう自負と見通しを持って、我々はこれをあえて学会として発足させる。

(2)この学会の性格・方針

 我々は相互に学習しながら共通の方向を見出すよりほかはない。従ってこの学会は、学問的方法が最初から与えられているのでなく、その体系の構築を目指すものである。趣意書にもあるように、この学会はあらゆる分野・領域の学者や知識人を糾合する学際的なものである。従って既成の学問体系を超えたところに、各分野に共通しこれを統括するような高次の理論を見出し、それが各専門分野にフィードバックされるようなものでなければならないと考える。今、そういったことが可能か不可能かというようなことを論じている余裕のある時期ではない。是非ともそうしなければならない時期が到来している、というのが我々の共通の認識でもある。
 我々は我々と対立する意見を持った人々の参加を拒むものではない。そういう人々とも議論を交わし謙虚に耳を傾けることによって、問題点が明確になってくると信ずるからである。その点でも「インテリジェント・デザイン」の人々を範とすべきであると考える。彼らは常に反対者と討論をしながら、そのことによって学問そのものの水準を高めていこうとする姿勢がはっきりとうかがえるからである。

(3) 学会発足の動機と目的

 我々全員の考え方が、すべてにおいて一致するのでないことは言うまでもないが、根本において我々が共有しているのは、この社会この時代を支配する唯物論的思想を克服しなければならないという使命感であると言える。そして、そのためにはどのような有効な手段・方策がありうるかという、いわば戦略的な関心もまた我々の共有することころである。その克服すべき唯物論的思想の典型的なものがダーウィン進化論だという認識も、我々の共有するものである。もちろん唯物論的思想は、マルクス主義もフロイト思想も含めて、いわゆる左翼思想として、例えば「ジェンダー・フリー」のような形で我々の社会に浸透し深刻な害悪を及ぼしている。しかし無神論者(唯物論者)のダニエル・デネットが確信犯的に高言するように、ダーウィニズムは「それが触れるあらゆるものを溶かしてしまう容器の存在しえない強力な酸のようなものである。」人はそのことにあまり気づいていないかもしれないが、ダーウィニズムこそは、現在の青少年問題を始めとする、この世界を覆う精神的狂いの元凶だと言ってよい。

 ダーウィニズムあるいは唯物論を克服する学術的な方策はあるのだろうか。この点で我々が学び、モデルとし、あるいは協働していかなければならないと考えるのは、アメリカから起こり、今知識人の世界を席巻しつつある「インテリジェント・デザイン」理論(運動)である。この運動はまだ出発して間もない新しいものであるが、反ダーウィニズムの科学理論として次第に認められ、抵抗を受けながらも、学界に深く浸透し始めているものである。これが主として科学者の間から起こってきた運動であるところに大きな意味がある。「インテリジェント・デザイン」の強みは、宗教的動機からも人を惹きつけるが、全く宗教とは関係なく純粋に科学理論としても人を惹きつける説得力を持っていることである。

 そこで我々は、この理論を謙虚に学ぶところから始めなければならないと考える。

創造デザイン学会