生化学的相似 (『パンダと人間』抄訳)


Percival Davis(ヒルズボロ大学教授)
Dean H. Kenyon(サンフランシスコ州立大学教授)
Charles B. Thaxton(化学者)

訳者注:

『パンダと人間:生物起源の中心問題』(Of Pandas and People: The Central Question of Biological Origins)は、インテリジェント・デザインの立場からの高校生用生物副読本として編まれたものである。以下の抄訳はこの本のおよその内容を知っていただくためであるが、もう一つの目的は、末尾に併せ付したわが国の同じ生物副読本の、同じ問題を扱った部分と比較して読んでいただき、なぜあらゆる面 でこのような大きな違いがあるのか、なぜ同じデータから正反対の結論が出るのか、どちらを信用すべきかを考えていただく機会を提供するためである。特に、生物教科書の記述の異常な分かりにくさに不審の念を抱いている高校生諸君に、一読をおすすめしたい。

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多くの人々はタンパク質というものを主要食品の一つ、あるいは健康食の中心として考えている。それらが小さな機械であるということには、容易に考えが及ばないだろう。しかし我々は、タンパク質をまさにそういうものとして、驚くべく多様な、それぞれが特殊な方法で生きた組織をつくり、生命に必要な反応を起こさせるものとして、認識するようになった。一つの典型的な細胞には、軽く何千という異なるタンパク質があり、それぞれが同じ仲間の中で独自の存在である。例えばリプレッサー分子と呼ばれるタンパク質は、DNAのある部分の働きを、必要が生ずるまで閉ざしスイッチをオフにしておく。皮膚は大部分コラーゲンと呼ばれるタンパク質でできている。筋肉細胞の中のタンパク質ミオシンとアクチンは、筋肉の収縮能力を左右するもので、光が眼の網膜に当たると、それは最初ロドプシンと呼ばれるタンパク質と相互作用をする。

これらの、またその他何千という機能は、タンパク質のさまざまな役割の驚くべき統制や協力にきわどく依存していて、それは人間の作った機械のレベルをはるかに凌駕する。これら協力の働きはまた、タンパク質分子の鎖をなすアミノ酸の配列次第で決まる。

タンパク質レベルでの生物の研究は比較的新しい分野である。分子生物学から科学者が手に入れる情報は、生物の比較や分類に用いられることがあり、これは「生化学分類学」と呼ばれる分野である。生化学的分析は、いろんな生物の間の違いを数量 化し測定することを可能にするので、分類学をより正確な科学にすることを約束する。

縮小された相同

我々は誰でも直観的に、馬が全体構造から見て鳥よりは牛に似ていると考えるが、数学的にその間の違いを測定する方法を持たない。生物のどれとどれを、比較解剖学と相同性に基づいて一つの類に分類すべきかの問題は、主観的判断という要素のために常に悩まされてきた。分子生物学という革命はそのすべてを変えるものである。それはタンパク質やDNAの構造に基づいて生命体を比較する新しい方法を提供する。

生化学分類学の重要な手続きの一つは、タンパク質のアミノ酸配列とDNAの三連子配列を決定することである。研究者たちはこれらの配列を決定するのに、DNAやタンパク質の配列分析器を使う。多くのタンパク質がさまざまの生物の中で用いられているが、ある特定のタンパク質、たとえばチトクロームCの配列は、一様でなく生物種によって変化があることが分かっている。通 常、チトクロームCは104個のアミノ酸のひもで構成されている。その機能はすべて同じであり、同じタンパク質だと分かるほど似ているが、それでもさまざまな分類群の間で差異が見られる。二つの異なった生物のアミノ酸配列は、これら二つの配列を並べ添わせ、異なる個々のアミノ酸の数を数えることによって比較することができる。同じような比較は、DNAの二本のひもの間でも行うことができる。分かりやすくするために、次の二本の文字列を考えてみよう:
      ABCDEFGHIJ
      ADCDJFBHIJ
       1  2 3    
これら二本の文字列はそれぞれが10個の文字からなり、数字を付した3箇所で相異なっている。異同の数量 は従って30パーセントということになる。もしこれが1箇所のみで異なっていれば10パーセント、2箇所で異なっていれば20パーセントの異同ということになる。

DNAやアミノ酸配列のより多くの相似点をもつ動物同士は、分類学的により近いものとして分類される。分子生物学による分類のシステムは、大筋において、解剖学的に分類学者によってなされてきた伝統的な分類と一致する。言い換えると、馬は、目に見える外観だけでなく、そのタンパク質のアミノ酸配列やDNAの三連子の配列においても、鳥よりは牛に似ているのである。

相似性再訪

相似点を確かめる新しい方法を見つけたことによって、生化学者たちは、それらの相似の意味の我々の理解を固めることができると期待してきた。第5節で見たように、標準的なダーウィニズムの解釈では、相似点は共通 の先祖からの血の系統を指し示すものである。二つの生物がより多く似ているほど、一つの血の系統からそれらが分かれた時点がより新しいのだとダーウィニストは言う。

ダーウィニズムの信奉者たちは、生化学の諸発見をこの説の重要な新しい証拠として歓迎してきた。生化学上の相似が解剖学上の相似と平行関係にあるという事実は、それらの相似性から推論される進化上の関係を確証するものとされる。ヒトのタンパク質は、例えばカメのそれよりサルのそれにより密接に似ている。このことは人間がサルと共通 の先祖をもつことの証拠とされる。

インテリジェント・デザインの唱道者たちは、構造の相似性は機能の相似性の反映であると解釈する。すべての生き物は同じ宇宙で生きのび、その生態学的な網目に適合しなければならない。すべてが食物連鎖の中におさまらなければならない。共通 の宇宙の内部で機能することの必要性が、すべての生物に、共通 の物理的化学的要請を課すことになる。知的主体が、共通 の生化学的基礎をもつように生き物をデザインするということは、論理にも効率にも叶ったことである。そのように考えれば、生物が解剖学的レベルでも生化学的レベルでも共通 性をもつのは、何ら驚くべきことではない。ところで今から述べるように、生化学がこの問題にもたらした純粋に新しい光は別 のところにある。

新しいパタン

科学者たちは生化学的な比較を通じて、古い進化の樹を正すために別 の進化の樹をつくろうと試みている。しかし生物のタンパク質間の相似点(相違点)の測定値を並べて比較してみると、そこに現れるパタンはダーウィニズムに基づく予想とは矛盾するものとなる。このパタンをもっと詳しく見ることにしよう。表1は、何種類かの生物の間のチトクロームCのアミノ酸配列の異同を、パーセンテージで表わしたものである。(複数の生物についてパーセンテージが同じであっても、その違いの現れる場所は同じではないことが多いことに注意してほしい。)

表1

「ヒト」と記された行をとって横にたどってみると、この分類上の階梯を遠くに移動するにつれて、比較する配列の異同が次第に多くなっていくのが分かる。ヒトからアカゲザルまでは、ほんの1パーセントの違いであり、ヒトからブタまでは10パーセント、ヒトから魚(コイ)までは17パーセント、ヒトから昆虫(カイコの蛾)までは29パーセントの違いである。この結果 は、伝統的な分類の範疇を裏付けるものなので驚くことではない。

さて次に、カイコの蛾(表上部の15)の項をとって、今度は上から下に数種類の脊椎動物を下ってみると、この昆虫のチトクロームCは、ヒト、ペンギン、カミツキガメ、マグロ、ヤツメウナギほどに差の大きな動物種と比べても、異同のパーセンテージが同じであることが分かる。こういった動物種の間の広大な相違を考慮すれば、それらすべてとカイコの蛾との違いが、ほとんど同パーセントであることは驚くべきことである。

この発見が驚きである理由は、それがダーウィニズムの予想に反するからである。カイコの蛾から進化の階梯を上っていくとき、その予想(といっても予言として明言されたことは多分ないが)は、分子レベルでも違いが段階的により大きくなるだろうということであった。この予想は、子孫や先祖でなく現在の段階的にみえる動物種を比較してみても、もっともな予想である。例えばダーウィニストは、両生類であるウシガエルは、爬虫類へとつながる系統から、両生類が枝分かれした後で起こったいくつかの枝分かれの産物だと考える。このことは、ウシガエルは、爬虫類の先祖である脊椎動物目(もく)の一員ではあるが、それ自体が直接的に爬虫類の先祖ではないことを意味するだろう。予想は、それでもなお、「樹」のパタン(概念的なものであっても)が、このような生きた、先祖ではない動物代表を通 じて先祖の目(もく)を比較すれば、見えてくるだろうというものである。実際、現在の生物を比較してみて、ダーウィニズムは、昆虫から両生類への分子的距離は魚への距離より大きく、哺乳類への距離はさらに大きいと予言するだろう。ところがそのようなパタンは見出されないのである。

もう一つの例を考えてみよう。進化というシナリオでは、魚が進化して両生類になった。だから分析の結果 は、魚のチトクロームが両生類のチトクロームに最も近いことを明らかにするものと予想するだろう。しかし事実はそうでない。図1は、魚(コイ)のチトクロームCと、いくつかの陸上脊椎動物のそれとの配列の異同を、パーセンテージで表わしたものである。

図1

いろんな脊椎動物のチトクロームCの配列を比較してみると、それが魚から等距離にある(equidistant)ことが分かる。ここにも予想された進化の樹は存在しない。この図ではウシガエルで代表される両生類は伝統的に、進化の階梯で最も魚に近いと考えられている。ところが分子レベルでは、魚から両生類への距離も、爬虫類や哺乳類への距離も変わらないのである。

古典的なダーウィニズムのシナリオを用いるなら、両生類は、魚類と他の陸上脊椎動物の中間的存在である。それらのアミノ酸の分析は、両生類をほぼその中間に位 置付けてしかるべきであるが、そうはならない。これは我々が比較に選ぶほとんどすべての両生類の種について事実である。進化の連続性という立場に立てば、両生類の中でもあるものは魚に近く(「原始的な」種)、またあるものは爬虫類により近い(「進化の進んだ」種)と予想される。さらには馬への距離はもっと大きいと予想する。しかしこれもやはり事実ではない。(ウマ、ウサギ、ニワトリ、カメ、ウシガエルのタンパク質がコイのそれから等距離にあるという事実は、前者がすべて同じであることを意味するものではない。タンパク質はそれら相互間で、コイのそれから違うように違いがある。それらのアミノ酸がコイのそれと違う13か14の場所は、生物によってそれぞれ異なる。)

分子時計

科学者の中には、「分子時計」という考え方が謎を解くという人たちがいる。彼らの主張する説明では、時間経過の中で変異の一定の率というものがあり、従って当然のこととして、過去のある時期に共通 の先祖から枝分かれした種同士は、現在その分子配列が同程度に変わっているはずだというものである。しかしこの説明にはいくつかの深刻な欠点がある。第一に、変化率が世代交替の時間に相関すると考えられ、さまざまな分子についての変化率がそれぞれの世代について同じだと考えられている。問題は、同じ分類群の二つの種、例えば二種の哺乳動物で、世代交代の時間が非常に異なるものを比較したときに起こってくる。例えばネズミは一年に4回か5回の繁殖サイクルをもっている。従ってその変異の数は、例えばゾウのそれに比べて比較にならぬ ほど高いだろう。だからこの二種の哺乳動物は、比較するタンパク質について、同じパーセントの配列変異を反映していないはずである。

それだけでなく、変化率というものは同じ種であっても、タンパク質が違えば違うものである。ということは、分子時計の考えが正確であるためには、分子時計が一つでなく何千もなければならないことになる。

分類学の課題

分類学とはしばしば退屈で割に合わない仕事である。研究者はたいへんな苦労をしてたった一つの分類を決定することがある。しかし分類学の課題はそのような細かい問題のレベルでの仕事だけではない。それは生命世界のパタンの全体像を描こうとするものでもある。

ダーウィニストの描く像とは生物の連綿たるつながりの像である。生命は単純から複雑へと向かう連続的な段階をなして展開していく。それぞれの分類の中に、「原始的」な、その直前のより単純な段階からかろうじて現れたばかりの生物もあれば、より「進化の進んだ」もっと複雑な段階への途上にある生物種も存在する。

インテリジェント・デザイン提唱者の描く像は、相互に独立した、より高いレベルのカテゴリー内部での、相関連する生物のグループ分けである。ID提唱者たちは、すべてのグループが他のグループから生じたという満足できる証拠があるとは考えないから、途切れない繋がりというものは必要ではない。そうでなく、主たる分類群(taxa)は互いに分離し、それぞれの特徴をもち、その特有の統合された構造によって、他の分類群とたやすく区別 される。

どちらの像が、科学によって明らかにされたこの世界に、よりうまく適合するであろうか。現在の生物は、インテリジェント・デザインという基礎の上に、納得できるように説明することができる。Felidae(ネコ)という「科」を考えてみるなら、我々はそこに、飼い猫となったシャム猫から、アフリカライオン、ベンガル虎にいたる多くの変種を見るが、しかし我々はそれらと、例えばキツネ、イタチ、イヌなどとの区別 は容易にできる。生命世界が我々に示してくれるのは、それぞれが一セットの定義的特徴のまわりにグループを形成する生物集団の像である。境界線では、特に「属」と「種」のレベルでは、これらの区別 は必ずしも明確ではなく、分類学者による後の修正の課題かもしれない。

化石の記録もまた集団的な生物のパタンを示している。科学の革命が過去20年来進行しており、多くの古生物学者は、ダーウィンの漸次的変化という基本的な教説を、平衡状態(stasis、変化のない状態)と急激な変化の挿話の時期が交互して現れる進化概念へと修正しつつある。この修正された進化論は断続平衡説と呼ばれている。これらの科学者は一世紀以上にもわたる化石世界の研究ののち、化石生物のパタンが大体において、なだらかな連続ではなく、隔絶された集団をなしていることを理解するようになった。

生物の違いが多少とも、より数量的に測定できるようになった生化学の分野からの新しいデータも、おおむねこの集団のパタンを確認するものである。タンパク質のアミノ酸配列を研究することによって、生物はA→B→Cという連続の形に並べることはできないことが分かってきた。ここでAはBの先祖、BはCの先祖という意味である。そうでなく生物は、異なる分類集団の他のほとんどの生物とほぼ等距離にあるのである。この特徴は種の広い範囲にわたって、かなりの一貫性をもって当てはまるものである。

さまざまの分野からのデータが、ちょうどジグソーパズルの断片のように一つの絵になり始めた。多くの断片がいまだに見つかっていないとは言うものの、生物の集団の一つ一つが非・定義的な特徴での多様性を擁し、それぞれの主要グループが明確なギャップによって他と分離されているという生物像が明らかになってきた。分子生物学の進歩の主要な部分は、生き物の相似点と相違点についての、新しい数量 化可能なデータを出している。現在の我々の科学の知識が、すべての答えを出したかのように言うことは許されないが、ただデータは、ダーウィン進化論と一致する生命世界の像を支持するのに役立ってはいない、とだけは言うことができる。
(注:Of Pandas and Peopleは同じ内容を「概観」と「展開」に分けており、「展開」の方には、更にこの問題についての補足的な詳しい説明がある。)

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『新生物1B・2』(数研出版)
第5編 生物の進化と分類、
第14章 生命の歴史、
5 生化学・分子生物学上の事実
(2)シトクロムcと進化
電子伝達物質であるシトクロムcは好気呼吸を行うすべての生物に存在し、104個のアミノ酸からできている(一様性)。そして、そのうち35個はすべてに共通 であるが、残りのものではそれぞれ相違が生じている(多様化)。
1.共通の部分の存在
共通部分はシトクロムcの本来のはたらきを維持するために必須の箇所であり、ここが変異した生物は死滅し、子孫への継承が行われない。
2.進化速度の推定
ヘモグロビン鎖の場合と同様にして計算された値を表14−6に示した。
3.分子の系統樹
生物体の構成分子をもとにしてつくった系統樹を「分子の系統樹」という。シトクロムcの一次構造の相違をもとにしてつくられた系統樹を図14−54に示した。多くの知見をもとにつくられた系統樹と大すじで一致する。

表14-6

図14-54
    


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